恋模様
「アリアお姉様…っ!」
リオとの話が終わり、王宮を後にしようとしていたアリアは、廊下の遠く後ろからかけられた焦りの滲んだ少女の声に、足を止めて振り返っていた。
「シャーロット?」
どうしたの?と、いつにない年下の王女の不安定な様子に、アリアは真面目な面持ちを貼り付ける。
少し前までは、おどおどと人の陰に隠れてしまうような控えめすぎる少女だったが、セオドアと出会い、恋をしてから見違えるように明るくなっていた。
そんな少女が、少し青ざめた様子でいるのに、アリアは空気がぴんと張り詰めるのを感じてしまう。
「…っ、セオドア様を…っ」
「セオドアがどうかしたの?」
落ち着いて。と、息を切らせてアリアの元までやってきたシャーロットへと、努めて静かに声をかけ、アリアは自分もつられて冷静さを失わないようにゆっくりと肩で呼吸する。
「お見かけしませんでしたか?」
「え?」
「…いなく…、なってしまって…」
シャーロットのその言葉から、リオの話が終わったその後で、セオドアがこの婚約者の元へと足を運んでいたことを理解する。
それが、「いなくなってしまった」というのはどういう意味なのだろう。
「…なにかあったの?」
足元をみつめ、きゅっと唇を引き結んだシャーロットへと、アリアは窺うような瞳を向ける。
「いなくなってしまった」というのなら、それはシャーロットがセオドアを見失ってしまったということなのか、それともセオドアが自らシャーロットの前から姿を消したのか。
問いかけに、俯いたまま黙り込んでしまったシャーロットをみつめてアリアはそっとその顔を覗き込む。
「シャーロット…?」
呼びかけに、シャーロットの小さな身体がふるりと震えた。
「……薬を…、盛ったんです」
「…え?」
そうしてややあって口にされた告白に、アリアは目の前の王女が一体なにを言っているのだろうと、一瞬理解が追い付かないような表情をする。
「……その……、医療用に普通に手に入れられる、危険性はないものですけど…」
王宮で守られて育った王女に、"媚薬"のような違法性に近いものを手に入れることなどできるはずもない。セオドアのお茶の中へと混入したのは、妊娠を望む夫婦の手助けにもなる、男性へと処方される精力剤の類いのもの。
「…どうしてそんなこと……」
さすがに言い難そうに口ごもるシャーロットへと、アリアは驚きを隠せない。
そんなものを、婚約者の口に入れて。
一体、どうするつもりだったのか、なんて。
目の前の大人しい王女からはとても想像できなくて、アリアは戸惑いに瞳を揺らめかせる。
まさか、このシャーロットが。そんな、こと。
「…既成事実が…、欲しくて」
「"既成事実"、って…」
小さく肩を震わせて、唇を噛み締めたシャーロットへと、アリアは困惑の瞳を向ける。
「…こうでもしないと、セオドア様が離れていきそうで…っ」
今にも泣き出しそうに表情を歪め、シャーロットは小さな声色で胸が押し潰されそうな不安を吐き出した。
ーー『…駄目です、こんなこと…』
優しく髪を撫でながら、そっと離された身体。
ーー『ご自分を安売りしないでください』
そう語りかける瞳は、こんな時でさえ酷く優しくて。
ーー『大切に、して下さい』
困ったように微笑うその顔は、シャーロットには拒絶のようにも思えた。
一線を超えてしまった罪悪感からでも、愛しい人を繋ぎ止めておきたかった。
例えそれが不幸な事故だとしても、とても優しいあの人は、一生責任を取ってくれるであろうから。
その優しさに、付け込もうとした。
ーーだって、それ以外に、自分が差し出せるものなんてない。
「……気持ちはわからないでもないけれど…」
衝撃の告白に戸惑いながらも、アリアは宥めるようにシャーロットの姿を見下ろした。
あのセオドア相手に不安に思う気持ちが芽生えてしまうこと自体は仕方のないことだとは思うけれど、だからといって、なにも早急に身体の関係を作ろうとしなくてもいいだろう。
そんな即物的な繋がりなどなくとも、想いを通わせることはできる。
…と。
「お姉様だって、シオン様に抱かれているでしょうっ?」
「…っな…、ん…?…シャーロット…!?」
突然の強い問いかけに、アリアは返す言葉を見失う。
なぜ、そんなことを、シャーロットが気づいているのだろう。
とはいえ、アリアとシオンの二人は、まだ最後の一線までは越えていない。
肌を重ねても身体を繋げてはいないなど、わざわざここで否定するのも違う気がして、アリアは顔へと熱が籠ったのを自覚しながら戸惑いがちに口を開く。
「…でも、シャーロットはまだ若いのだし…」
