初動
朝から調子が良くなかった。
一番のその原因はわかっている。
(…今回はまた随分と重いわ……)
どうして月に一度、オンナノコはこんな思いをしなくてはならないのかと、溜め息が漏れてしまう。
腹部に感じる鈍痛と、軽い吐き気。
いつもはここまで酷くないのだが、恐らく最近の寝不足も祟ったりと、精神的なものから余計なのだと思われた。
「…アリア、体調悪い?」
「…大丈夫」
心配そうに覗き込んでくるユーリの顔は相変わらず可愛いけれど、最近は"美少女"から"美少年"になってきている気がする。
気遣わしげなユーリの瞳に、「気にしないで」と緩く微笑めば、ユーリと共にアリアを訪ねていたシオンから、探るような視線を向けられていた。
「…昨日、街に出かけたか?」
「え?」
なぜ、それを知っているのだろう。そんな疑問も頭に浮かんだものの、もしかしてわざわざアリアの教室まで訪ねてきたのはこれを確認したかったのだろうかと思うと思わずギクリとしてしまう。
ギルバートと、例の事後報告の為にジャレッドに会っていた。
けれど、その帰りがけに寄り道もしてきた為、変に誤魔化すほどのことでもない。…少しだけ、後ろめたさはあるけれど。
「ちょっと買い物に…」
ギルバートたちのことは話せないが、それ以外のことは特に隠すようなことでもないので、アリアは「あぁ」と昨日の出来事を思い出して口を開く。
「三年生のサイラス様と、それから、偶々シャノンとアラスターにも会ったけど」
その瞬間、シオンがぴくりと反応したが、その横でユーリが「シャノン?アラスター?」と小首を捻り、それから己の記憶を探るように「あぁ!」と手を打ったのに、思わず笑いが込み上げてしまう。
ユーリは二人の名前を聞いたことがあるくらいで、実際に会ったことはない。"初代"と"二作目"の"主人公"が並んで会話を弾ませるようなことがあればそれはどんなサービスショットだろうと、思わずその姿を想像して楽しくなってしまう。
「…あの、生徒会の?」
「えぇ。本当に偶然だけれど」
さすがにその辺りの情報は網羅しているらしいシオンから確認され、アリアはこくりと素直に頷く。
それから、彼らを見かける原因となった寄り道を思い出し、アリアは独り言のような呟きを洩らしていた。
「昨日取り寄せして貰ったものがあるから、今日も寄って帰らなくちゃ」
昨日、新作だとオススメされた茶葉の一つ。その一つがとても気に入ったのだが、生憎在庫切れで入荷が今日になるということだった。
その為、今日の学校帰りにまた寄るからと、取り置きを頼んでいたのだ。
「…寄り道なんかして大丈夫?」
「大丈夫よ」
体調悪そうなのに。と潜めた双眸で窺ってくるユーリへと、アリアはなんとか作った笑顔を返す。
オンナノコの月一の事情です。などとは、純朴なユーリにはとても口にできないけれど、案外正直に話してしまった方が、いらない心配をかけずに済むのかもしれないと思うと困ってしまう。
「…放課後、迎えに来る」
「…え…?…そんな、大丈夫よ…」
さらりとアリアの前髪を掬い、その顔色を確認したシオンから半分諦めたような吐息を溢されて、アリアは「そこまで心配しなくても…」と困ったように眉を寄せる。
「ちゃんと待ってろよ?」
わざわざ放課後の教室から自宅まで付き合うと宣言され、アリアは益々困った笑顔を浮かべていた。
*****
アリアお気に入りの紅茶専門店は、カントリー調の可愛い作りの店構えとなっている。その為、女の子同士の来店や時々カップルの姿を見かけるようなことはあったとしても、男性客一人という姿はまずないと言っていい。
つまり、なにが言いたいかといえば。
「…外で待ってる…?」
きっと、シオンにはつまらないだろうと声をかければ、「気にしなくていい」と淡々とした口調で返されて、アリアは店の扉を開く。
カラァーンッ、と高い鈴の音が鳴って、茶葉の芳ばしい薫りが漂った。
アリアの顔を見れば店員はにこりと笑い、茶葉の用意をしてくれる。待っているその間に店内をぐるりと一周すれば、今日入荷した茶葉と同じタイミングで仕入れたのか、アリア好みの小さなワイルドストロベリーの描かれたティーセットが目に留まり、思わず魅入ってしまっていた。
(…でも、家にはたくさんあるし、ね…)
