犬猿の仲
「…攻撃魔法とは穏やかじゃないな」
「だからお前の得意分野にしてやったんだろ?」
魔法発動の名残からか、指先に纏った風の流れを消しながら現れたその姿に、アリアは驚きの声を上げる。
「セオドア…ッ!?」
セオドアが今放った風の攻撃は、シオンの属性魔法。シオンにとっては息を吸うように発動させることができる魔法だからこそ、威嚇程度の不意打ちの攻撃ならば瞬時に対処できるもの。
「こんなところでなにしてる」
二人の元まで歩み寄り、アリアがシオンに木の幹へと押し付けられている様子に僅かに怒りを滲ませながら、セオドアはぴくりと眉を反応をさせていた。
「お前には関係ない」
「そうだな。俺だって、ただの痴話喧嘩に口を出すほど野暮じゃない」
「セ、セオドア…ッ」
"痴話喧嘩"などと言われると、なんとなく気恥ずかしくなってしまって、アリアは思わず頬をうっすらと染めてしまう。
「だが、アリアは嫌がってるだろう?」
両手を拘束され、男に迫られている少女は、どう贔屓目に見ても恥ずかしくて抵抗しているようには感じ取れなかった。
首を振り、男の口づけから逃れようとしているその様は、明確に相手を拒んでいた。
「嫌がっている女性に無理矢理迫るなんて、お前のその神経を疑う」
まさか、今までもこんな風に少女に迫っていたのかと、そんな邪推をしてしまうほど。
意に添わない行為を強要されても、アリアはシオンを許すだろう。それがわかってしまうからこそ、アリアの優しさに付け入るようなその行動が、セオドアには許せなかった。
「コイツはオレの婚約者だ」
だから部外者は口を出すなという憤りを滲ませるシオンに、セオドアはぴくりと蟀谷を反応させる。
「婚約してるからって、なにをしてもいいわけじゃない」
友人同士、恋人同士、夫婦間にも、それなりのルールはある。
相手の嫌がることをしてはいけない、などということは、幼い子供ですら理解していることだ。
しかも、シオンの場合は。
「アリアはお前の婚約者かもしれないが、お前の所有物じゃない」
「…セオドア…」
相手の意思など無関係に自分の欲望だけをぶつけるような行為は、犯罪者のそれと同じ。
シオンへと鋭い視線を向けるセオドアに、アリアはシオンに手首を取られたまま少しだけ驚いたように目を見張る。
「お前は忘れているかもしれないし、アリアはそんなこと気にしないだろうが、同じ公爵家とはいえ、立場はアリアの方が上だ」
前王の第一正妃が唯一生んだ王女の娘。身分は同じ"公爵家"でも、王の血を色濃く継いだアリアの血筋は、王族と比べても遜色ない。
だからこそ、現ウェントゥス家当主は、アリアを自分の息子の婚約者にと強く望んだのだから。
「お前がアリアの婚約者になったのだって、頼み込んでならせて貰った立場だということを自覚しろ」
「セオドア…ッ?」
そうしてセオドアはシオンからアリアを引き離すと、そのままアリアを庇うように自分の後方へとその身を隠す。
「お前は第一候補ですらなかったんだからな」
アリアの婚約者の第一候補は、恐らくセオドアだったのだろうと思う。
お互いの子供を結婚させたいと微笑い合っていた親友同士の両親を見れば、はっきりとそれを口にされたことはなくとも、なんとなく察することはできた。
「……それで?婚約を解消して、お前が名乗り出るのか?」
自分とアリアを引き離し、王女との婚約を破棄してその後釜に納まるつもりなのかと皮肉るシオンに、アリアは反射的に口を開く。
「シオン…ッ!なに言って…っ」
いくらなんでも極論すぎると咎めるアリアを手で制し、セオドアは真正面からシオンを見据えてはっきりと口にする。
「お前がその態度を変えないようならそうしてやっても構わない」
「セオドアッ!?」
いくらシオンの行動が行き過ぎているからといって、セオドアがそこまでの言動をする必要はないのだと、アリアは驚愕に声を上げる。
ライバル同士の二人は、基本的に犬猿の仲。
今さらながらそんな"ゲーム設定"を思い出し、アリアは戸惑いを隠せない。
こんな些細な出来事で、争って欲しくはない。
…と。
「…お互い婚約破棄されそうで困ったな」
(……え?)
