導かれし者 ~ユーリ・ベネット~
(なんでこんなところに……!?)
少年にしては高めの声。華奢で小柄な、少女と見違えるほどの可愛らしく綺麗な顔。
まだ動き出していないはずの"運命"に、アリアは呆然と立ち尽くす。
けれど、すぐにはっと我に返り、
(そうだ、シオン……!)
アリアは隣に佇む長身を見上げていた。
(……固まって、る……?)
滅多に感情を表に出さないシオンの顔は相変わらずの無表情で。けれど、よくよく見れば動きを止めてしまっているのが見て取れる。
(……多分、他の人なら誰も気づかないけど)
恐らくそれは、主人公が途中転入で学園にやってきた時と同じ反応かもしれない。
「……"ユーリ"……?」
名前は男女どちらにも使うもの。
確かめるように呟かれた低い声は、誰に向けられたものだろうか。
名前は男女兼用で。だからこそ、運命の再会を果たすその時までずっと、シオンは初恋の相手は女の子だと信じて疑っていなかったはずだ。
今のユーリも確かに美少女そのものだけれど、着ている服と醸し出す雰囲気は、しっかりとした男の子だ。
(えぇぇぇー!?どうしよう!?)
再びどうしていいかわからなくなって、アリアは内心泡を吹く。
二人の過去と、そして未来を知っているからこその混乱だ。
けれど、アリアとシオンの其々の葛藤など知るよしもないユーリは、腰に手をやりぷんぷんとお怒りモードでイーサンに詰め寄っていた。
「イーサン!お前、迎えにくらい来いよ!?」
どこに行ったかと思っただろ!?
そう声を上げるユーリは、見た目に反してどちらかと言えば口が悪いかもしれない部類に入る。
(……そういえば、基本はちゃんと"男の子"なのよね……)
美少女度数80パーセント、お子様度数60パーセント、そして男前度数130パーセントが、ユーリの基本ステータスだ。
「……えっと……、お知り合い……?」
「お前らに会う少し前にな」
思わずイーサンに問いかければ、イーサンは苦笑してこれまでの経緯を簡単に説明してくれた。
「オレにできるのはこれくらいしかないと思ったからな」
医者としての知識もないし、財力もない。そんなイーサンにできることは、余裕がありそうな富裕層に助けを求めるくらいのことだった。
そして辺りを彷徨うイーサンの近くに通りがかったのが、ユーリ親子を乗せた大きな荷馬車だった。
イーサンはその荷馬車を止め、援助して欲しいと直談判をしたという。
(まぁ、確かにユーリの性格からして放っておいたりはしないだろうけど……!)
助けを求められて無視できるような性格ではないはずだ。ユーリは優しく正義感が強く、見た目に反して男前。そんな魅力溢れる主人公だ。
「で、救助物資を届けてくれるって話になってて……」
ユーリの実家はそれなりの富豪だ。
助けを求めた相手としては、大幸運にして大正解と言っていい。
そうして約束通り荷物を纏めて言われた場所へと来たところ、イーサンの姿がどこにも見えなかった。その為痺れを切らしてこうして探しに来たのだという。
「ごめんなさい……。私のせいよね」
イーサンがここにいるのはアリアのせいだ。
お冠のユーリへと申し訳ない気持ちになって謝罪すると、それに気づいたユーリが慌てたように手を横にぶんぶん振ってくる。
「そんなつもりじゃ……!」
その振動で柔らかな猫っ毛がふわふわと揺れて、アリアはくすりと小さく微笑う。
(やっぱり主人公はオーラが違うわね)
そこに存在するだけで周りを明るい空気にさせる。
きっとみんな、そんなユーリの輝きに惹かれていくのだろう。
「それでユーリ……」
と、これ以上話を脱線させるわけにはいかないと、窺うように向けられた視線に、ユーリは「そうだっ」と大きく同意する。
「父さんに頼んで、布団とか食材とか、少しだけど」
荷馬車に乗るだけ持ってきた、と、荷馬車を停めたところまで来て欲しいと促して、けれどその表情はすぐに曇ってしまう。
「でも、さすがに薬は……」
悔しげに噛み締められた、艶やかなピンクの唇。
それに反応したのはアリアではなく、珍しくシオンの方だった。
「それなら大丈夫だ」
「え?」
振り向き、不思議そうに見開かれる大きな瞳。
「少しだが薬は持ってきた。この後医者と一緒に追加分の薬も届くだろう」
