act.10-1 Jewel of the fire ~火の宝玉~
「怪盗」と聞いてアリアが思い浮かべるイメージの一つは、トランプやタロットカードだったりする。
それはもちろん"あちらの世界"の印象から来ているものではあるのだが、"あるある""王道""お約束"が大好きな"ゲームスタッフ"たちが、シャノンとアラスターにつけたコードネームもそれに然り、だった。
シャノンの「エース」は、二面性を持つトランプの「1」から。
アラスターの「シーザー」は、ダイヤのキング。古代ローマ帝国皇帝の「ジュリアス・シーザー」からだろうと言われている。
そしてこの"現実"でも。
紆余曲折はあったものの、二人のコードネームは"ゲーム"と同じものになっていた。
*****
「アリア?」
どうしたんだ?と、突然の訪問に驚いた様子を見せながらも、セオドアはいつもと変わりない優しい笑顔でアリアを出迎えてくれていた。
「今日、セオドアが家にいることはわかっていたから」
これから自分がセオドアへと犯す罪を前に、アリアは笑顔になりきれない微笑みを浮かべる。
そう。今日は、イグニス家から宝玉を盗み出すとギルバートが宣言した、その決行の日だった。
「ちょっと、セオドアと話がしたくて…」
「話?」
会いに来た言い訳をいろいろと考えてはいたけれど、いざこうしてセオドアを前にすると、上手く取り繕える気がしない。どうしても曖昧に言葉を濁してしまうアリアに、けれど、却ってそんなアリアの態度にセオドアの方が「あぁ」と勝手に解釈してくれていた。
「…悪かったな。お前たちの問題に口を挟んで」
「…セオドア……」
なんとも複雑そうな表情で小さく苦笑いするセオドアへと、アリアもまた申し訳なさそうに眉根を下げる。
セオドアが純粋に自分のことを心配してくれていることはわかるから、どうすればその不安を払拭させられるだろうかと悩んでしまう。
けれど、とりあえずはその前に。
「…あの時、セオドアが止めてくれたことは感謝してるわ」
まだできていなかったお礼の言葉を口にする。
あんな場面を見られてしまったことは純粋に恥ずかしい上に、蒸し返すことも本意ではないものの、まだセオドアに感謝の気持ちを伝えていなかったことは心苦しくもあった。
あの時だけは本当に、セオドアに助けられたのだから。
「心配してくれてありがとう」
「…アリア…」
立ち話もなんだから、と、室内へと招き入れてくれるセオドアの後に続いて歩きながら、アリアはドキドキと心臓が高鳴っていくのを感じる。
頃合いを見計らい、隙を付いてセオドアを昏倒させるつもりだとギルバートは言っていたが、本当にそんなことは可能なのだろうか。
「…仲直り…、は、できたのか?」
あの時のアリアとシオンの遣り取りをどう取っていいのかわからずに、セオドアは曖昧な疑問符を投げかける。
あの日、あの時。なにか"得体の知れないもの"が王宮に入り込んでいたことを、セオドアはリオから「なにか感じなかったか」と聞かれて始めて知った。そのことがアリアとシオンのあの行動に繋がっていたのだとしたら、なんとも複雑な気持ちが胸に浮かぶ。
守りたい、と思うのは、セオドアも同じだ。
「…お前が、アイツの傍にいることが幸せだっていうのなら、それでいいんだ」
一体なにを思い出したのか、セオドアの「仲直り」の単語に途端顔を赤らめて視線を逸らしたアリアへと、セオドアの祈りにも似た呟きが洩らされる。
少なくとも、シオンがアリアのことを心から想っていることだけはセオドアにもわかる。
ただ、アリアのシオンに対する気持ちだけは、未だに計りかねている。
だから。
「…俺は、お前に幸せになって欲しいんだよ」
いつだって、笑っていて欲しい。
無茶ばかりするこの幼馴染みを泣かせたくない。
ーー例え、その役目が自分でなくても構わないから。
できることなら、と、そう思いかける気持ちには蓋をする。
初手を、間違えた自覚はある。
それは、もう、取り返しがつかないから。
「…セオドア……」
優しい瞳と仕草で頭上をポンポンと叩かれて、アリアは気恥ずかしさからほんのりと頬を赤く染める。