完全に一目惚れだが、アリアの自室にも似たようなティーセットがいくつか置いてある。これ以上増やすのも…、と残念ながら購入を諦めようとして。
「…欲しいのか?」
じ…、と一点を見つめているアリアの視線の意味を悟ったのか、横から顔を覗かせたシオンにそう尋ねられ、アリアは困った笑顔を浮かべていた。
「でも、これ以上増えても仕方がないし」
名残惜しそうな瞳でその場を離れようとするアリアの姿に、シオンは少しだけ考え込むような様子を見せる。
それから、購入した茶葉の受け取りに向かおうとするアリアへと、静かな問いかけを投げていた。
「……オレの部屋に置いておくか?」
「…え?」
「家に来た時に使えばいい」
時折シオンの家へお邪魔する際は、給仕の者がお茶菓子や飲み物を用意してくれている。シオンの部屋にもお湯を沸かすくらいのちょっとした設備はあるが、それが使われることはまずないと言っていい。
だからアリアが来た時には、好きにすればいいと言うシオンの提案に、アリアは思わず気持ちが揺らめいてしまう。
「…いい、の…?」
一目見て気に入った、可愛らしいティーセット。それが自分のものになるというのはとても嬉しいことだけれど、それを一揃えシオンの部屋に置いておくということに躊躇いがないわけではない。
どう考えてもあの部屋に、華奢なティーセットは似合わない。
「気に入ったんだろう?」
買ってやろうか?と尋ねてくるシオンには、驚きから目が丸くなってしまう。
アリアの私物を、シオンの部屋に置いておいて構わないという許し。その事実に、とてもくすぐったい気分にさせられる。
「ありがとう」
単純に、とても嬉しくて。
アリアはふんわりと花の綻ぶような笑顔を浮かべていた。
『あ』
互いの声が重なって、一瞬だけ時を止めた。
「…シャノン。と、アラスター」
紅茶専門店は大通りから少し入った小路に在った為、馬車を停めてある場所まで歩いていたアリアは、昨日に続いて出会った二人の姿に軽く目を見張っていた。
「…どうしたの?」
アリアたちと同じく学校帰りと思われる制服姿。二人の通う学校は、ここからさほど遠くはないが近くもない。にも関わらず、連日ここまで足を運んでいるのはなにか理由があるのだろうかと問いかければ、どうやらアラスターに付き合わされているシャノンが疲れた吐息を洩らしていた。
「コイツが、"ZERO"について調べるっていうから」
(そうだった…!)
その言葉に、"ゲーム"の記憶が甦る。ウェントゥス家から秘宝が盗まれたという話を聞き、その"怪盗"に興味が沸いたアラスターが、独自で犯人探しを始めたことから"主人公"が巻き込まれていくのだから。
恐らくは、持ち前の好奇心と広い交遊関係から調査に乗り出しているところなのだろう。
「"ZERO"って…、この前俺らが会ったアイツだろ?」
「……多分…」
そこだけ声を潜めながらも、隠し切れない好奇心を滲ませるアラスターに、アリアはなんともいえない表情を浮かばせる。
今、その正体と目的について、王宮と公爵家は対応に追われている。
個人的な興味と好奇心で動いているアラスターに、恐らくシオンは好意的な感情を抱かないだろうなと思ってチラリと視線を隣へ投げれば、やはりそこには表情を潜ませたシオンの顔があった。
「ちょうど良かった。昨日聞きたかったけど聞けなくて。その時のこと、なにか知ってたりしたら教えて欲しいんだけど」
純粋な好奇心を前にして、アリアは言葉を詰まらせる。
「え…」
アラスターに悪気は全くない。
目の前にいるシオンの家がその被害者だという事実も、"探偵行為"の探求心を擽る要素になったとしても、遠慮をする理由にはならない。
"ゲーム"の進行上、アラスターが"ZERO"に興味を持ってくれなければ話は進まない。
"主人公"視点の"ゲーム"の中では純粋に面白かった"ZERO"の捜索も、視点が公爵家に変わると事情が変わる。
素人が余計な真似をするな、と、そんな空気が流れてしまう。
"ゲーム"の中でアラスターたちが公爵家の人間と接触することはなかったから、これは本当にアリアが動いたことによるイレギュラーが発生しているとしか言いようがない。
"犯人探し"という意味では味方のはずなのに、シオンの中のアラスターの立ち位置が完全に"敵"と認識されてしまったような気がして冷や汗が滲んでしまう。
("ヒーロー"同士なのに…!)
