act.3-8 The goddess of Liberty
(どういうこと…!?)
リデラの放った氷の刃を光の盾で防ぎながら、アリアは混乱した頭で思考を廻らせる。
こんな展開を、アリアは知らない。
リデラと呼ばれた女は、恐らく魔族だろうと推測できるものの、アリアが知る限りでは、彼女は裏賭博現場での一度きりの"使い捨てキャラ"だったはずだ。
"続編"に"魔族"が出てきた覚えはない。
もしかしたら、裏で暗躍していたはずの彼女が、アリアがいろいろと動いてしまったせいで表へ出てきてしまったのかもしれないけれど。
「許しを乞うなら今のうちよ?」
黒い鞭のようなものを操るリデラは、その容姿と相俟って、まるで"女王様"のような妖艶さを滲ませていた。
「っ、確実に上級魔族だね」
己を捕えようと縦横無尽に動く細い紐のようなものを弾き返しながら、ルーカスがチッ、と小さく舌打ちをする。
「天才魔道師様もお手上げか?」
「まさか」
疾風の刃でその黒い鞭を切り刻み、くすりと口の端を引き上げたシオンへと、ルーカスもまた苦笑する。
「素敵ねぇ、貴方たち」
美味しそう。と、うっとりと囁くリデラはくすくすと妖しい笑みを溢しながら、シオンとルーカスを眺めていた。
「ゾクゾクしちゃう」
真っ赤な唇を妖しく舌先で濡らしながら、リデラは光悦した表情で小さく身を震わせる。
「僕としても、貴女のような美しい方のお相手ができるのは嬉しい限りなのですが」
そうおどけた口調で返すルーカスは、一方で容赦ない攻撃の雨を降らせていた。
一方。
「お前はこっちに来るんだ」
「…ステラッ!」
ぐいっ、とその場から娘を連れ出そうとする男へと、シャノンの制止の声が上がる。
「ステラはお前に渡さない」
もう片方の腕を取り、シャノンは挑むような瞳を男へ向ける。
「もうこれ以上、アンタの支配下には置かせない」
ここで父親へとステラを渡してしまったらダメだと、シャノンの勘が告げていた。
強い意思を持ったシャノンのそんな姿をみつめ、アラスターもまた男の手からステラの腕を引き剥がしていた。
「アラスター」
「俺も同感だな」
結界の中で室内や壁はめちゃくちゃになり、どう見ても超高度魔法での戦闘を繰り広げている面々と、目の前で交わされている父親と娘とシャノンの遣り取り。いくら優秀だと言われていても、アラスターにはなにが起きているのかさっぱりわからない。
ただ、シャノンの瞳が強い意思を称えている以上、アラスターはこの幼馴染みの一番の理解者であり味方だった。
「ステラ」
助けたいと思っても、自分になにができるのかはわからない。
それでもその願いだけは間違いなくシャノンの心の中に芽生えたもので、シャノンは強い声色でステラを引き止める。
と。
俯いたステラの口の端が歪んだ笑みの形を作ったことに気づき、シャノンはハッと目を見張っていた。
ーー『憎い。憎い。にくい。ニクイ』
ーー『この男さえ、いなければ…!』
声が、聴こえた。
それと同時に視えた、隠すように仕舞われた鋭い刃。
「やめろ…っ!」
シャノンが知る由もないが、それは"ゲーム"と同じ展開。
ステラからオディールへと切り替わった人格が、懐に忍ばせていたナイフを取り出し、その刃を父親に向ける。
「っ!?」
至近距離からの娘の思ってもみない反撃に、反射的に身を翻す父親と。
「ダメだ…っ!」
そのナイフに向かい、咄嗟に手を伸ばすシャノン。
「…っつぅ…っ!」
オディールが手にした刃の切っ先は父親へ届くことはなかったが、代わりにそれを叩き落としたシャノンの手首から鮮血が流れ出す。
「シャノン…ッ!」
「大丈夫だ…」
痛みに顔をしかめながらもう一方の手で手首を握り締めるシャノンへと、アラスターは咄嗟に回復魔法を展開する。
高度魔法を操る公爵家の人間たちほどの魔法力は備わっていなくとも、軽い怪我程度ならばアラスターやシャノンでも治すことができる。
シャノンへと回復魔法を施している途中で、短い髪さえ靡かせる旋風が吹き荒れていた。
「お前は何者だ…!?」
「それを教えてあげる義理はなくってよ?」
光の刃を放ちながら叫ばれる問いかけに、リデラはくすくすと楽しそうな微笑みを浮かべる。
そして、そこに。
「リデラッ!」
苛立たしげな男の声が飛び、チラリと視線を投げたリデラは、その瞳が指示する内容を汲み取って赤い唇を歪めていた。
「あれこれ注文の多い男はモテなくってよっ…!」
反論しながらも、リデラは赤いマニュキアに飾られた指先を大きく振るう。
すると、その指先から放たれた闇の刃は、シャノンへと真っ直線に向かっていた。
「シャノン…ッ!」
気づいたアリアが声を上げるが、少し離れた位置にいるアリアでは応戦が間に合わない。
迫り来る攻撃にシャノンが大きく目を見張り、その瞳にはっきりとした刃の姿が映り込んだその瞬間。
ーーカキーン…ッ!
