敵意 ~サイラス・ソルダード~
今回の"ゲーム"の重要人物最後の一人、サイラス・ソルダードは、アリアたちの学園に在籍している、生徒会メンバーの一人だ。
"一作目"への"ファンサービス"か、シャノンがサイラスを訪れた際に、"誰か"と待ち合わせているらしいユーリの姿を見かけたりする。
もちろんその"相手"が誰なのかは暈されているけれど。
一学年上に所属する彼とアリアとの接点はほとんどない。
せいぜい社交界でちらりと顔を合わせる程度のもの。それでも今回の"ゲーム"の中で唯一上流階級の彼のことは、存在だけは前々から知っていたのだけれど。
(だから、どうしてこうあるある…!)
放課後の、人影のない校舎の一角。
アリアがそこに居合わせたのは本当に偶然だったが、目に飛び込んできた光景に、アリアは思わず突っ込みを入れずにはいられない。
シャノンとアラスターが彼に出逢うのは、街中で買い物をしている時だ。
ガラの悪い連中に絡まれているところを、助太刀に入ったシャノンとアラスターとの三人で撃退する、という、こちらもよくある王道パターン。
しかし、今繰り広げられている光景は。
("シナリオ"外でもこんなあるあるが起こってたのね…)
"前作"の時も思ったけれど、"ゲーム"外で起こるちょっとした事件も、"漫画"や"小説"でよく見かけるあるあるが多いのは、王道好きの"制作スタッフ"のせいだろうか。
「生徒会メンバーだかなんだか知らないけど偉そうにっ!」
サイラスに向かい、そう吐き捨てたのは、タバコを注意された学生三人の中の一人だ。
基本的には治安の守られた明るく楽しい平穏な学校だが、大人数の生徒がいる為、時にはそこから外れてしまった生徒もいる。
他人に危害を与えるようなことをしているわけでもなく、ただ個人個人でタバコを楽しんでいるだけなのだから、反抗期の少年が見せる悪事としては可愛いものだろう。
そもそもこの国の法律では、タバコは16歳から解禁になっている。つまり、喫煙が禁止されているのは校内での話。
「…そんなに吸いたければ外に出てから吸えばいいだろう」
伊達のはずのメガネを押し上げ、サイラスは不快そうに眉を寄せる。
一見神経質そうに見えるサイラスだが、実はサイラス自身タバコを吸えることをアリアは知っている。
本音を言えば、自分の視界に入らないところでやってくれと、そんな気分に違いない。違反行為を目にしてしまえば、生徒会役員として否応でも注意せざるを得なくなる。
「べっつにいいだろー?誰にも迷惑かけてねぇし」
もう放課後ということもあり、辺りに人影は見当たらない。
だからこそさっさと帰って外で吸えばいいという話なのだろうが、少年たちからすれば、"校内で吸う"という違反行為をすることが楽しいのだろう。
少年はケタケタと楽しそうに笑って再度タバコへと口つけると、ふぅーっ、とサイラスの顔面へ向かってわざとタバコの煙を吐きかけていた。
「優秀な生徒会会計さんは、さっさとどこかに消えな」
三人いる不良軍団の顔をアリアは誰一人として知らない。
その物言いから同じ三年生か、身分もそれほど低くはないようにも思えたが、粋がっている彼らにとっては身分階級など関係ないのかもしれないとも思えた。
「とにかく、校内は喫煙禁止だ」
中心格らしい少年の傍まで寄ると、サイラスはあっさりと火のついたタバコを取り上げる。それから、残った二人の元へと向かおうとして。
「っざけんなよ…っ!」
タバコを取り上げられた手でそのまま拳を作り、少年はサイラスへと殴りかかっていた。
斜め後方から繰り出された拳を身を捻ることでさらりと躱し、サイラスは少年の足元へと自分の足をかけるとそのまま地面へと転ばせる。
「…っ」
衝撃に少年は顔を歪め、まだ真新しいタバコが辺りへと散らばった。
そして、サイラスは流れるようにそのまま未使用のタバコへと手を伸ばし。
「…な…」
魔法だろうか。タバコの先に小さな火が灯ったかと思うと、慣れた仕草で反対側へと口をつけていた。
肺へと大きく煙を送り込み、静かに空へと息を吐き出す。
もくもくと空へと放たれたそれが少しずつ空気に溶けて消えていく様子を眺めながら、サイラスは眉を潜めていた。
「…こんなところで吸っても不味いだけだな」
そんな優等生の姿に少年たちが呆気に取られる中、サイラスは少年三人を睨み付ける。
「規則は規則だ。今回はお互い様で見逃してやるからさっさと消えろ」
途端、なにか捨て台詞を吐きながらサイラスへ背を向けて去っていった少年たちに、アリアは影からほっと息をつく。
万が一乱闘になったとしても、護身術を一通り心得ているサイラスが負けるとは思わないが、学園内で喧嘩騒ぎなど、他の誰かに知れたら立場が悪くなるだろう。
(…えーっ、と…?)
