act.5-3 Blessing of the Muse
「…だからなんでここを溜まり場にするんだ…」
ここは俺の仕事場だぞ?と、ジャレッドは集まった面々を眺めてがっくりと脱力していた。
「ごめんなさい…」
簡単な給湯施設も隣接して備え付けられた応接間。率先してお茶の準備をしながら、アリアは申し訳なさそうにしゅんとなる。
"ゲーム"とは違い、この"現実"で、ジャレッドは"仲間"ではなくただの"協力者"となっている。そんな彼を、これ以上巻き込むのはどうかとアリアも思っているのだけれど。
「嬢ちゃんはいい子だなぁ…」
「だけどコイツらまで呼んだのはそこの"嬢ちゃん"だぞ?」
すっかり本性を現したギルバートが少し離れた位置に座る二人組を指し示し、大袈裟に悲しむ演技をするジャレッドへと突っ込みを入れてくる。
「だって、折角なら友好を深めた方がいいかと思って…」
シャノンとアラスター、そしてギルバートの三人の。
今日、アリアはギルバートを通してノアから呼び出しを受けていた。その為、せっかくだからとシャノンとアラスターにも声をかけて貰ったのだ。
ギルバートの自宅かと思えば指定されたのはジャレッドの元で、それには少し驚かされた。"ゲーム"と違い、ジャレッドは"怪盗団"に所属していない。これも"ゲーム"の強制力かとも思ったが、まだシャノンに心を許し切っていないギルバートが、自宅に"精神感応者"を招いて己のことを探られることを警戒しているのだろうと気づけば、確かに"ゲーム"でも当初はそんな理由からだったと思い出していた。
「友好、ねぇ…?」
やれやれ、と肩を落とすギルバートに、アリアは乾いた笑みを返す。
この"ゲーム"の"神エンド"。それは、シャノンとアラスターとギルバートの三人で迎えるハッピーエンド。
(私はそれが見たいのよ…!)
だから、三人が仲を深めてくれないと困るのだ。そうでなければ"神エンド"へ辿り着けない。
そして…。ノアとシャノンを会わせておきたかったというのも理由の一つ。この"現実"で、ノアはピアノが弾けなくなる事態にまで陥っていないようにみえるけれど、万一のことを考えて保険はかけておきたかった。
これまでの流れで、ギルバートが今後どれだけノアに深入りするかもわからないのだから。
ちなみにアルカナは、ここに来てすぐにテーブルの上で本当の猫のように背中を丸めて昼寝をしている。
「…問題はそれだよ」
頭を抱え、ジャレッドは奥に座るシャノンとアラスターに視線を移す。
「…いつの間にか四人も揃いやがって」
あの事件で、恩ができた五人のうちの四人。
アリアに引き続き、シャノンとアラスターを連れて現れたギルバートに、ジャレッドは本気で頭を殴られたような衝撃を味わった。
「…これじゃ放って置けねぇじゃねぇか」
空を仰ぎ、ジャレッドはこれ以上ない大きな溜め息を吐き出した。
本当に、もう関わりたくないと思っていたのに。
自分は彼らに場所を提供させられている被害者だと己に言い聞かせなければやっていられない。
「…迷惑かけてごめんなさい…」
「…嬢ちゃんだけのせいじゃねぇよ」
用意したお茶を配り終え、アリアはジャレッドへと再度謝罪する。
もうこれ以上ジャレッドを巻き込むのは申し訳ないと思うのに、気づけば"ゲーム"通りの展開になっている。
本来仲間となるはずだったシリルはこの場にいないけれど、これで最終的にサイラスが揃えば"ゲーム"の光景そのままだ。
「私はこっちでノアと話してるから」
ノアの隣の席に腰をかけ、アリアは残りの三人は別の席で適当に仲を深めて欲しいと微笑みかける。
この場に同席しているノアはまだ仲間ではないけれど、こうしていると"ゲーム"の中に自分が紛れ込んだみたいだと思わず嬉しくなってしまう。…実際に、"前作"とはいえその"ゲーム"の"登場人物"の一人になってしまっているのだけれど。
"ゲーム"の中で、魔力のないジャレッドは基本的にサポート役をしていた。そして、こんな風にジャレッドの仕事場がみんなの集合場所となって和気あいあいとしていたのだ。
「それで、どうしたの?」
お待たせ、とにこやかに微笑い、アリアは自分がお茶の用意をしている間に一通り自己紹介を終えたノアの顔を覗き込む。
ギルバートを通じて近いうちに会ってくれないかと打診があったのは先日のことだが、その用事の内容までは聞いていない。
「…子供用の練習曲をいくつか作ってみたから、実践の様子見と、アンタの感想を聞きたくて」
「本当に?」
すごいわね。と純粋に尊敬の眼差しを向けて、アリアは驚いたように目を丸くする。
作曲はしないのかと言ったのは本心からだが、本当にしてしまうとは思わなかった。"天才ピアニスト"はこんな才能もあったのかと本当に感動してしまう。
「でも、ここにはピアノはないけれど…」
この世界で、ピアノは早々お目にかかるものではない。それこそ上流貴族の社交場での生演奏の際やわざわざ足を運んで観賞するコンサートでもない限り、個人が所有しているものではない。
だからどうするつもりなのかと首を傾げれば、
「持ってきた」
「え?」
"あちらの世界"で言うところの"電子ロールピアノ"のようなものを取り出してみせたノアに、アリアは"ゲーム"の一場面を思い出す。そういえば、このロールピアノを使って、時々この溜まり場でノアは音楽を奏でていた。
もちろんこちらでは魔法でできているそれは、一般の流通経路で市販はされていないシロモノだ。なにせ、現在作れる者のいない、過去の遺産物だったりするのだから。そう簡単に手に入れることのできないものを持っているノアは、さすが"天才"といったところだろうか。
「ほら、弾いてみて」
手書きの楽譜を渡されて、アリアはそこに書き記された音符をしばらく目で追っていく。
(これくらいなら…?)