と、闇の刃は全て綺麗に弾かれて、虚空へと溶けて消えていた。
「……出てくるつもりはなかったんですが」
音もなく宙に浮かんで現れたのは、真っ黒な衣装に身を包んだギルバート、つまり"ZERO"だった。
「お前は…」
(なんでこんなところに…!?)
記憶の端にあるその姿に軽く目を見張るシオンの横で、アリアもまた驚きに息を呑む。
確かに、本来の"ゲーム"では、この場面にシャノンとアラスターと共にZEROもいたのだけれど。
これも一種の強制力かと宙に浮かぶZEROを眺めていると、その肩に乗ったアルカナが一声「にゃあ~」と鳴いていた。
『全くだ』
「放って置くつもりでいたんですけどね」
メガネを押し上げる仕草をしながら苦笑して、ZEROはチラリとアリアを見遣る。
「まぁ、好奇心、ってヤツですか?」
くすり、と意味深な笑みを刻み、ZEROはシャノンの前へと降り立った。
自分が目を付け、不要と判断して手離したはずの少女にアリアが接触していることを知り、またなにをしているのだと単純に気になったということなのだろう。
「こちらはどうぞ気にせず、続けてください」
ZERO自身の魔法力はそれほど高くはないはずだが、アルカナと契約をして得た闇の力は恐らくルーカスを上回る。
それでも自分はあくまで高見の見物で戦闘に加わるつもりはないというスタンスを取るZEROへと、シオンもルーカスも突然現れた人物が敵か味方かもわからず判断に迷うような気配を見せていた。
けれど。
「…あら?アルカナじゃない」
大袈裟に目を瞬かせてみせながら、リデラはZEROの肩に乗った魔物へと意外そうな表情を浮かばせる。
『…お前は…』
「随分と面白い姿をしているのね」
人差し指を口元に当て、可笑しそうな感想を洩らすリデラのその台詞は、ZEROとアリア以外意味のわからない類いのものだろう。
そもそも、アルカナの言葉自体、声を視ることのできるシャノン以外の面子にはただの鳴き声に聞こえているはずなのだから。
「私は貴方の敵じゃないわよ?」
『味方でもないがな』
やれやれといった様子をみせているように見える魔物へと向かい、リデラは妖しく微笑みかける。
「とりあえず譲ってくれる気はない?」
アルカナの正体を知ってはいても、二人の間で成立している話の意図はわからない。
ただ、魔族とは一種の敵対関係にあるはずのアルカナの敵ではないというのなら、リデラもまた魔族でありながらそこから外れた存在だということなのだろうか。
『主人の意思なんでな』
「ん~?貴方がそっちサイドにいるとなるとどうしようかしら?」
敵ではないが、味方でもない。
そして、リデラがこのまま攻撃を続けるつもりならば、アルカナの主人であるZEROはそれを阻むに違いない。
「ちょっと、分が悪いわね」
少しだけ考える素振りを見せ、リデラはそう結論を出すと「仕方ないわね」と薄い苦笑を洩らしていた。
「今日のところは失礼するわ」
「リデラ…っ!?」
身を引く決断をしたリデラへと、男の責めるような驚きの声が上がる。
「ごめんなさいね?」
男とは別段契約を交わしたわけでもなく、ただ自分にとって都合が良く面白そうだったからしばらく付き合ってもいいと思った、ただの気まぐれだったことを示唆して、リデラは少しも悪く思ってなさそうな表情を男へ向ける。
それから、なぜかシオンとギルバートとにチラリと視線を投げ。
「カイン王子にアベル王子」
うっすらと、意味ありげに微笑んでいた。
「またお会いしましょ」
そう言って、ちゅっ、と音を立てたキスを投げ残し、出現した黒い竜巻のようなものの中へと消えていく。
(…カイン…?アベル…?)
