荷物
アリアが動いたことにより、確実に"ゲーム"の展開に弊害は出ていた。
本来、この時点で、シャノンとアラスターはそれなりにギルバートと接触があった。だからこそ、シャノンはギルバートと"ZERO"が同一人物だということに気づき、一人、真相を確認すべく動き出すのだから。
だが、この"現実"で、シャノンとアラスターはギルバートとほとんど接触していない。この溝を、どのようにして埋めるのか。
休日の昼下がり。アリアが一人でそこにいたのは偶然だった。
「ちょっと来い」
「え…っ?」
自宅の敷地内にある噴水の横。突然姿を現したその人物に、さすがのアリアも驚きの声を上げる。
「ギルバート!?」
周りに誰の気配もないことは確認済みでの行動だろうが、こんな昼間に堂々と空間転移でやってきたギルバートに、アリアはなにかあったのかと緊張に鼓動を高くさせる。
「アンタ、今度はなにやらかした」
「"やらかした"って…」
苛立ちとも焦燥とも取れる小さな舌打ちを一つ洩らし、細い腕を取ったギルバートに、アリアは動揺に揺れる目を向けていた。
「行くぞ」
「って、どこに…っ?」
この後のアリアの予定もアリバイにも構うことなく、ギルバートは空間転移の闇の裂け目にアリアを連れ込む。
「一体なにが…っ?」
わけがわからないまま連れ去られたアリアは、一瞬の闇に呑まれた後、見覚えのある空間にますます目を丸くしていた。
灰色に近い水色の、落ち着いたペルシャ絨毯風の敷物。暖炉の上には鏡があり、応接セット以外の物がほとんどない簡素な空間を映し出している。
子爵の家柄であるアラスターの家は、両親が生きていた頃から仕える年配の執事を除き、時々通ってくる手伝いの者が片手の数で足りるくらいの寂しい佇まいをしていた。
そして、恐らくは両親が生きていた頃から使っているであろう年代物を思わせる来客用の椅子に。
「シャノン!?に、アラスターまで…」
これまた見知った顔を見つけて、アリアは「どうしたの?」と瞳を瞬かせていた。
「共犯者のご登場か」
「アラスター」
くす、と意味ありげに洩らされたアラスターの呟きに、咎めるようなシャノンのじとりとした目が向けられる。
「……えっ?」
"共犯者"とは一体なんのことか。
「ギ、ギルバート?一体なにが…」
突然の展開にわけがわからずギルバートの顔を見上げれば、ギルバートは苦々しそうな様子でチラリとシャノンへ視線を投げていた。
「仲間に入れろと言ってきた」
「…え…?それってどういう…?」
確かにシャノンが"ZERO"の正体に気づき、仲間になるのはこのタイミングではあったけれど。この時点で"仲間"になるのはシャノンのみで、アラスターはまだ先のはずだった。
「まさかアンタたちが盗みの犯人だったとはな」
「ギ、ギルバート!?」
どうやら全て把握済みらしいアラスターの発言に、アリアは自分がここに連れて来られる前に一体なにがあったのかとギルバートへと声を上げる。
「聞きたいのはこっちの方だ」
けれどギルバートは苛立たしげな態度を崩すことなく、アリアへと顔を潜めていた。
そして。
「…俺は精神感応者だ」
今まで会話に入ることなく口を閉ざしていたシャノンが顔を上げ、静かな声で告げる。
「他人の心の中が視める」
ギルバートへとあっさり自分の特殊能力を開示してみせたシャノンへ、隣に座るアラスターが複雑そうな瞳で苦笑を溢している。
"この世界"は魔法が存在するファンタジー世界。けれど、シャノンのような"超能力者"が存在する"設定"にはなっていない。
とはいえ、"なっていない"というだけで、"いない"とは断定できない。その辺りの世界観は"あちらの世界"と同じ。"特殊能力者"はいるかもしれないしいないかもしれない、という希望的観測、夢物語だ。
だから、知識としては"精神感応"の概念は存在しているから、シャノンの言葉が全くの意味不明、というものでもない。
「それで、アンタが"ZERO"だとわかった」
ギルバートへと顔を上げ、視線を逸らすことなくシャノンは続ける。
「信じる信じないはアンタの自由だが、俺に誤魔化しや嘘は通じない」
"ZERO"の正体に気づいたシャノンが、それを暴く過程は"ゲーム"とさして変わらない気がする。ただ、アリアの知る"ゲーム"の流れでは、シャノンが自ら仲間になるのではなく、その能力を利用できると思ったギルバートの方が言葉巧みに引き込んだようなものだったけれど。
「…でも、"仲間"って……」
"ゲーム"と違い、この"現実"では、シャノンがギルバートとZEROに会ったのは、アリアの知る限り一度ずつだけ。
そのたった一度でギルバートを訪ねられるほどの情報網は、恐らく有能なアラスターの力に因るところだろうが、その程度の友好関係で「仲間になる」などというのはなにかの罠なのではないかという疑念が生まれてしまう。
しかも、ギルバートの方から言い出すのではなく、わざわざシャノンの方からだ。
これも一種の"強制力"かと戸惑うような視線をシャノンとギルバートへ交互に投げれば、
「…アンタ、どんだけ重い荷物抱えてるわけ?」
なぜか本意ではなさそうな、不貞腐れたようにも取れる表情をして、シャノンが小さな吐息をついていた。
