絶望は暗闇の中に
咄嗟に転移した場所は、ギルバートの屋敷だった。
「なんで……!」
誰を責めていいのかわからない、悔しげなノアの声が上がる。
「くそ……っ!」
壁へと拳を叩きつけたギルバートは、恐らく自分が何故ここまで追い詰められた感情に駆られているのかわかっていない。
「……っざけんな……」
最後にアリアへと視線を投げた時と同様、シャノンは他のメンバーとはまた別の意味で唇を噛み締める。
冷静さを欠いた三者三様の感情が入り乱れる中。
「……お前らは少し冷静になれ」
「アラスター!」
驚くほど厳しい声色で向けられた台詞に、シャノンは咎めるような目を向けていた。
「……あそこは一旦退くべきところだ。全員捕まったら元も子もない」
「だからって……!」
「この後助けに行くことを考えても、一度身を退くべきだった。間違ってない」
冷静な状況判断を下すアラスターの言い分はなに一つ間違っていない。
あの状況で一番避けるべきことは、全員が捕まること。アリア一人であれば、後から奪還することも考えられる。……とはいえ、正体が割れてしまった以上、何処まで逃げられるかはわからないけれど。
「……でも……。……アイツは、助けられることを望んでないかもしれない……」
ぐっと強く拳を握り締め、シャノンは唇を震わせる。
元よりアリアは、全て終わったらその罪を告白する気でいた。
国の為、ギルバートの為、全てを一人で背負うつもりで。
だから、さっきも自分にあんなことを。
「……なにを視た」
先程のアリアの行為の意図を見抜いて、ギルバートが厳しい視線をシャノンに向ける。
「教えろ」
「……アクア家の秘宝が隠された場所。その入手方法。後は俺たちだけで手に入れられるように」
アリアが知り得る限りのアクア家の情報全てをシャノンに与えた。どんな間取りで何処になにがあり、目的を一番スムーズに遂行する為にはどうしたらいいのか。
アリアがいなくても、その情報を受け取ったシャノンであれば、アリアと同じように案内できる。
そして。
「……アイツが捕まった騒ぎに紛れて、すぐに行動に移れって」
時間が経過すれば、最後のターゲットであるアクア家にはこれまでにない厳重な警備体制が敷かれるだろう。
今であれば、犯人の一味が公爵令嬢だという種明かしに、上層部はかなり動揺しているはずだ。
自分が意識を引き付けて時間を稼いでいる間に早く最後の一つを入手して欲しいと、アリアはそれを望んでいる。
「……あとは……」
一度に渡された情報量が多すぎて、すぐにシャノンの中で気持ちの整理がつかない。
それでも、シャノンに願ったアリアの望みは。と、目の前のギルバートへと視線を投げ。
「あとは?」
「……言えない」
しばらく悩むような仕草を見せ、シャノンはきゅっと唇を引き結んでいた。
「あ?」
「……アンタのせいだ」
不快そうに眉を潜めたギルバートへと、シャノンは呟きにも似た声を洩らす。
アリアから受け取った、最優先事項の願い事。
今までずっと、アリアが決して口にすることのなかったもの。
ずっとずっと吐き出したくて、それでも自分の内に秘めておくことを決めさせていたのは。
「アイツが黙って全部一人で抱え込んでるのはアンタの為だよ……!」
真実を告げることに口をつぐんでいたのは、ギルバートの為を思ってだ。
なにも言うことなく、ただ傍にいて。
ギルバートが、これ以上苦しめられることがないように。
ただただ、それだけを祈っていた。
「なんだよ……っ、復讐とかくだらない……!」
「!?」
直接的なシャノンの言葉に、ギルバートの瞳が大きく見開かれる。
知っていて、アリアはなにも言わなかった。
否、全て知っていたからなにも言わずに傍にいた。
その心を守るために。
シャノンだって、気づいていた。
飄々としたギルバートが、何処か余裕がないことに。なにか、深い闇を抱え込んでいることに。
だからといって、アリアの望みを叶えてやりたいとは思えない。
シャノンに、ギルバートを頼むと。
どうか、その闇から救ってやって欲しいと。
そんなこと、シャノンの知ったことじゃない。