怒涛の展開に理解が追い付いていない中、さらに出てきた記憶にない二人の名前に、アリアは一体なにがどうなっているのかと混乱の渦へと追い込まれていた。
「…なんのことだ」
やはり理解不能らしいシオンが低い呟きを洩らし、自分と共に視線を投げられたZEROの方へと顔を上げる。
「お前は…」
「私はZERO。怪盗です」
「怪盗…?」
くすっと空気を震わせて、リデラとの対戦時とはまた別の緊張感を滲み出すシオンから、ZEROはそっと身を引いた。
「この家の裏帳簿でも盗ってきてあげようかと思ったんですけどね?」
どうやらすでに入手済みのようで。と、アラスターの持つ書類へと視線を投げて、ギルバートはふわりと舞い上がる。
恐らく、ギルバートが考えたことはアラスターと同じ。
ステラを救う為、ギルバートも余計なお節介をしようとしていたというところだろう。
「貴方も、大切なものを奪られないよう気をつけてくださいね?」
最後に射るような目をしたシオンへとそれだけを言い残し、ギルバートもまた空間を割った闇色の皹の中へと消えていく。
(だからどうしてそう好戦的なの…っ!)
長居は禁物。そう判断してすぐに逃走を決めたギルバートの判断力は評価するが、いちいち喧嘩を売るような真似をするのはどうしてなのかとアリアはハラハラしてしまう。
「…闇の転移魔法…」
「アイツも闇の者か?」
ひっそりと呟くルーカスへと、顔をしかめたシオンの疑問符が投げかけられる。
「…いや、それは違うと思うけど…」
どちらかといえば自分と似た気配だと言って、ルーカスもまた考え込むような仕草をする。
ルーカスやリオが使う転移魔法と闇の転移魔法とでは性質が異なる。ZEROと名乗った男が使ったものは明らかに闇の力を借りたものだが、それは闇魔法だけで言えば、彼の方がルーカスより高度な魔法を操れるということを意味していた。
……と。
「わ、たし…」
"ゲーム"通りに父親へと殺意を向けたオディールを止める為か、それとも殺害失敗のショックからか、"主人格"へと切り替わったステラが、呆然とした様子でシャノンとアラスターへ顔を上げる。
「…ステラ?」
先ほどの激情に駆られていた少女とは打って変わって、自分の知る"ステラ"へと戻った少女へと、アラスターがそっと声をかけた。
だが。
「…いや、"オデット"だろ?」
現れた"主人格"の"ステラ"へ向かい、シャノンが真っ直ぐな視線を向けていた。
「…知ってるんですね」
くすっ、と諦めたように小さく微笑い、ステラは思いの外穏やかな瞳をシャノンへ向ける。
ステラは、多重人格者。
アリアが"ゲーム"で知るステラの人格は全部で三人分。
自らを"オデット"と名乗る、本来の"ステラ"である"主人格"。
父親の暴力に耐えかねた彼女は、自分がその地獄から逃れる為ではなく、自分の理想の少女を作り出すことで精神の安定を図った。
前向きで明るく、父親から受ける暴力などなにも知らない"理想の自分"。
自分の生み出した理想の少女へと"ステラ"の名前を譲り、自らは当時読んでいたお伽噺のヒロインだった"オデット"を名乗った。
その"理想の少女"こそ、シャノンとアラスターと同じ学園へ通う少女であり、アリアが初めて会った少女だ。
父親の暴力に晒されるのは主人格の役目。
そしてもう一人。後から生み出されたのが、主人格が抱いてしまった負の感情全てを請け負った別人格だ。
オデットとオディールはその時々の自分の役目を上手く背負い、ずっと"理想の少女"を守ることで均衡を保ってきた。
…父親に、あの命令を受けるまでは。
「…君は、すごく優しいから」
今回の"ゲーム"の"主人公"であるシャノンは静かに微笑う。
「普通は、自分が悪夢から逃れたくて別人格にそれを背負わせるものなのに」
辛くて、苦しくて、哀しくて。
けれどそこからステラ自身が逃げ出すことはなかった。
代わりに、お伽噺のような可憐な少女を夢見て自分を慰めている中で、別人格を作り出してしまっただけ。