恐らくは、"あちらの世界"で"小学校2、3年生"くらいで弾いたレベル。
初めて触れるロールピアノの感触は変な感じがしたが、所々間違えつつも指先で音符を音にしていく。どこかで聞いたことがあるような気もするから、"あちらの世界"で幼い頃に弾いたことがあるのかもしれなかった。
「…へー。初見でもこの程度は弾けるんだ」
「…どれだけ私をバカにしてるのよ」
「褒めてるつもりだけど?普通令嬢はピアノなんて弾けないだろ?」
感心したように呟くノアに唇を尖らせれば、ノアは涼しい顔をして次の楽譜を渡してくる。
「じゃあ、次ね」
曲を完成させることよりも、当初の目的通り"初心者"の反応を見ているらしいノアは、一度アリアに弾かせた楽曲をなにか考えているように眺めながら、耳だけは次の曲へと傾ける。
それでも、毒舌キャラは健在で。
「…アンタ、自分の感覚で弾いてるだろ。リズムずれてる」
それとも音痴なの?と、眉を寄せるノアに、アリアは思わず子供っぽく頬を膨らませてしまっていた。
「っ!ノアは才能はあるかもしれないけど、指導者には向いてないわよっ」
「はぁ?」
「子供相手に教えるなら、もっと丁寧に優しくしなきゃ!」
子供向けの練習曲だと言っていた。それを、こんな風に指導したとしたら、落ち込んで弾くのを止めてしまうかもしれない。
だから、そう思ってそう言えば、
「…アンタ、そんなに子供扱いされたいの?」
一瞬小さく目を見張った後、くすりと可笑しそうに笑われて、アリアは反射的に口を開く。
「そういうことを言ってるわけじゃ…っ」
「だって、"優しくして欲しい"んだろ?」
「っ!」
机に肘を付いた体勢で意味深にニヤリと笑われて、アリアは思わず息を呑む。さすが"攻略対象者"と言ったところで、どことなく艶っぽい色香を感じて思わず赤くなってしまう。
「いいから次」
「!どれだけ作ってきたのよっ」
はい、と次の譜面を渡されて、アリアは却って呆れたように声を上げてしまう。
「なんか、面白くなっちゃって」
次から次へとくるくる表情を変えるアリアが楽しくて、ノアはくすりと笑みを溢す。
本当に、想像通りの反応で面白くて仕方がない。
なんだかんだと文句を言いつつ、「可愛い」「素敵」「綺麗」と洩らされる感想が本心からのものだとわかるから、なんともくすぐったい気分にさせられる。
そうして次から次へと"子供用練習曲"を弾かされたアリアは、次に自ら手に取った楽譜を前にして大きく目を見開いていた。
「こんなの弾けないわよ…っ!」
それは、「#」や「♭」がふんだんに使われた、超高難度曲。
そんなアリアにノアは「え?」と譜面へと目を落とし、そこに書かれている楽曲を確認するとアリアからそれを奪い返していた。
「あぁ、これは自分用」
「え?」
なぜか隠すようにアリアの視界から遠ざけるノアの行動に、アリアは瞳を瞬かせる。
「間違って入り込んだんだな」
自分用、ということは、もちろんノア自身が弾く為に作った曲ということで。
「えっ?弾いてみてっ」
アリアは思わずキラキラと期待に輝かせた瞳をノアに向ける。
"ゲーム"の中で、ノアは作曲などしていない。そんな"超劇レア体験"、できるものならしてみたい。
(聴きたい…っ!)