先ずは重傷者から先に投与しろと言って、シオンはアリアと共に小走りになりはじめたユーリの後を追う。
「あ、ユーリ。こっちはアリアにシオン。お前と知り合った後にここで会ったんだ」
そこでふいに自己紹介もしていない面子に気づいて、イーサンが簡単に説明する。「信用できるよ」と続けられた言葉に、ユーリは再度アリアとシオンの方へと振り向くと、
「オレはユーリ。よろしくなっ」
にこりっ、と笑ってみせる。
ちょうど背後になった太陽から光が降り注ぎ、まるでユーリ自身から光が溢れているかのようだ。
その輝きにアリアはさすが主人公だと感嘆し、チラリとシオンの様子を窺う。するとそんなユーリの姿になにか思うところがあったのか、シオンは無表情のまま前を走るユーリのその背を見つめていた。
「……」
「……知り合いじゃないの?」
過去の幼いユーリの姿と今のユーリでも重ね合わせているのだろうか。
そんなことを思い、アリアは悩んだ末にそっとシオンに問いかける。
「……どうしてそう思う」
「……なんとなく……?」
幼い頃から秘められてきた宝物のような思い出は、他人が簡単に暴いていいようなものじゃない。
だからそれ以上のことは言えずに、けれどこのままどうするのかとも思う。
「……」
チラリ、と、一瞬だけ前方へと投げられた視線。
「……人違いだ」
「………そう」
シオンがなにを思い、なにを考えているかはわからない。
ただ、これ以上人の気持ちに土足で踏み込むような真似はできないことだけはわかっているから、アリアはなにも気づかなかったふりをする。
今は、目の前に山ほど積み上がっている問題を解決する方が先だ。
「こっち……!」
小高い丘を越えた先。大きな荷を積んだ馬車が見える。
「数は足りないかもしれないけど、それなりに布団とか食料はあるから」
先ほどの部屋まで持ち込んで、患者を受け入れる為の救護施設を作る。
どうにかして馬車ごと近くまで運べないだろうかと考えて、ふとアリアは思い出す。
「ユーリ!これ着てくれる?」
当然といえば当然だが、ユーリは会った時から無防備だ。
(……まぁ、ユーリは絶対に感染したりしないと思うけど)
主人公が"ゲーム"開始前にリタイアなどということはあり得ない。とはいえそんな理由で一人だけ放置するわけにもいかず、アリアは例の防護服をユーリへ手渡した。
「そういえば、お前ら変な格好してんな」
なにこれ?と、それを広げながら今さらの質問を投げかけて、ユーリは訝しげに眉根を潜めてみせる。それに手早く感染対策である旨を伝えると、とりあえずユーリも納得してくれたらしかった。
そうしてルークが連れてくるであろう援軍を待つ間に、部屋の準備と患者人数の把握などを努め、感染者の受け入れ体制は滞りなく整っていった。
*****
「うん、いい香り」
やっぱり病人にはお粥よね、と、アリアはぐつぐつと煮立った大きな鍋を前にして、満足気にお玉を持ち上げていた。
鮭や野菜も入れた、ヘルシーながら栄養バランスも考えられた、最高の一品だ。
王家と公爵家が迅速に支援体制を整え、王家の扉を使って物資や人を最短ルートでここまで運び、環境は急速に改善していった。
それと同時にシオンがここ以外の感染者とその濃厚接触者を把握するための情報処理の指示を出し、感染者はこちらへ収容、隔離処理も驚くほど早く済んだ為、爆発的な感染危機は脱したと思われた。
「すげーいい匂いだけど、なんだこれ?」
腹減ったなぁ、と呟きながらイーサンが現れて、アリアはにこりと微笑う。
「お粥よ。消化にいいようにお米を水で柔らかくしたの」
水は例の井戸から運び込み、お米は少しだけ我が儘を言ってシオンにお願いした。
シオンとの共同事業のおかげでアリア個人の資産もそれなりにある。こんな時に使わずにいつ使うというのだろう。
「米、って……今、王都で流行りの!?」
驚いたように裏返った声を上げるイーサンに、噂はこんなところにまで届いているのかとアリアの方が驚いてしまう。
「アンタ、本当にナニモンだ……?」
そういえば、何度かされたその質問にはまだ答えていなかったことを思い出す。
さすがに防護服を着てはいないものの、料理をする為に割烹着のような白い服とマスクにメガネをしたまま、アリアはどう答えたものかと思考を廻らせる。