その場から動くこともできずに事態を見つめていたアリアは、どうしようかと頭を悩ませる。今出ていけば確実にサイラスに見つかってしまう。早くその場を立ち去ってくれないものかとチラチラとサイラスの方へと視線を投げる。
と。
「誰だ」
キツめの低い声が放たれて、アリアはびくりと肩を震わせる。
「さっきからそこにいるだろう」
一瞬姿を隠すよう死角へと身を退いたが、このままではこちらへと歩いてきそうなサイラスの気配に、アリアは仕方なく出ていくことを決意する。
「……」
なにをどう言い訳したものかと申し訳なさそうにサイラスを見つめ、アリアはおずおずと数歩前へと進み出ていた。
言葉を交わす距離としては遠すぎるくらいの距離を空け、視線が交錯すること十数秒。
「…アクア家のお嬢様が覗き見か?」
随分といい御趣味で。と呟かれたその言葉は、完全に嫌味の声色だ。
「…そういうわけでは…」
一部始終を盗み見したくて見ていたわけではない。アリアがこの場に居合わせてしまったのは本当に偶然…、だと思いたい。決して、"続編"の"キャラクター"だからとアリアが気にしていた結果、ではないと思う。
「まぁいい」
嘆息し、タバコを持った手を上へと掲げ、サイラスの瞳の色が一瞬変化した。
ぼ…っ、と小さな炎が掌の上へと現れたかと思えば、その一瞬後にはタバコは粉々の灰となって宙へと消えていた。
「これで証拠隠滅だ」
別段アリアが誰かに話すとも思っていないだろうが、風に流れていった細かな残骸をみつめてサイラスはくすりと冷たい笑みを貼り付けた。
「…対応としては悪くなかったと思いますけど」
わざわざ共犯になることでお互い様だと思わせて退散させる。
一方的に規律違反だと咎めただけでは、逆上させて暴力に訴えていたかもしれない。
あの様子では反省はしていないだろうが、今後堂々と校内でタバコを吸うような真似はしないかもしれない。
「それはどうも?」
おずおずと意見したアリアへと皮肉気な笑みを洩らし、サイラスはメガネを外すとなんの障害物もなくなった鋭い瞳をアリアへ向ける。
つかつかとアリアの傍まで歩み寄り、通り過ぎ様、アリアの肩を掴むと顔を寄せる。
「…っ!」
「もう二度と関わるな」
まるで脅しのように低く囁いて、サイラスはアリアへ顔を向けることなく去っていく。
「…え……」
呆然とその後ろ姿を見送って。
(…て言われても無理かも…?)
普通の令嬢であればその脅しに驚いて二度と近づかないようにするかもしれないが、生憎アリアは普通ではない。
"続編"の重要人物である以上それは出来ない相談だなぁ、などと思いつつ、アリアはすでに視界から消えているその後ろ姿を見つめていた。
サイラス・ソルダード。
優秀な跡取りとして期待される上の兄と、それをサポートするやはり有能な下の兄。
政略結婚として使える「娘が欲しかったのに」という幼い頃の両親の一言が心の傷になり、人との距離を取るために度の入っていないメガネをかけるようになった。
その後妹も生まれた為、ますます自分の居場所を失った彼は、自身も優秀だというにも関わらず、出過ぎた真似をしないよう上手く手を抜いて生活するようになっていた。
けれど、シャノンたちと出逢い、「そんなにつまらない人生送ってんなら、俺らに興味持ってみない?」とアラスターに誘われ、興味本意で怪盗団の仲間になる。
最終的には、「遠慮して自分を隠して生きるなんてくだらない」とシャノンに一刀両断されて目が醒める。
…というのが大まかな流れ。
けれど、すでにイグニス家の内部をよく知るアリアがいる以上、ギルバートがわざわざ彼を仲間にするメリットもない為、この流れがどう変わってくるのかわからない。
彼が"仲間"になるのは"ゲーム"のかなり後半で、その為、全キャラクターを攻略した後でないと攻略ルートは開かれない。
他の攻略対象者に比べてサイラスの危機感はそれほど強くはない。
放っておくこともできないが、"ゲーム"通りシャノンと出逢ってくれさえすれば、後は大丈夫なようにも思われる。
全ては、希望的観測だけれども。
どちらにしても。
("無関係"ではいられないわよね…)
困ったように微笑して、アリアは小首を傾げていた。