微笑みは哀しみの先に
ぼろぼろと涙が溢れた。
これだからこの能力は嫌いだと、シャノンは唇を噛み締める。
他人の感情に同調し、自分の心を揺さぶってくる。
泣いているのは、自分じゃない。
恐怖にその小さな身体を自分自身で抱き締めているのは自分じゃない。
自分は、他人の過去を追体験しただけだ。
シャノン自身はなにも失ってなんかない。
少しだけ事情はあるけれど、それでも確かに自分を愛してくれる家族がいて、ずっと隣にいてくれた親友がいる。
それに……。
――『後はお願い』
泣きそうに微笑む少女の姿が目に浮かんだ。
「……なんで泣いて……」
「泣いてんのは俺じゃないっ」
動揺に揺れるギルバートの瞳に、シャノンは泣き濡れた双眸にキッ!と鋭い力を込めた。
幼い日のギルバートの絶望を知ってしまった。
幼い子供が、惨殺された両親の姿を目の前にして正気を保っていられるはずがない。
それでも、ギルバートをこの世に繋ぎ止めたのは。
涙が止まらない。
ツライ。クルシイ。
でも、これは自分の痛みじゃない。
「……シャノン……」
そっと心配そうに触れてくる親友に、乱暴に涙を拭う。
絶望を味わった。
復讐を誓わなければ生きていけなかった。
それでも。
「……わかるかよ!」
――わかりたくない。
嗚咽に上手く言葉にならない声を張り上げて、シャノンはギルバートを睨み付ける。
辛かった。苦しかった。孤独に耐えられなかった。
幼い自分を抱き締めてくれた温もりはもうこの世には残っていない。
けれど、ギルバートだって、本当はもうわかっているはずだ。
あの日欲しかったもの。手に入らなかったもの。
「アイツを犠牲にしなくちゃ成り立たない望みなんてわかって堪るか……!」
「……っ!」
ギルバートが目を見開いて、ぐっと拳を握り込んだ。
「俺は認めない……!」
後はお願い、なんて。
幼いあの日の絶望から幼子を救って、なんて。
そんなの、自分でやればいい。
どうして自分がそんなことをしてやらなくちゃならないのか。
「そんな復讐なんて、捨てちまえ……!」
わかってる。
これはただの八つ当たりだ。
後悔、しているから。
怖がっていないで、最初から自分が全てを視んでいれば、こんなことにはならなかった。
アーエール邸の残留思念をもっとしっかり視んでいれば、罠のことさえ見抜けたのに。
半分背負うと約束したのに。
肝心なところで逃げて、守られた。
それが悔しくて堪らない。
ギルバートだけのせいじゃない。
自分だって、同罪だ。
こんな結末を迎える為に、ここに来たわけじゃない。
「……アイツは、なに一つ自分の為に動いてない……」
ギルバートをその哀しみから救い上げたいから。
もう一つの大きな世界を、絶望から解き放ちたいから。
自分のことなんてどうでもよくて。
全部全部、後のことはお願いと。
なんの躊躇いもなく自分を犠牲にして微笑ってみせる。
自分が助けられることなんて考えていない。
全部、誰かの為に。
「……守れなかった」
望みは、たった一つなのに。
「……アイツのことは助け出してみせる」
静まり返った部屋の中。ギルバートは決意に満ちた強い光をその瞳に宿していた。
「……だから、泣くなって」
「俺が泣きたくて泣いてるわけじゃない……っ」
気の強さは相変わらずで不貞腐れたように声を上げるシャノンへと、くすりと自嘲気味の笑みが漏れた。
全部知っていると言っていたあの少女も、こんな風に自分の為に心の中で泣いてくれていたのだろうかと思う。
自分の意志であの場に残ったのだとしても、そのまま放っておくことなどできるはずがない。
けれど、そう心を決めたギルバートの横で。
『なにを言っている』
本気で理解不能だと困惑さえ浮かばせて、目を丸くした相方がギルバートへと責めるような瞳を向けていた。
『せっかくあの女が作ってくれたチャンスだ。今すぐ最後の宝玉を奪りに行くべきだろう』
残る宝玉はたった一つ。
ずっとそれを望んでいたアルカナは、全てが揃うその瞬間が、なによりも待ち遠しくて仕方がないのだろうことはわかるけれど。
「なに言っ」
『あの女のことは切り捨てろと言っている』
「なん……っ?」
あと少しなのだから、いっそもう少しくらい待ってくれてもいいだろうと。さすがにそれはどうなんだと戸惑いの色を見せるギルバートへと、容赦ないアルカナの言葉が重ねられる。
『お前の望みはその程度か?』
たかが女一人の為に捨てられる程度の望みだったのか?と、眇られた双眸を向けられて、ギルバートは絶句する。
ここまで宝玉を集める中で、あの少女は一番の協力者だった。
それを、こんなに簡単に捨て置けなどと。
『むしろ捕まった以上足手まとい……、邪魔なだけだ。なんなら口を割る前に、俺様が消してきてやる』
「――っ!?」
あまりにも冷酷な言の葉に、全員が己の耳を疑い、今のは聞き間違いだろうかと動揺する。
けれど。
「仲間だろう……っっ!」
『仲間?』
相棒から叫ばれた批難の叫びに、アルカナはぴくりと眉を反応させる。
『なんだそれは』
「――っ!」
アルカナは魔物。
人間の常識はその思考回路に当てはまらない。
そんなことはわかっている。
わかっている……、はずだった。
「……アイツになにかしたら許さない」
命令だ。と、契約の名の元にアルカナの行動を制約する。
ぞわりと、冷たいナニカが背を這った。
そうキツく命じなければ、本当にひっそりとその言葉を実行してしまいそうで。
『邪魔なものは排除する。今までだってそうして来ただろう?』
自分の望みの為に。
出逢った魔族を片っ端から殲滅して回っていた。
アルカナには、それとなんら変わらない思考回路。
むしろ、相方のその反応こそ理解に苦しむもの。
「……それは、相手がオレだったとしても、か?」
僅かに見張られた瞳と。
歪んだように口元が笑みの形を作ったのは、きっと気のせいなのだと思いたい。
死角で握り締められたシャノンの手。
シャノンも、ギルバートの過去を知った。
このままアルカナを断罪してやりたい気持ちに胸が焼き切れそうになるのを、シャノンは必死で押し殺していた。