全てを敵に回しても
「待たせて悪かったな」
日が落ちた頃にユーリを寮まで送り届ける為に馬車で学園へと戻ると、そこには二人を待つシオンの姿があった。
「いや……、そこまでは待っていない」
どうやら一度家に帰った後に頃合いを見計らってやってきたようなのだが、どんな連絡手段を使ったのだろうとアリアは心中首を捻る。
この世界には"使い魔"的な魔法も存在するが、アリアとずっと一緒にいたユーリから、そんな魔法を使った気配は感じられなかった。
「こんな堂々と浮気を許すヤツもなかなかいないよな」
考えてみれば当たり前のことだけれど、ユーリはきちんとシオンに許可を取った上でアリアを"デート"に連れ出していたらしい。
けらけらと悪気のない瞳で楽しそうに笑うユーリに、シオンは小さく肩を落とす。
「……お前でなければ許してない」
それにユーリは嬉しそうな笑顔を浮かべ、「わかってる」とシオンに一つ頷くと、シオンとアリア、二人の方へと順番に顔を向けていた。
「じゃ、オレは、帰るけど」
学園内にある寮へと向かい、ユーリは歩き出していく。
けれど、数歩歩いたところで振り向いて。
「喧嘩だけはするなよ?」
「!」
なぜか人差し指を立てて真面目な顔で告げられて、アリアは思わず目を丸くしてしまっていた。
自分が乗ってきた馬車は帰してしまったというシオンを乗せ、アクア家の馬車はウェントゥス家への寄り道を余儀なくされていた。
馬車を帰したのはアリアと二人で話す時間を作る為の計算なのかもしれないが、すでに帰りは遅くなるとは連絡済みの為、そこまで焦るものでもない。
ただ、このタイミングでシオンと二人きりにされるのは、少しだけ気まずい心地がするのも拭えない事実だった。
「……少しは気が晴れたか?」
シオンもまた、ユーリと同じようにここ最近のアリアの精神的不安を感じ取っていたのだろう。
溜め息混じりでそう問われ、アリアは少しだけ動揺する。
「……シオン……」
気分転換、とユーリは言った。
それは、一時的にアリアの気持ちを軽くさせても、根本的な問題が解決したわけではない。
「お前はなにを隠してる」
いい加減話せ。と向けられた瞳は、その言葉の割にアリアを咎めるようなものではない。
ただ、アリアの不安を取り除こうと、それだけの為に促してきていることがわかってしまって、アリアはスカートの裾部分をぎゅっと握り込んでいた。
「……怖いの」
アリアの記憶そのものを告げることはできなくて、ただそれだけを口にする。
記憶を告げることができないのは、「怖い」からだ。
なぜか、酷く恐怖心を煽られる。
その理由がわからない。
「なにがだ」
一体なにが怖いのか、アリアにもわからない。
向けられる真摯な瞳に俯いて、アリアは唇を震わせる。
ただ、一つだけ。わかっていること。
かなりの沈黙があり、アリアはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「…………"運命"に、逆らってる……」
そもそも"ゲーム"の"ストーリー"を"運命"というならば、"メインルート"は確かにユーリがシオンと結ばれる結末だけれど、他の対象者と迎える"エンディング"だって存在している。
この"ゲーム"において誰とも結ばれない結末は"全滅エンド"になってしまうから、必ず"誰か"とは想いを添い遂げなければならないけれど。
ユーリがシオン以外を選んだ時には、きっとシオンは婚約者であるアリアとそのまま結婚しているのではないかと思うから、なにが"運命"かと言われてしまえばそれはわからない。
けれど、ユーリが誰を選んでも、きっとシオンの気持ちはユーリに明け渡したはずのまま。
だから、シオンにこんな風に想われるのは、アリアではなく、ユーリだったはずなのに。
「運命?」
そもそも初めからそんなものを信じていないシオンには、アリアの言うことは"理解不能"の一言に尽きるけれど、それでもアリアが怯えるのならと、シオンは目の前の少女を抱き寄せる。
「……オレは、お前とこうしていられるのなら、運命にも神にも逆らってみせる」
視線の下にある少女の額に口付けて、シオンはアリアの顎を取るとその顔を正面から覗き込む。
「シオ……」
「それで天罰が下ろうと、お前を手に入れられるのであれば、なにを犠牲にしても構わない」
不安的に揺れる瞳に、ゆっくりとその唇を親指の腹で辿っていく。
「アリア……」
「ん……っ」
静かに唇へと己のソレを重ねれば、アリアは怯えたように肩を震わせる。
そんなアリアの反応は初めてで、シオンは腕の中に抱き留めたその存在が何処かへ消えてなくならならないよう、より一層強くその華奢な体を抱き締めていた。
「お前さえ腕の中にいるのなら、なにを失っても怖くない」
嘘偽りない切実なその言の葉に、アリアの瞳がゆらりと揺れる。
「オレの全てをかけて守ってやる」
「シオ、ン……」
強く、強く、抱き締められて、痛いくらいの抱擁が、むしろ気持ちいいと思ってしまうのはなぜなのだろう。
「ん……」
唇へと落とされる熱に逆らえない。
「絶対に離さない。お前を怯えさせるものがあるのなら、全て取り払ってみせる」
自分に向けられる想いの強さに泣きたくなる。
本来これは、全て他の人に向けられるはずのものだったのに。
「それでも、怖いか?」
オレが信じられないか?と真っ直ぐ射抜いてくる瞳と言葉が全身へと染み込んでくる。
どうして自分が、とは思うけれど。
シオンの気持ちそのものを疑ったことはない。
「シオン……」
「……愛してる」
トクン……ッ、と。
小さな鼓動が胸打った。