不意にシオンがセオドアとアリアの後方へと視線を投げ、その言葉の意味が一瞬理解できないまま、アリアはその視線の先へと振り返る。
自分達の会話が届くか届かないかの微妙な位置。繁みに隠れて、小さな王女が所在なさげにその場に佇んでいた。
「シャーロット!?」
「…ごめんなさい…。盗み聞きするつもりはなくて…」
心底申し訳なさそうに俯いて、おずおずとシャーロットが姿を現す。今日は、セオドアと会う予定だった。約束の時間になっても現れないセオドアに、どうしたのかと迎えに来たところ、この騒ぎに鉢合わせてしまったのだ。
そうしてその一方で、シオンはアリアへチラリと視線を投げ、シャーロットへは爆弾発言を投げるだけ投げて無言でその場を立ち去ってしまっていた。
「ちっ、違うのよ…っ、シャーロットッ」
誤解しないでっ、と慌てて取り繕うアリアへと、セオドアは迷ったように二人の少女を瞳に映し、それからアリアの方へと向き直る。
「…売り言葉に買い言葉とはいえ、熱くなりすぎた。悪かったな」
「そんなこと…」
ぽんぽん、とアリアの頭を軽く叩いて苦笑するセオドアはいつもの"いいお兄さんキャラ"で、アリアは戸惑ったような瞳を向ける。
割って入ってくれたセオドアに、アリアはまだ感謝の言葉も口にしていない。
けれど、大切な婚約者を放っておくわけにはいかないセオドアは、どこか名残惜しそうな視線を残しながら、アリアへと背を向けていた。
「…つい、熱くなってしまって。不快な思いをさせてしまって申し訳ありません」
シャーロットの前で立ち止まり、セオドアは申し訳なさそうに頭を下げる。
それは、気を許した婚約者への謝罪というよりは、王族に不敬を働いてしまったことへのお詫びのようで。
「…大丈夫です。セオドア様が誰よりも優しいことはわかっていますから」
どこか悲しげに微笑んでみせたシャーロットの言葉を聞きながら、アリアはこれ以上自分はここにいない方がいいだろうと、セオドアへの御礼を後回しに二人から踵を返していた。
「…全部、ちゃんと、わかっていますから」
ーー本当は、先程の言葉が本心だということも。
自分はちゃんと微笑えているだろうかと、シャーロットは大好きな婚約者の腕へと指先を添えてみる。
その瞬間、ぴくりと反応した婚約者のそれは、一体なにを意味するのだろう。
「…いつもセオドア様は理性的なので。少し驚いただけですから」
今だって、きっと本心は自分ではなく幼馴染の少女の傍にいたいのではないかと思う。
それでも、自分は婚約者だから。
誰よりも優先しなければならない存在だからと、理性が衝動に蓋をする。
「…感情的に、なることもあります」
そう、感情的。
苦笑いを洩らしたセオドアに、シャーロットもまた無理矢理作った微笑みを浮かべてみせる。
強固なセオドアの理性さえ壊して。感情が顔を覗かせる瞬間は。
つまりそれは、本音の心ということだ。
「…昔からアイツとはソリが合わなくて。つい」
見苦しいところを申し訳ありません、と苦笑するセオドアに、いつか自分にそんな姿を見せてもいいと思ってくれる日が来るのだろうかと思う。
「…お気になさらないでください」
わかっていますから。ともう一度呟いて、シャーロットは静かな微笑みを浮かべていた。