「お貴族様、か……?」
一般的に、平民の魔力はそう高くはない。あれだけの魔法を見れば、それだけで上位貴族を疑う充分な理由になる。さらには、シオンに至ってはどう見ても上層部から供給されているらしい物資や派遣されてくる医者へと指示を出しているのだから。
「……身分だけ高くてもなにもできないもの」
誤魔化すこともできずに、否定も肯定もしないまま困ったように微笑い、アリアは小さく唇を噛み締める。
「私はお医者様じゃないから患者さんに適切な処置をしてあげることもできないし、特効薬を作ることもできない」
薬を作ってくれたルークのように。全てに迅速に働きかけ、今も陣頭指揮を取っているらしいシオンのように。
アリアはなにもできていない。せめて、こうして美味しい病人食を作るくらいしか。
「……イーサンは、お医者様にはならないの?」
父親も兄達も医者だと言っていた。きっとイーサンにもその才はあるのだろうと思ってそう問いかけると、イーサンはアリアから目を反らし、足元へと低い呟きを吐き出していた。
「……なにを今さら」
落ちこぼれだって言ったろ、と、そう洩らされる声色はとても悔しげで、却ってアリアの微笑を誘う。
「だって、もし私が不治の病に倒れたら、その時はイーサンみたいなお医者様に看て貰いたいって思うから」
それは嘘偽りのないアリアの本心だ。
「貴方なら、きっと治らない病気だとわかっても、最後の最後まで諦めないでいてくれると思うから」
こうして今回、誰よりも早く人々を助けたいと奔走した人だから。
例え今その力が及ばなかったとしても、未来であれば手が届くのではないかと思う。少なくとも、今回確かにユーリを呼び寄せたのは他でもないイーサンだ。
「アリア……」
それらの言葉になにを思ったのか、目が醒めたかのような表情になって、イーサンはふっと苦笑いを洩らす。
「普通お貴族様はこんなところでこんなメシ作らないけどな?」
少なくとも「普通」の令嬢ではない自覚はある為、アリアはその指摘にくすくす笑う。
「あっ、いい匂い」
「!ユーリ」
そこへ料理の香りに釣られたようにユーリが顔を出し、アリアは「今できたところよ」と笑顔を向ける。
軽い足取りで鍋の中を覗き込み、「なにこれ?」と目を丸くするユーリに、アリアは先ほど同じ説明をしていた。
「配膳手伝おうか?」
「ありがとう」
可愛らしく小首を傾げて尋ねてくるその様に、アリアは内心悶絶したい気持ちを抑えてゆったりとした微笑みを浮かべる。
(可愛すぎてどうしよう……!)
"ゲーム"の中で自分が操作するのではなく、現実でその存在を目の前にすると、素直で可愛すぎるその魅力にアリアでさえくらくらしてしまう。
相変わらずのポーカーフェイスからはなにも窺うことはできないけれど、シオンはなにを思っているのだろうか。
「!シオン」
と、不意に音もなく現れた影に、アリアは少しだけ驚いてからにっこりとした笑顔を向ける。
「お疲れさま」
「……あぁ」
チラリと視線を投げただけで特に会話をするつもりもないシオンの態度にはもう慣れたもので、アリアも気にすることなくお玉でお粥を掬っていく。
そうして湯気の立ったお碗を受け取っていくユーリの姿を、なにか考える素振りで離れたところからじっと見つめ、ややあってシオンはゆっくりと口を開いていた。
「……ユーリ。お前、双子の姉妹とかいるか?」
「……!」
その台詞に、アリアは思わず息を呑む。
(この台詞って……!)
これは"ゲーム"内での、シオンとユーリの再会イベント発生からしばらくたった後の台詞。
対してユーリは不思議そうに目を瞬かせ、シオンに向かって小首を傾げながら言うのだ。
「オレ、一人っ子だけど?」
と。
(……ゲームのままだし……!)
"ゲーム"を始めてすぐの時はそれはなんのフラグだろうかと思ったが、その質問の意味を理解したのは、だいぶ話が進んでからだ。
以来、やたらとシオンからの視線が気になるようになるところから、二人の関わり合いは始まる。
「……そうか」
すぐにユーリから視線を反らしたシオンは、なにを考えているのだろう。
(……どうしよう……!)
こんな時に。不謹慎にもときめいている場合じゃない。
そう自分を諌めつつ、アリアは胸がドキドキ高鳴る気持ちを抑えることはできなかった。