「お前になにがわかる……!」
自分の過去が暴かれた衝撃に、ギルバートの口から感情的な声色が放たれる。
あの少女は、ギルバートの目的を知っている、と初めて会った時から言っていた。
それならば、精神感応能力を持つシャノンがそれを知ってもおかしくない。
「わかって欲しいなら視んでやる、っていつも言ってる……!」
喧嘩腰のそれは、すでに売り言葉に買い言葉だ。
「なん……っ!?」
シャノンから伸ばされた手に、ギルバートは反射的に逃げを打つ。
「やめろ……っ!」
*****
嵐の日だった。
それでも夜の間に嵐は過ぎ去って、幼いギルバートの誕生日である次の日には晴れやかな陽の光が差し込むと予想されていた。
真夜中に、身の凍るような冷たさを感じたのは何故なのだろうか。
"死"の予感を、本能で感じたのは。
「……おとうさん……?おかあさん……?」
とても嫌な空気の感触に目を覚ました幼子は、温もりを求めて廊下を彷徨う。
なぜか、心臓がドクドクと音を鳴らす。
冷たい空気と、鼻についた奇妙な匂い。
嗅いだことなどないその臭いを、なぜ血の匂いだと……、死臭だと思ったのだろうか。
それはもはや本能だ。
火を灯すという選択肢はなく、明かりのない真っ暗闇に満たされて、部屋の中だというにも関わらず、ぴちゃ……っ、と足元で水溜まりが跳ねた。
カ……ッ!と落ちた稲光に、ほんの一瞬、窓から光が室内を照らし出し。
「――っ!」
ほんの一瞬目に飛び込んだのは、血溜まりの赤。
父親らしき頭と、母親らしき頭が二つ。ほとんどその面影を感じられないほどに、無造作に足元へと転がっていた……、ような気がした。
「……おとぅさ……?……おかぁさ……?」
今、自分が目にしたものはなんだろうと、壊れそうなほどの緊張感に心臓が叫びを上げる。
ドクドクという身体中を巡る血の音に、他のなんの音も耳に入ってこなかった。
再び、カ……ッ!と室内へと光が差し。
「……ひ……っ」
広がった光景は、赤、あか、アカ。
暗闇の中、小さな金色の双眸が、幼子の姿を捕らえていた。
幼い子供が、咄嗟に両親の無事を確認するよりも、「死にたくない」と思ってしまってなにが悪いだろうか。いっそのこと一緒に死んでしまいたかったと、そう思ったのは正気を取り戻し、現実を見せつけられてからだ。
――『お前の両親は殺された』
ガタガタと、身体が震える。
――『死にたくないか?』
ガチガチと、歯が鳴った。
――『ならば我と契約せよ』
脳へと直接響く声は、死神のものか悪魔のものか。
――『お前は、なにを望む』
金色の二つの瞳が妖しく光る。
――『我の望みと引き換えに、汝に力を与えてやろう』
悪夢を見ているのかと思った。
けれど、悪夢にしては感じる恐怖が酷くリアルで。
現実にしては、目の前の光景はあまりにも遠いものに見えた。
それでも、ただ一つ確かなことは、ここにはたった一人だけ、ということ。
「――――――っ!!」
なにを叫んだのかはわからない。
ただただ、ひたすらに。
――助けて助けてたすけてたすけてタスケテタスケテ……!
手を伸ばしても、自分を包み込んで守ってくれる腕はもう冷たくなっている。
――……なにが起こったの。なにが起きるの。
あまりの恐怖と両親の死の衝撃に、頬に涙が伝っていることさえ理解できない。
胸が苦しい。息が喘ぐ。
ツライ。クルシイ。
息ができない。
――誰かタスケテ。
たすけて、タスケテ。
誰でもいいから。
求めた温もりは、もう二度と手に入らない。
――『復讐を望むか?』
絶望の中で見出だした生きる糧は。
――『汝に、力を与えよう』
悪魔の囁き。
それがさらなる地獄へと続いているものだとしても、その時その幼子を救う力を持っていたのはその悪魔だけ。
その場で思考を放棄して、狂っていたとしてもおかしくない。
少なくともそれを繋ぎ止めたのは。
――誰かタスケテ。
――孤独はいや。
今だ小さな子供がギルバートの中で泣いている。
あの日失った温もりを求めて、小さな指先を伸ばしている。
――『貴方の目的を知ってるわ』
なにも見えない暗闇の中、その指先に仄かな暖かみが宿ったのは。