ヒカリ、満ちて
情報が遅れた為に手遅れになってしまった人と、持病を持った人。合わせて10人弱の失われた命を悔やみつつもなんとか前を見て過ごすこと数日。
辺境の地へと隔離された人々が一人減り、二人減り。
新たな感染者も出る様子はなく、一安心した頃。
「遅くなってごめんね」
と、当たり前のように傍にルイスを控えさせたリオが、笑顔でアリアたちへと謝罪の言葉を述べていた。
「リオ、様……。どうしてここに?」
アリアにシオン、イーサンと、国から派遣されてきた医療従事者たちを前にして、リオがにこりとした微笑みをアリアへ向ける。
「もちろんアリア、君を迎えに来たんだよ」
「え?」
「それと、この土地の結界魔法の強化に」
お祖父様に、ここの状況も確認して来いと言われたしね、と辺りを見渡し、リオはなにかを納得したかのように小さく頷く。
「シオンから、いろいろと報告は受けていたんだけどね」
(……シオンが……)
アリアの母親に娘を任された手前、律儀にもアリアに付き合ってここに留まり続けていたシオンだが、ルークへいろいろと指示を飛ばしていたのは知っていた。けれど国王やリオたちにまで報告を送っていたなど、どれだけ優秀なのだろう。
「二十日病の爆発的な感染も抑えられ、すでに収束に向かっている」
全部、アリアのおかげだって聞いてるよ?と微笑まれ、アリアはぶんぶんと首を横に振る。
「私は、なにも……っ!」
薬を精製したのはルークたちで、その為に必要な薬草を輸入したのはシオンの手腕だ。そう、もう何度目になるかわからない訂正をすれば、リオは「そう?」と悪戯そうな表情で口元を緩めていた。
と、そんなリオの姿にはっとして、アリアは慌てて周囲へと視線を廻らせる。
「リオ様……!ここにいらっしゃるなら防護服を……っ」
もうほとんど心配ないとはいえ、隣の大広間にはまだ感染者たちが養生しているこの場所は、俗に言うイエローゾーンというやつだ。
「大丈夫。もう外に出るから」
視察に来たのに長居できなくて、と申し訳なさそうに謝りながら、リオは屋外へと促すルイスに付き従われて外へと足を向ける。
「アリアと……、シオンも外へ」
そして去り際に振り向いたルイスから着いてくるように言われ、アリアは素直にその指示に従っていた。
「……リオ様……っ!」
「アリア」
防護服を脱ぐ手間がある為、少し遅れて追い付いてきたアリアに、リオは柔らかな笑みを向ける。
「なにかご用件でも?」
「これから結界魔法を行使するのに、アリアにも手伝って貰おうかと思って」
「私が?」
「うん。できると思うよ?」
リオの優しいその眼差しは、それを肯定させるだけの力を持っている。リオができると言っているのだからできるのだろうと、そう思わせるなにかがある。
「この地区の人々には、今まで本当に大変な思いをさせてきた」
そもそもは、この土地で王家に反する魔王信仰が浸透してしまったことが始まりだが、それからの長い月日を考えると、それを免罪符にずっとこの土地の人々を見捨ててきたようなものだと、リオは苦しげな表情を浮かばせる。
「今回の病の発症は決していいことではないけど、おかげで悪しき過去を精算することができる」
シオンからの報告を受け、すぐにこの地の歴史的背景の考察に取り掛かり、法改正を願い出て、やっとここに来ることができたという。
「この地に簡易結界を張ってくれたのは、シオン、君だろう?」
「え?」
近くで沈黙を貫いたままでいるシオンへと向き直り、リオは確信的な瞳を向ける。
(シオンて、そんなこともできるの!?)
「……専門外だ」
「応急措置としては充分だよ」
この地には低級の魔物が出ることがあるとは確かに聞いていたような気がする。感染症を前にすっかり失念していて、魔物に関する対策など全くしていなかった。
(そんなことをしていたなんて……)
全く気づいていなかった。
自分の知らぬ間に結界が張られていたことも、シオンがそこまで大きな魔法を行使していたことも。
「これでやっと、この区域をきちんと王家の庇護下に入れることができる」
今日はその為にやってきたのだと言って、リオは俗に"結界石"と呼ばれる五角形の水晶のような石を取り出した。
この国は、幾重にも結界を張り巡らせることで魔物の侵入を防いでいる。その中で、一番外側にあると言われている第一の結界が、国全体を覆っている一番大きなものだ。
高位魔族を大きな魚に例えるならば、下級は小魚だろう。目の大きい網を張り巡らせていると思えばいいだろうか。その為、それだけでは低級の魔物がすり抜けて来てしまう為、さらに高位の結界を地域ごとに幾重にも張り巡らせている。
だが、過去の因縁からこの土地だけは例外になっていた。だから時折低級の魔物が出没する騒ぎが起きていたのだ。
「アリア。手伝ってくれる?」
「……私はなにをすれば?」
魔物の侵入を防ぐ結界魔法など使ったことはない。光属性の高等魔法であることを思えば、アリアにも素質はあるかもしれないが。
「一緒に祈ってくれればそれでいいよ」
後は僕がアリアの力も借りて組み上げるから、と微笑んで、掌の上へ乗せた結界石をアリアの前へと差し出してくる。
「……はい……」
そうしてリオが目を伏せたのに習って、アリアも祈るように瞳を閉じる。
(みんなが幸せになりますように……)
魔物の脅威に晒されることなく、幸せな笑顔が曇ることのないように。
それは、アリアが"もう一つの記憶"を得た時からずっと願っていることだ。
アリアとリオの体を眩い輝きが覆い、それが結界石へと収縮していく。それからふわりとした光が舞うと、ぱぁぁ……っ!と光が世界に弾けた。
「ありがとう、アリア」
成功だよ、と向けられた微笑みはどこまでも優しくて、頬に熱が籠るのを感じる。
(さすが正真正銘の王子様……!)