「…本当に、セオドアはお兄様たちみたいね」
アリアの父親も二人の兄も、よくアリアにそんなことを言う。
お前の幸せが一番だから、と。
昔から二人の兄たちと一緒にアリアを甘やかしてきたセオドアだから、"ゲーム"での"面倒見のいい兄貴分設定"を差し引いても、本当にセオドアはアリアにとっては"いいお兄ちゃん"ポジションだ。
「…そうだな…。俺にとってもお前は"妹"みたいなものだったよ」
この幼馴染みの婚約者が決まりかけていた時、自分は特にそれについて興味を持っていなかった。
本当に、その時は"妹"みたいなものだと思っていたのだ。
むしろ、薄々勘づいていた、恐らく自分が第一候補であろう少女の婚約者事情には、少し戸惑いがあったくらいだった。
それなのに。
一番最初の選択肢を間違えたのは自分だ。
失いかけて始めて気づく、なんてそんなこと。あるわけないと思っていたのに。
「…セオドア……?」
優しく頭を叩いたその手がするりと長い髪を降りてきて、アリアはどうしたのかと戸惑いに瞳を揺らめかせる。
と。
「…エッグいねぇ…」
「な…っ!?」
唐突に物影から現れた黒い影に、セオドアの目が見開かれる。
「お前は…っ!」
音も気配もなく現れた、全身真っ黒な"怪盗ルック"の男の正体をすぐに察したセオドアは、咄嗟にアリアを庇うように背中へと隠しながら魔法発動に身構えたが、隙を狙っていたギルバートの方がほんの一瞬だけ反応が早かった。
相棒の猫と共に刹那の早さでセオドアの目の前まで距離を詰めたギルバートがその目元を覆い隠し、直後、セオドアの身体がぐらりと傾いた。
(…危な……っ!)
咄嗟に手を出してはみたものの、倒れかけたセオドアの身体はそのままゆっくりとギルバートの手によってその場に横たえられ、セオドアが深い眠りに誘われたことを理解した。
「…この男に同情するね」
「…え?」
まぁ、そのおかげで思いっきり隙を付けたけどな。と呟くギルバートの言葉の意味がわからずに、アリアは困惑に揺れる瞳をギルバートへ向ける。
「"幼馴染み"で?"妹"なんだっけ?」
エッグいねぇ…。ともう一度呟いてやれやれと肩を落としながら、ギルバートは「行くぞ」とアリアを促した。
目の前には、例の闇の転移空間。
セオドアに会う為、アリアだけイグニス家の目の前へと転移させて貰っていた。これから一度ギルバートの家に戻り、アリアが早着替えをしている間にギルバートとアルカナがイグニス家全体に睡眠の術をかけ、シャノンとアラスターと共に再びイグニス家へと戻ってくる算段だ。
アクア家でのアリアの存在は、今回も部屋に籠って読書をしていることになっている。
時間は、あまりない。
「…失敗は、許されない」
「わかってるわ」
緊張感から一つ大きな吐息を吐き出して、アリアは真っ直ぐ未来を見据えていた。
*****
"火"を司るイグニス家の宝玉への扉は、広間に備え付けられた年代物を思わせる立派な暖炉の中にあった。
月日を思わせる装飾品が嵌め込まれた、今は使われていない暖炉の前で、アリアはウェントゥス家の時と同じように祈りを捧げる。
ふわり…っ、と祈りが光となって、それから燃えるものなどなにもない暖炉の中へと灼熱の炎が灯る。
そして、その直後。
アリアたち四人の姿は異空間へと呑み込まれていた。
「…あっつい……っ!」
案外短気なシャノンが胸元へパタパタと風を送りながら不満の声を上げた。
暑いのも寒いの苦手、と、なかなか我が儘にも思えることを"ゲーム"の中で言っていたことをふと思い出す。
アリアたち四人が飛ばされた場所は、鬱蒼としたジャングルの中のようなところだった。辺りを見回せば、遠く煙が立ち上っているのが見え、その煙を目指して緑の中を抜けると、それは突然姿を現した。
遠くから見ると巨大な砂山のようにも見えるその頂から、もくもくとした煙が吐き出されているのが見て取れる。
砂山にも見えたその山は、よくよく見れば溶岩の固まりからできているものだ。
(…やっぱり何処かで見たことがあるような…?)