「そんな重い荷物背負ってたら、そのうちアンタ潰れるぞ?」
「…え……?」
"荷物"とは、一体なんのことだろうか。
わかるようでわからないその言葉に瞳を揺らめかせるアリアへと、シャノンは真摯な瞳を向ける。
「…アンタの荷物、少し寄越せ」
真剣な声色の一方で、シャノンは不服そうにも見える態度をアリアへ向ける。
「『視んでいい』って、アンタが言ったんだろ?」
ーー『貴方が本気で知りたいと思ったら、視んでくれて構わない』
倒れかけたアリアへ手を伸ばした際、その苦しみを視んでしまったのは、完全に不意打ちで故意ではない。
けれどこのままではこの少女はその苦しみに潰されて壊れてしまうのではないかと、シャノンへそんな不安を抱かせていた。
「…シャノン……」
シャノンの言う"荷物"がなにを示しているのかはよくわからないが、シャノンが自分を心配してくれていることだけはわかって、アリアは小さく目を見張る。
自分が倒れた時のことはよく覚えていないが、意識が途絶える直前に、確かにシャノンの呼び声を聞いた気がする。恐らくは、その時不意打ちで視んでしまったのだろうと思うと、シャノンと、そしてギルバートにも申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。
「…どういう意味だ?」
「まぁ、正直なところ、俺にも詳しいところまではよくわからないんだけどな」
あの一瞬で全てが視めたわけではないと苦笑を溢すシャノンの横で、アラスターもまた肩を竦めてギルバートを見遣る。
「ただ…」
あの時シャノンの中へと流れ込んできた感情は、ただひたすら罪の意識に苛まれる少女の苦しみ。にも関わらず、それでもやらなければならないという使命感。
そして…、"ZERO"の影に在るギルバートの姿。
一瞬の放流は、その全てを理解することはできなかったが、たった一つだけ、目の前の少女が一人で"なにか"を背負って苦しんでいることだけはわかった。
「…アンタは、コイツを巻き込んだなら少しは責任取れ」
"ZERO"が目の前に現れた時、直感的に感じた違和感はコレだったのだと、シャノンは目の前のギルバートへ目を向けながら確信する。
ーー初めて会ったはずなのに、そう思えないざらりとした感覚。
ZEROと同じ感情の波動を、どこかで視たことがあるような。
「…つっても、協力を名乗り出てきたのはコイツの方だぞ?」
無責任だと言わんばかりの瞳を向けてくるシャノンへと、ギルバートは言いがかりだと眉を寄せる。
「大体、オレにはお前らの会話の意味がさっぱりわかんねぇし」
突然家へと押しかけてきた見知った顔。
とりあえず家の中へと招き入れれば、開口一番"ZERO"の正体を知っていると告げられて、「仲間にしろ」などとは脅し文句としか思えない。
彼らが少女の知り合いだということを考えれば、彼女がまたなにか仕出かしたと思うのは普通だろう。
目の前で繰り広げられる二人の会話は、ギルバートには意味がわからない。
それをいきなり「責任」などと言われても。
「大罪を犯して平気な顔をしてられるアンタにはわからないか?」
「…あぁ、そういうことかよ」
ここにきて初めて、ギルバートはシャノンの苛立ちを理解する。
ここ最近少女の顔色が良くないことくらいわかっていた。
恐らくは、罪の意識を感じているのであろうことも。
だからと言って。
「そんなの、始めからわかってたことだろ?」
その覚悟は決めていたはずだと、ギルバートもまた苛立たしげにシャノンとアリアへ顔を向ける。
そんなこと、ギルバートの感知することではない。
目的の為には手段など選んでいられないと、遠い昔、幼いあの日にそう誓ったのだから。
「で?お前は少しでもコイツの罪悪感を軽くする為に共犯者になるって?」
荷物を寄越せとはそういうことなのかと、ギルバートはシャノンへ嘲るような笑みを返す。
「随分とお優しいことで」
他人の罪を一緒に背負おうなどと、どれだけおめでたい頭をしているのかと思ってしまう。
血塗られたあの日、幼い自分へと手を差し伸べてくれる優しい人間など存在しなかった。
所詮、人間はたった一人なのだと、幼くして思い知らされた絶望。
「…そんなんじゃない」
自分へと向けられる仄冥い感情を感じ取り、シャノンは唇を噛み締める。
自己犠牲だとか、そんな自己満足のつもりじゃない。
ただ、このままでは少女が壊れそうだと思ったら、見て見ぬふりができなかっただけ。
「"精神感応者"、ねぇ…?」
「物から残留思念を視むこともできる。なんなら試してみるか?」
目の前の少年の姿をジロジロと不躾に観察するギルバートへと、シャノンは挑発的な言葉を投げる。
ここは彼が生まれてから最も長い時間を過ごしてきた自宅だから、その気になればギルバートのことなど視み放題だ。簡単に丸裸にすることができるだろう。
「それは遠慮しとく」
脅しかよ。と、くっと唇の端を引き上げて、けれどギルバートは一つの結論を出す。
「確かに、役には立つな」
それは、"ゲーム"の中でもギルバートが至った思考。
そうしてタイミングこそ違うものの、シャノンとアラスターを加えた"怪盗団"が結成されることになるのだった。