傷痕
セオドアに、記憶はない。
残されたのは、セオドアが一人で留守を預かっている間にイグニス家から宝玉が奪われたという失態だけ。
なにも覚えていないセオドアは、自分がほんの短い眠りにつかされている間に家宝を失ったと思っているに違いない。
けれど、イグニス家から連絡を受けたルーカスが現場検証で感じたのはセオドア自身の魔力。
セオドア本人に記憶はないが、何者かに操られたのではないか、という憶測も飛び交った。
その推測を裏付けるように、リデラの能力が存在している。
もちろんそれは誤った推測だが、それを立証する術もない。
一連のこの事件は魔族が絡んでいるのではないか、と、そんな疑念さえ湧いてきて。
一般の人々にまでは箝口令が敷かれたこの事件は、王宮と公爵家を大きく揺るがせていた。
*****
ーー『俺の独断だ』
差し出された宝玉。
セオドアの記憶を奪ったことを後悔はしていない。
それでも、ウェントゥス家の時と同じように連日王宮へと呼び出されているセオドアのことを考えると、本当にこれでよかったのかとも考えてしまう。
自ら手渡した記憶があるまま責められるのと、隙を突かれて奪われたという悔しさで詰問されるのと。
ウェントゥス家の時とは違い、警戒していた上での強奪劇だ。
本来であれば、きちんと守れていたはずの家宝。相手がアリアでなければ、セオドアは守り抜けたに違いない。
どうして、と。そればかりが頭に浮かぶ。
ーー『お前を信じてるからな』
穏やかなその微笑みが酷く苦しかった。
「…どうした?」
心配されていることがわかって断りきれず、ウェントゥス家の馬車で家まで送られている学校からの帰り道。
さらりと髪を撫で下ろしながら向けられた静かな瞳と問いかけに、アリアは小さく首を降る。
「…ううん。なんでもない」
きゅっ、と。縋るように手元近くのシオンの制服を指先で握り締めてしまったのは本当に無意識だ。
「…なにを考えてる」
そんなアリアの今までにない仕草になぜか不安に駆られ、シオンは俯くアリアの顔を探るようにみつめていた。
「……今度はセオドアが……」
そこまで言って、言葉に詰まる。
全て、始めからわかっていたはずのこと。
想定外だったのは、セオドアが自ら共犯者となる選択肢を選んだこと。
ーー『シオンのヤツも知ってるのか?』
そんな風に、思われているのだとしたら。
「……」
苦しげに告げられた言葉に、シオンはざらりとした気持ちが胸に過るのを感じながら、それには気がつかないように蓋をする。
胸に湧くざわつきの原因はわかっている。
そして、相手が誰であれ、この少女が他人の苦しみに心を痛める性格であるということも。
「…シオンは……、」
シオンは、あの時なにを思っていたのだろう。
一人で、苦しんだのだろうか。
それを、どう言葉にしようとしたのかはわからない。
「…っ」
くいっ、とシオンの指先に顎を取られ、なにを言うつもりだったかわからない言葉は声にならぬまま。
「ん…っ」
ふいに塞がれた唇に、アリアは大きく目を見張る。
「オレは、お前さえいればそれでいい」
恐らくは、アリアの気持ちを的確に読み取ったシオンの真摯な低い声。
あの一件で、ウェントゥス家はもちろん、シオン自身も苦しい立場に置かれたことは間違いない。
それでも。
誰かが隣にいることが、ここまで心地よいものだと思わなかった。
弱味を、見せてもいいと思えるなんて。
この少女に触れるだけで、仄かな暖かみに満たされるのを感じた。
「お前以外。他になにもいらない」
「シオ…ッ」
驚いたように身を引く少女へと覆い被さるように口付ける。
「…ん……っ」
小さく洩れる甘やかな声が愛おしくて。
何度も、唇を重ねていた。
R18版は明日更新予定です。