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act.5-4 Blessing of the Muse

アーエール家は、五大公爵家の中でも最も格式を重んじる家柄だ。

その為、お抱えの画家や演奏家などがおり、"ゲーム"ではそこからノアへと繋がっていた。

この辺りはこの"現実"でもそれほど変わりはない。

だから、ルイスの妹であるマリベールが、皇太子妃となって初めて国の賓客をもてなす立場になったその時には、失敗することなど許されなかった。式典を取り仕切るのはもちろん"国"ではあるものの、中心となって動いているのはアーエール家を筆頭とした五大公爵家だ。

そしてその式典に、ウェントゥス公爵家当主の名代としてシオンは参加することになっていた。また、そこではダンスパーティーも催される為、婚約者であるアリアも必然的に参加させられることとなったのだが。

"ゲーム"の中では出てくることのなかったこの式典。けれど、この式典には、生演奏をする音楽家たちの手伝いをするために、その門弟であり"卵"でもあるノアたちも招かれていた。さらには、雑用係りのその中に紛れ込み、シャノンとアラスターまでもが。

ノアはまだ"仲間"ではないけれど、持ち前の気安さで親交を深めていたらしいアラスターが、ギルバートの思惑などもあり、自ら雑用を手伝うとノアに名乗り出たらしい。

ギルバートは来ていないが、この機会に少し公爵家の内情に触れてこいと、そういうことなのだろう。

ノアと、シャノンとアラスター。この三人が揃った生演奏の式典。さらには、ノアのライバルもそこにはいる。

この顔触れに、アリアの胸はざわつきを隠せない。まるで、"ゲーム"の流れを汲んだかのような。そしてアリアのそんな予感通り、そこで事件(・・)は起こった。



そこは、アリアが社交界デビューした日にシオンとダンスを踊ったあのホールだった。

シオンと共に来賓の方々と卒なく会話を交わしながら微笑みを浮かべていたアリアは、視界の端に、珍しくもどこか焦ったように会場内を動き回るルイスの姿を見つけて首を捻っていた。

(…なにかあったのかしら…?)

皇太子妃の兄として、そしてリオの側近として。一切の失敗は許されないと、ルイスは常に重い緊張感と共に動いている。

そしてそんなルイスが向かった先。

(……ノア?)

少しばかり焦燥の空気を滲ませて、ルイスがノアに話しかけていた。対し、ノアは暗い面持ちで首を横に振っている。近くには、シャノンとアラスターの姿もある。

「…ねぇ、シオン」

一体どうしたのだろうと、アリアはシオンの顔を見上げる。

「ちょっと、いい?」

無言でしかめられるシオンの眉。

それにアリアは苦笑して、ルイスの方を指差していた。


「ルイス様」

「…お前たちか」

横から遠慮がちに声をかければ、なんとも複雑そうな表情をしたルイスが振り返る。

「…馬子にも衣装」

アリアがこの場に来ていることは当然知ってはいただろうに、アリアのドレス姿をチラリと見て、独り言のようにボソリとからかうような視線を向けてくるノアの顔を、アリアは無言で睨み付ける。

「…知り合いか?」

そんな二人の他人ではない遣り取りに、シオンの眉根が潜められる。

それは当然の問いかけで、とはいえ隠すことでもないから、アリアは小さな苦笑を溢していた。

「前にお母様と『椿姫』を見に行った時に知り合って」

変な疑いも勘繰りもされては非常に困る。

詳細まで語るとボロが出てしまいそうで、アリアは当たり障りない答えを返す。

「……こっち(・・・)も?」

アリアとノア。

そして、アリアとシャノンとアラスター。

各々(それぞれ)が別々の知り合いだというならば納得もできるものの、ノアとシャノンとアラスターまで知り合いともなれば、さすがのシオンも不審を見せる。

「俺たちはノアと一緒に雑用係に駆り出されたんですけど」

友人だと説明するアラスターに、シオンの表情が益々探るような目付きになる中。アリアはそれに構うことなくルイスの顔を窺っていた。

「それより、なにかあったんですか?」

変に三人との関係を言及されたくないというのもある。けれど雲行きの妖しさに一刻も早くその原因を聞きたいという気持ちがあることも事実で、アリアはシオンの疑念の目を無視してルイスへと向き直る。

「実は…」

重たい口を開き、ルイスは迷うようにアリアたちへと簡単に説明していた。

今回の式典では、最後の生演奏が催し物の目玉となっている。

音楽に耳を傾けて、それから最後に国賓たちとダンスをしながら交遊を深めるのだ。

だが、メインとも言えるピアノ演奏者が急病で倒れてしまい、この場に来ることが叶わなくなってしまったらしい。

「…マリベールが"皇太子妃"として初めて(おもて)に出るこの式典に穴は空けられない」

最悪ピアノの演奏はなしにして、急遽別の楽曲で対応することも考えてはいるが、可能であればそれは避けたいとルイスは唇を噛み締める。

話を聞くに、どうやら来賓の中の一人がとても音楽が好きらしく、この式典での生演奏を楽しみにしていたらしい。

「そうしたら、このノアがピアニストの卵として有能だと耳にして、な」

それで、どうにかならないかと打診しているところをアリアが見かけたのだった。

「彼の前にもう一人声をかけたんだが、とても無理だと断られた」

それは恐らく、ノアのライバル(・・・・)