美形同士、できれば仲良くなって貰いたいというアリアの望みは叶うだろうか。
余計な悩みが増えた気がして、頭が痛くなってくる。
アリアとしても、自分が犯人だという後ろめたさもあって、その辺りについてはあまり触れて欲しくはない。
ぶり返した罪悪感に軽い吐き気が込み上げる。
腹部の鈍痛が増した気がして、頭がくらりと傾いた。
「できればその時の状況とか詳しく…」
シオンは、アリアの隣にいた。
けれど、触れられたくない汚点への問いかけに、シオンの意識も少し別のところに向いていたのかもしれない。
「っ!?おい…っ!」
目の前で傾いた華奢な身体へ、反射的にシャノンの手が伸ばされる。
「アリアッ!?」
その身体全てを受け止めることはできなかったものの、地面へと崩れ落ちる速度は弱まり、すぐに気づいたシオンの腕も傾いたアリアへと伸ばされる。
シャノンとシオンとで二対一ほどの比重でかけられた重みに、シャノン自身もバランスを崩しかけていた。
「…ぁ……」
なんの対策も取っていないまま触れた身体。
完全に不意打ちで無防備な状態で流れ込んできた意識に、シャノンはギリリと歯を食い縛る。
「……く……っ」
「シャノンッ?」
異変を感じたアラスターの声がシャノンへとかけられて、シャノンは一つ大きな深呼吸を吐き出していた。
「…大丈夫だ」
自身もふらつく頭を抑えながら、シャノンは腕に在る少女を婚約者へと預け渡す。
「アリア…?」
もはやシオンの目には愛しい少女の姿しか入っていない。
完全に意識を手離している華奢な身体を抱き寄せて、シオンは大切な存在に大事がないことを確認すると、シャノンとアラスターの方へと振り向くことなく、抱き上げたその身体を馬車へと運んでいた。
「……アイツ……」
昨日から青白いと思っていた顔。
婚約者に運ばれていった頼りないその横顔を見送って、シャノンは苛立たし気な呟きを洩らす。
「…シャノン…?」
「また余計なもの視せやがって…」
完全に油断していた自分が悪いのだが、不意打ちで流れ込んできたアリアの無意識に、シャノンは唇を噛み締める。
初めて会ったあの時から、不思議な少女だとは思っていた。
一人でなにかを抱えているらしいことにも、薄々気づいていた。
けれどまさか。
あの小さな身体に、それほどまでの苦しみを抱えているなんて。
「……アラスター」
隣に立つ幼馴染みに顔を向けることもなく、シャノンはすでにいなくなっている少女の影をみつめて口を開く。
「ん?」
「話がある」
ぐっ、と拳を握り締め。
それは、シャノンの覚悟だった。
「…アイツを、助けてやりたい」
誰にも言えず、一人で苦しんでいることに気づいてしまった。
きっと、この役目は。
少女が決して口にできない苦しみを理解することができるのは、自分しかいない。
その苦しみを、少しでも和らげてやりたいと、そう思ってしまったから。
「……惚れてンの?」
「は?」
なにか決意を滲ませるシャノンの横顔に、アラスターは苦笑いを浮かばせる。けれど返ってきた答えは完全に呆けた顔で、アラスターはやれやれと嘆息する。
「…ま、いーや」
本人がなにも気づいていないというのなら。
余計なことを気づかせてやる義理はない。
「……まぁ、妬けはするけどな」
間違いなく親友である自分に今までずっと隠してきたことを、彼女のために告げる決意をするというのは。
「お前がやりたいことなら協力してやるよ」
もしもソレがアラスターの勘繰りでないならば。
応援はしないけれど、この相棒が前向きに歩き出すことは背を叩いてやろうと、アラスターは苦笑いを洩らしていた。