"天才ピアニスト"が自らの為に作った曲を奏でるのは、どんなに素敵なことかと思う。
「…まだ未完成だから今度」
だが、なぜか微妙な表情で拒否をしてくるノアへと、アリアは寂しそうな瞳を向ける。
「少しくらい…」
せっかくのチャンスなのに、弾いて貰えないのは物凄く残念だ。
「だーめ」
「どうしても?」
上目遣いでねだるような仕草をしてくるアリアの瞳に、うっかり絆されそうになってしまいながら、ノアはひっそりとした囁きを洩らす。
「後でのお楽しみ」
なんだか子供を宥めるみたいなノアの態度に少し大人げなかったかしらと思いながらも、アリアは少しだけ食い下がる。
「…じゃあ、一番に聞かせてくれる?」
"ゲーム"の"ファン"として、是非その特権が欲しいとコトリと窺うように首を傾げれば、ノアは「え…?」と一瞬時を止め、次にくすくすと楽しげな笑みを溢していた。
「…それ、すごい口説き文句だね」
「え?」
真っ直ぐ顔をみつめられ、アリアは不思議そうに瞳を瞬かせる。
「…嬢ちゃん、嬢ちゃん」
そこへ、疲れたような様子で差し込まれたジャレッドの声。
「…嬢ちゃんは、マジでその無防備どうにかしろよ?」
「…え?」
今まで我関せずで自分の仕事に取り掛かっていたらしいジャレッドだが、はぁ~…、と大きく肩を落として呆れたような視線を向けてくる。
ここは、"BLゲーム"の世界。"主人公"のシャノンがこの場にいる時点で、アリアは自分自身が恋愛事に巻き込まれるようなことなどありえない、と思っている。
「…だからあの婚約者はあぁなるんだな…」
周りへの牽制が手段選ばず容赦ない少女の婚約者の姿を思い出し、ジャレッドは遠い目を虚空へと彷徨わせる。
これは本当に厄介だなぁ…、と呟いて。
不思議そうに小首を傾げる少女へと、もう何度目になるかわからない溜め息を吐き出していた。
*****
目的があって近づいてきたギルバートの思惑など知る由もないノアは、何度か交流を重ねているうちに気安くなっていた同じ学校の先輩へと、穏やかな微笑を向けていた。
「今日はありがとな」
王都からの帰り道の馬車の中。向けられる謝礼の言葉に、ギルバートは少しだけ複雑そうな表情を浮かべていた。
「…いや」
「おかげで一歩前進できた」
アリアの存在自体はギルバートから聞いていても、その正体が「公爵令嬢」だなどということを知ってしまえば、平民のノアがそう簡単に会える相手であるはずもなく、どうやら知り合いらしいギルバートを頼って叶った再々会に、ノアは満足気な笑みを洩らす。
「にしても、本当に変な女だな」
身分の高い令嬢だからといって、今さら態度を変えられるはずもなく、けれどあの少女はそんなノアの言動を欠片も気にしている様子はなかった。
今までの少女との遣り取りを思い出せば、笑いが止まらなくなってしまう。
からかうと表情をくるくると変えるその様は楽しくて仕方がない。
「…それは同感だ」
「アレがアクア家の御令嬢?」
小さく肩を落として同意を示すギルバートに、ノアもまた可笑しそうな笑みを浮かべる。
「すっげー変。全然令嬢らしくない」
もちろん容姿や仕草、言葉遣いなどは精錬された淑女に通じるものがあるけれど、それでも中身はとても令嬢らしからぬもので可笑しくて堪らない。しかも、ただの令嬢ではなく、公爵家。少女以上の身分の人間を探す方が難しいくらいの、本来であれば口を効くことすら叶わない雲の上の人間だ。
「アクア家の令嬢って言ったらアレだろ?婚約者が溺愛してるって噂の」
それはもう、貴族の間だけでなく、平民であるノアの耳にまで入っているほどの常識だ。
ーー『他の男に指一本触れさせないように目を光らせてる恐い婚約者がいますかね?』
「お前がこの前言ってたの、ソイツのことだろ?」
あの少女がアクア家の令嬢だということを知れば、この台詞にも納得がいく。
「アレを溺愛って…」
思い出し笑いに肩を震わせて、ノアは不意に真面目な瞳になる。
平民である自分は貴族に興味はないけれど。
「…まぁ、少なくとも見る目はある、か?」
呟いて、隣のギルバートへと視線を投げる。
あの少女を溺愛しているというのなら、身分に胡座を掻いたような人間でないことは確かだろう。
「…油断ならない男だよ」
自然ノアから視線を外し、ギルバートは苦々しそうな表情を貼り付ける。
なにもしていないうちから、なにか勘づかれている気がしてならない。
それは、見えない刃を首元に突き付けられているかのような。
"ZERO"として次に会ったら、それだけで正体が割れそうな危機感を覚えさせられている。
「…へー?」
なぜか興味津々なノアのその瞳に、ギルバートは知らず唇を噛み締めていた。