この日のために用意した楽曲は完全にオリジナル曲。普通に世に出回っているクラシックな音楽であればノアのライバルも弾けたかもしれないが、初めて見る高度な譜面を短時間で完成形にまで持っていくのはプロでも難しい話に違いない。そんな無謀などルイス自身もわかっていて、それでも一縷の望みをかけてノアへとその楽譜を見せ、残された時間は一時間だと苦々しげに表情を歪ませる。

「…とりあえず、少しだけ弾いてみてからできそうか判断する、っていうのは…?」

「……いや……」

極々一般的な意見を口にするアリアへと、ノアはなぜか苦しげに唇を噛み締める。

「やっぱり難しそう?」

「……そういう問題じゃ…」

アリアが楽譜を覗いた限りでは、もちろん理解不能な難解な音符がそこには載せられていた。

ノアはまだピアニストの()であってプロではない。

だから本来、ノアにこんな打診をすること自体ありえない。

だが。


「無理ですよ」


不意に横から聞こえた記憶のどこかにある声に、アリアはそちらの方へと振り返る。

(…あ……)

雰囲気だけは上流階級のそれを思わせるような優雅な歩み。

口調はとても丁寧にも関わらず、どこか上から目線な感が否めない、水色の髪をしたその少年は。

「……ロイ」

ノアの口から、静かに彼の名前が漏れ落ちた。

ノアの話の中でしか出てこない彼の名前など記憶から消えてしまっているけれど、もちろん容姿だけは覚えている。

「私にも無理ですから。彼にも無理でしょう」

ね?と。表面上助け船を出している感じで語りかける少年は、"ゲーム"の中でノアを追い詰めた人物ー、自他共に認められているノアのライバル(・・・・)だ。

「…貴方に無理でも彼にはできるかもしれないじゃない」

どことなく不遜なその態度に、アリアは"ゲーム"の中で彼が行った卑怯な手口を思い出し、思わず反抗してしまう。

この"現実"ではその悲劇は回避しているのだとしても、彼がノアと真っ当な勝負をしようとしているようにはとても思えない。

今だって、きっとノアを陥れる為に声をかけてきたのだと、アリアの記憶がそう告げる。

「ちょ…っ?」

なに言ってんだよっ、と焦ったようにかけられるノアの声を横で聞きながらも、アリアは込み上げる悪感情から「ロイ」と呼ばれた少年へと睨むような瞳を向けてしまう。

例え、彼には無理だとしても。

"天才"と詠われるノアであれば。

「無理ですよ」

優雅にも見えるその笑みはとても不快だった。

諭すようなその柔らかさは、ざらりとした感覚をアリアに与えてくる。

なにを、と、思わず言い返そうとして。


「彼はもう、一ヶ月以上ピアノを弾いていませんから」


「………え?」

その言葉の重みに、アリアは一瞬聞き違いかと時を止める。

だって。ノアは。

アリアの前で、弾いていた。

それは、とても楽しそうに。

あの姿は、アリアの見間違いではないはずだ。

「……ノア……?」

ごくりと嫌な唾を飲み込んで、アリアはノアの方へと振り返る。

俯き、ぐっと握り締められた拳の意味は。

つまり、それは。

ーー事件(・・)は、起きていたということ。

(…でも……っ!)

アリアは、確かに一緒に弾いていた。

(なんで……!?)

なにが、一体、どうなっているのか。

(…"一ヶ月以上"…?)

確かにアリアは、ノアが普通の曲を弾いているところは見ていない。

(でも…っ!)

一緒に「猫ふんじゃった」を弾いたのは、つい最近のことだ。

弾けない、なんて。

弾いていない、なんて。

アリアには意味がわからない。

けれど、一つだけ確かなこと。

(…弾けない、の…?)