一つ一つの仕草が眩しすぎて、とても直視できそうにない。
「これからこの地は貧民層なんかじゃなくなるよ」
ここに住まう人々へと王家からも救いの手を伸ばすと言って、リオは近い未来の人々の笑顔へと思いを馳せる。
「よかった」
そうしてアリアがリオのその言葉にほっと胸を撫で下ろしたその瞬間。
「アリア!今の光……っ?!」
先ほどの光に驚いて外に出たのか、アリアたちの方へと駆け寄ってきたイーサンは、アリアの姿を見るなりその目をさらに大きく見開いていた。
「ア、リア……?」
「そうよ?」
茫然とアリアの頭から足の先まで見つめてくるイーサンに、アリアはなにを驚いているのかと小首を傾げてみせる。
「……や、その……」
「?」
「……素顔、初めて見た、から……」
「!」
口元へと手をやって、ほんのり頬を染めて呟かれたその言葉に、アリアは「あぁ!」と合点がいく。
「そういえば、ずっと防護服を着てたものね」
四六時中着ていたわけではないが、イーサンの前ではずっと、防護服か白い割烹着のようなものに身を包んでいたことを思い出す。
髪まで纏めて仕舞っていたのだから、素顔のアリアを見て一瞬誰だかわからなかったとしても、それは仕方のないことだろう。
「……こんな綺麗だったなんて」
金色の長い髪が太陽の光を受けてキラキラ輝き、アリアの綺麗な容姿を益々際立たせる。
「そんな、誉めすぎよ」
「いや、ホントに……っ」
それから言葉を失ったかのように口をつぐんで数十秒。
はっと我に返ったように、アリアの背後に佇む存在感がありすぎるほどの存在に、イーサンは恐る恐る口を開いていた。
「……アリア、こちらの方は……?」
そういえば、さっき会った時から気になっていたのだとちらちらと伺う視線を投げるイーサンに、アリアもうっかり紹介すらしていなかったことを思い出す。
「こちらは……」
「この方は、リオ・オルフィス様。未来の国王になられる方と私がお慕いしている方です」
「ルイス……!」
アリアの言葉に割って入った淡々とした低い声に、嗜めるようなリオの驚きの声が響く。
(それ言っちゃうの!?)
まだただの王族でしかないリオにそんな発言をしてしまったら、下手をすれば次代の国王を狙う国家反逆罪とも取られかねない失言だ。
「……じゃ、じゃあ、こちらの方は……?」
けれど、返ってきた答えの余りの衝撃に動揺を隠せないでいるイーサンは、その言葉の意味を深くまで理解することのないまま、だとしたらその王子様と親しげに話しているアリアは何者だと、至極真っ当な疑問へと行き着いていた。
「アクア公爵家の御令嬢と、ウェントゥス公爵家の御子息だが?」
それがなにか?と冷静な眼差しを向けてくるルイスの容赦ない解答に、イーサンは途端あわあわと慌て出す。
「オレっ!散々無礼な真似を……っ!」
放っておけば土下座でも始めそうなイーサンの慌てように、アリアは無礼な真似とはなんだろうと首を捻る。
「気にしなくていいわよ」
別段、不快になるような行為をされた覚えはない。隠していたのはこちらの方だし、気にしなくていいと苦笑いを漏らせば、イーサンは益々肩を縮めてしまっていた。
「アリア」
「はい」
そこへ、リオから真面目な声色で呼び掛けられ、アリアは気持ちを正してリオの方へと向き直る。
「お父上も心配してる。後は他の者に任せて家に戻ってあげてくれないかな?」
前半は真剣に。けれど後半は困ったように微笑まれ、アリアもどうしたものかと困惑の色を顔に貼り付ける。
「リオ様……」
それにイーサンが背後で何度もコクコクと頷いて、
「充分して貰いましたから!後は自分達でなんとかできます!」
と、慌てた口調でアリアへ帰宅を促していた。
「アリア。一緒に帰ろう」
準備しておいで、と優しく微笑まれてしまえば、その強制力にアリアが逆らう術はない。
そうして元より少ない私物を纏めるのにはそう時間がかかるものでもなく、アリアは後ろ髪引かれる気持ちを残しつつ、その場に残る人々と別れの挨拶を交わしていた。