15にも届かない子供だという発言をするのは忍びなくて、アリアはそれを誤魔化すように口ごもる。
「年齢的なものですか?結婚できる年だから、お姉様はシオン様に許したんですか?」
けれど、逆に問い返され、そこにある多少の誤解を解くこともなく、アリアは気圧されたかのように瞳を揺らめかせる。
「でも、セオドアは紳士だから…」
例えそれが建前だとしても、王族や貴族に婚前交渉はないものとされている。
だからきっと、真面目で優しいセオドアは、正式に婚姻を結ぶまでは相手に手を出したりはしないだろう。
だから、自然と導き出される答えにそう言えば、
「それはお姉様の思い込みです」
きっぱりとその発言を否定され、アリアは僅かに目を見張る。
弱々しかったシャーロットの双眸が、真っ直ぐアリアをみつめてくる。
「想う人を前にして、抱きたいと思わない男性なんていません」
「シャーロット!?」
まさか大人しかったこの王女がそんなことを口にするとは思えずに、アリアは大きく息を呑む。
「…お姉様が…、知らないだけです」
初めて出逢ったあの日から。ずっとずっと見ていたから。だから、シャーロットは知っている。
アリアに触れるセオドアの手は、幼馴染みの気安いようでいて、本当はとても気を遣っていることを。
まるで、触れれば離したくなくなることを知っているかのように、そこには怯えさえ見て取れるほど。
それでも触れたくて、何気ない風を装って、気さくな雰囲気を貼り付けながら、本当は恐る恐る触れているのだ。
シャーロットは、気づいている。
「…好きなんです…、あの方が…」
どうしようもなく胸に込み上がる想いに、シャーロットは己の胸元を握り締める。
とても、切なくて。苦しくて。
どうしたらいいのかわからない。
ただ、願いは一つだけ。
「奪らないで……っ」
奪るもなにも、今、シャーロットの目の前にいる少女には、別の婚約者がいる。
それはとても、他の人間が入り込めるような隙などないほどに。
けれど、それでも焦燥感は拭えない。
「…シャーロット……」
一体、なににセオドアを奪われると思っているのだろう。
半分泣きながら訴えられたその願いに、アリアは返す言葉を持っていなかった。
*****
なぜそこにセオドアがいると思ったのか、それはわからない。
確証などはなにもなかった。
ただ。
ーー『二人だけの秘密の場所ね』
もし、セオドアが一人になりたいと思ったなら。
この王宮の住人でもないセオドアが姿を隠せる場所は、そう多くはないと思えたから。
「…セオドア……?」
そこは、いつかの幼い日。"かくれんぼ"をしていた時に見つけた秘密の場所。
まさかまだ残されているとは思わずに、アリアは不自然に作られた自然のトンネルを潜っていた。
小さな頃は広いと思えた緑の道は、成長したアリアにとってはぎりぎりまでかかんでなんとか通れるほどのもので、まさかこんなところに探し人がいるはずもないかと思ってしまう。
もしここにいなければ、諦めて帰ろうと思って。
「…アリア」
ふいに拓けた、自然に囲まれた場所。そこに腰かけた人が驚いたように顔を上げたのに、アリアもまた僅かに目を見張っていた。
「どうして来た」
「…まさか、ここにいるとは思わなくて」
ここだと思ったのはただの勘だ。
少し前、ちょうどここで"かくれんぼ"をした時の話をしていたから。
そうでなければ忘れていた。
セオドアも…、"かくれんぼ"をしたこと自体は覚えていても、もしかしたらここのことは忘れているのではないかとも思っていた。
「…まだあったのね」
光を反射させる緑の葉を眩しそうに見回して、アリアは懐かしそうに呟きを洩らす。
小さな頃は広く思えたこの場所も、成長した二人が入り込めば、密着するほどではないにせよとても狭く感じる。
「…シャーロットが心配してるわ」
行きましょう?とその表情を窺うように静かに微笑みかけ、アリアは外へとセオドアを促した。
けれど。
「…セオドア?」
じっ、とアリアの顔をみつめ、動く様子を見せないセオドアに、アリアはどうしたのかと小首を傾げてみせる。
「…アリア」
「…っ?」
ぐいっ、と腕を引かれ、その勢いで緑の絨毯へと倒れ込む。
視界が反転し、瞳に映り込んだセオドアの肩の向こうに光が見えた。
「セオド…ッ」
気づけば押し倒されているような格好になった体勢に、アリアは驚いたように声を上げる。
「……抱かせてくれ」
…次回投稿分が、R15に収まらずに苦悩中です…。
シオン以外からのアレコレは、どこまでならば許されるのでしょうか…?(止めるならば今のうち……。悩)