きゅっ、と噛み締められたノアの唇が。

一瞬、悔しそうに肩を震わせたその反応が。

"ゲーム"と同じ事態に陥っていることを現している。

「安請け合いをして恥を掻くのは彼ですよ」

「っ!」

ロイは、万が一にもノアが弾けてしまう(・・・・・・)ことを恐れている。

せっかく引き摺り落とした(・・・・)ノアが、どん底から登ってきてしまうことを。

「…ノアの実力を一番よく知ってるのは貴方じゃない…っ!」

だから恐れた。

ノアの実力を誰よりもわかっているから。

ノアの方が、自分より遥かに上だと知っていたから。

周りの人間たちから"ライバル"だと言われていても、ロイ自身がそれを意識していても、ノアはロイのことを意識していなかった。

いつだってノアは、自分自身の音楽の世界で生きていて。

だからこそ、自分を認めて欲しくて、目に留めて欲しくてそんなことをしたのかもしれないけれど。

だからと言って、ノアからピアノを奪うような真似は許せない。

「…アリア?」

唇を噛み締めて、なにかに耐えるような様子を見せるアリアに、「どうした」というシオンの静かな眼差しが向けられる。

「…だって…」

悔しい。

クヤシイ。

自分は、ずっと、"ゲーム"と同じ悲劇は起こっていないのだと思っていた。

「…なんでアンタが泣きそうになってるんだよ」

今にも泣きそうに表情(かお)を歪めたアリアへと、まるで子供を宥めるかのようなノアの苦笑が溢される。

「…だって、ノア……」

…悔しい。

今の今まで気づいていなかったことが。

ロイに「弾けない」と見下されたことは純粋に。

今までずっと、その苦しみから助けられなかったこと。

ーー知っていたのに。

気づいてさえいれば、もっと早くシャノンに救いを求めることができていたはずなのに。

「……なぁ、」

そんなアリアをしばし眺め、ノアはなにかを決意したかのように口を開く。

「…少し、手伝ってくんない?」

くす、と、少しだけ自嘲気味なその笑みは。けれど、向けられた瞳だけは強い光を宿していて。

「……なにを?」

「…ちょっとだけ、練習してみようかと」

苦笑して、ノアは手にした楽譜を掲げてルイスの方へと顔を向ける。

「防音の部屋とかありますか?」

ノアの言葉のその意味は。

それを悟って、ルイスは少しだけ動揺を瞳に浮かばせる。

「いや…」

大丈夫なのか、と不安と期待の入り交じった眼差し。

そして、そんな部屋などないと告げたルイスへと、横からシオンが口を挟む。

「…防音の空間を作ることなら可能だ」

「!シオン」

それは、シオンの得意分野。風の魔法(ちから)を使って生み出す特殊空間。

「どこかで練習できますか?」

「…それならこっちだ」

ほんの少しの時間も惜しい。

向けられた瞳にルイスは踵を返すと足早にノアを案内する。

「行くよ」

「え?」

不意に腕を掴まれて、アリアはきょとん、とノアを見上げる。

「一緒に来て」

「…え?」

つかつかと、有無を言わせずアリアの手首を掴んで歩いていくノアへと、一瞬シオンの不快そうな視線が投げられたが、それになにも言うことはなく、シオンもまた後に続く。

「…ノア…」

先を急ぐノアに引き摺られるように歩きながら、アリアは「大丈夫なの?」と探るような目を向ける。

「アンタは、できないと思うわけ?」

こちらへと振り向くことなく投げられる疑問符は、本当に純粋な質問だった。

不安も重圧も感じていない声色に、アリアは思わずくすりという笑みを溢す。

「…私のことをあれだけバカにしておいて、弾けないなんて許せないわ」

あんなに楽しそうに人のことをからかっておいて。

弾けない、なんて、アリアには俄に信じがたくて。

「言ってくれるじゃん」

ぎゅ、と力の込められた指先は、ほんの少しだけ緊張感を滲み出す。

「…だって、私は知ってるもの」

一歩前を歩くノアをみつめて、アリアは仄かな微笑みを浮かべる。

「"天才"なんでしょ?」

このスランプを乗り越えたノアが奏でる音を知っている。

「ノアが、誰よりも音楽を愛してることを知ってるわ」

例え、今、弾けなくても。

ちゃんと弾けるようになることを知っている。

先ほどの遣り取りで、きっと、シャノンはなにかを察している。

だから、無理はしなくていいと思う。それは、確かな本音。

「多分、誰よりも、私が一番ノアのピアノを聴きたいと思ってるわ」

"ゲーム"の中で、苦しむノアの姿を知っている。

そして、その苦しみを乗り越えたノアが生み出す音楽を。

「ノアに会う前から、私はノアのピアノのファンだもの」

"ゲーム"で見たピアノを弾くノアの姿。それはとても綺麗な一枚絵(スチル)で、その時に流れたあのピアノ曲を、生で耳にすることができたなら、それはどんなに素敵なことだろう。

「…なんだよそれ」

意味わかんないんだけど。と眉を潜めるノアへと、アリアは思わずくすくすと笑みを溢す。

「ノアの奏でるピアノはとても素敵だから」

ノア自身が知らなくても、アリアは知っているから。

なんの疑いもない瞳をノアへと向ける。

「…アンタも弾いて」

案内された部屋に置いてあるピアノを前にして、ノアは一瞬だけ迷うように瞳を揺らめかせる。


「アンタが傍にいれば弾ける気がする」





*****





防音空間を作り出し、腕を組んで壁へと背を預けたシオンへと、ルイスは音もなく近づいた。

「…シオン」

対し、なんだ、と、視線だけで向けられた無言は、完全に苛立ちの混じったものだった。

「…国の大事だ。わかってるな(・・・・・・)?」

暗に、妙な嫉妬はするなと告げてくるルイスの言葉に、シオンは音にならない舌打ちを響かせる。

目の前では、愛しの少女がとても嬉しそうにピアノの音を聞いている。

その顔は、時折不満そうに頬を膨らませたり、感動に瞳を輝かせたりと忙しなく表情を変える。

ピアノに向かう二人は、完全に二人だけの空間を作り出していた。

「……後できっちり教えてやらないとな」

呟きは、ピアノの音に紛れて誰の耳に届くこともなかった。

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