熱さからか、なにも生息していない殺伐とした風景を眺めながら、アリアは一人心の中で苦笑する。
もちろん"ゲーム"の中で見た光景に違いはないが、"この世界"は、全体的に"あちらの世界"の遺産や遺跡などをモデルにして作られている部分が多い。恐らくは、"テレビ"かなにかでやっていた"マグマを間近で見られる観光スポット"のようなものを見た記憶があるのだろうな、とアリアは思っていた。
「"火"の宝玉」というだけあって、イグニス家の秘宝はマグマの中から取り出さなくてはならない。
余りの熱さから水と風を掛け合わせた魔法で"クーラー"のような涼しい空間を作り出せば、シャノンから本気で感謝されて思わず笑みが溢れてしまう。
「さすがだな」
「…これはちょっと暑すぎるもの」
"ゲーム"の中ではみな暑さに耐えながら歩みを進めていたが、さすがにそれが"現実"のものとなると我慢するには少し辛い。
せっかく"魔法"が使えるというのに出し惜しみする理由もなく、アリアは感心したように向けられるギルバートの視線に小さく微笑み返していた。
火口までの道のりは長くはないが、溶岩の固まりでできた緩い斜面は、存外に歩き難い。
そして、突然。
ぽっかりと、口を大きく空けた灼熱の穴が姿を現していた。
「…これ、落ちたら死ぬよな?」
好奇心から、アラスターがすぐそこに見える炎を覗き込みながら恐ろしいことを口にする。
足元からパラパラと落ちた細かな砂と石が、眼下に広がるマグマの中へと落ちて火の飛沫が上がったのが見て取れた。
もし運悪く足場が崩れるようなことがあれば、そのまま石と一緒に火口へと転がり落ちて一瞬にして溶けて消えてしまうだろう。
時折、マグマの中から吐き出された溶岩石が空を舞う様子も目に入り、足下だけでなく頭上にも注意を払わなければならなかった。
「…これを、どうにかするの?」
火口から吹き上がる煤煙を前にして、アリアは背中に冷たい汗が流れていくのを感じる。
まるで侵入者を威嚇するかのようにゴロゴロとした音を鳴らして煙と溶岩を吹き出す火山を前にして、"ゲーム"で目にしたことのある光景とはいえ、アリアは思わず息を呑んでいた。
水属性のアリアは、火属性の魔法と相性が悪い。
とてもではないが、こんな狂暴な焰を抑え込むような魔力をアリアは持ち合わせてはない。
「アル。なんとかなりそうか?」
できなければ自分がもぎ取ってみせると言っていたアルカナの方へと振り返り、ギルバートは暑さなど感じていないかのように火口を睨み付けている相棒へと窺う。
そうして自分へとかけられたその声にアルカナが顔を上げ、なにか言おうと口を開きかけた時だった。
「悪いが、お前たちに我が家の秘宝は渡せない」
「ーーっ!」
突然背後からかけられた冷静な声色に、アリアは驚愕と共に振り返る。
こちらを警戒し、いつでも魔法を発動できるように身構えて立ったその姿は。
(…どうして……)
知りすぎるほどに知ったその姿を映し込んだアリアの瞳が、困惑に揺れ動く。
それは、ギルバートとアルカナの手によって、確かに深い眠りへと誘われたはずのセオドアだった。