「…でも、オディールに全てを押し付けてしまったわ」
それでも一人で支えきれず、もう一人の自分と不幸を分かち合った。
「…そうだな」
哀しげに呟く主人格のステラへと、シャノンは小さく同意する。
幼い少女が逃れられない暴力に晒されて、その痛みから少しでも逃れる為に作り出してしまった別の悲劇を、誰がどうして責めることができようか。
「すぐに人格を一つに融合させることは難しいかもしれない」
理想は、三人がきちんと一人になること。
それは、とても難しいことかもしれないけれど。
「だけど、君は救われるべきだ」
ステラへと真っ直ぐ向けていた瞳をチラリとアリアへ投げてきたシャノンのその意図を察し、アリアもまたそれに頷くと柔らかな微笑みを浮かべる。
「私も、協力するわ」
元よりアリアは、"ゲーム"と同じ悲劇を起こさない為に動いていた。
シャノンとの未来だけがハッピーエンドに繋がるわけじゃない。
ステラにはしっかりと、自分の意志で立って幸せな未来を掴んで欲しい。
「ステラはアクア家とは遠縁とはいえ繋がりがあるもの。お父様に頼んでみるわ」
元々"ゲーム"で迎えたシャノンとの"ハッピーエンド"も、父親は悪事が暴かれて捕まってしまったけれど、爵位自体は身内の誰かが譲り受けて存続できていたはずだ。
「…僕には話がよく見えないんだけど」
突然やってきたアリアとその友人だというシャノンにシオンの所へ転移させて欲しいと頼まれただけで、ルーカスは詳しい話をなにも聞いていない。
ステラの父親については調べていた為、事情の一部くらいは推測できたとしても、怒涛の展開には疑問符が浮かぶばかりだ。
「…すみません…」
詳しくは後で話します。と、巻き込む形になってしまったルーカスへと恐縮した謝罪をすれば、「一緒に来ることを選んだのは僕だしね」とルーカスは肩を竦めて苦笑する。
「とりあえず、諸悪の根元は彼、ということは間違いないのかな?」
チラリと向けられた視線の先には、ステラの父親の姿。
「…そう、ですね…」
実の娘を長年暴力で従わせてきた酷い男とはいえ、ステラの実の父親であることは間違いない。
許せはしないが、それでもオディールの殺意から父親を守ったステラのことを思えば、ただ彼を断罪して終わる結末にも躊躇いが生まれてしまう。
「…了解」
迷いを見せながらも頷いたアリアへと、ルーカスは仕方ないねと苦笑して、パチンッ、と指を鳴らしていた。
「…な…っ?」
途端、するする…っ、と蔦のようなものが男の体を拘束し、ステラの父親は驚きに目を見張る。
「例の魔族と裏帳簿に関して話してもらおうか」
ルーカスとシオンから向けられた厳しい双眸に、男は悔しげに唇を噛みしめると最後の抵抗とばかりに睨むような視線を向ける。
ステラには申し訳ないが、二人にとっては家庭内での問題よりも、そちらの方が遥かに重要な事だった。
「全てはそれからだ」
そうして告げられた低い声色に、男はぐっと拳を握り締めてその目を閉じていた。
*****
「アラスター」
帰り道。二人並んで歩きながら、シャノンは足を止めていた。
「んー?」
「…俺、お前にずっと隠してたことがある」
振り返り、途端重くなった空気を誤魔化すように苦笑いをしたアラスターへと、シャノンは足元をみつめてぐっと拳に力を込める。
「…シャノン?」
「覚悟が決まったら話すから…。聞いてくれるか?」
その決意は固いにも関わらず、シャノンの瞳は不安そうな揺らめきを見せていた。
その理由を、アラスターはきちんと理解している。
ーー「信じてあげて。大丈夫だから」
少女の静かな言葉が頭の中に甦る。
それは、ずっとアラスターが望んでいた瞬間で。ずっと待っていた告白だ。
そんなに不安に思う気持ちはないのだと、そう言って笑ってやれたらいいのだけれど。
目の前の幼馴染みがやっと心に決めてくれた秘密の吐露を、ここで台無しにしたくはなかった。
思わず溢れ落ちてしまいそうになる喜びと笑みを押し殺し、アラスターは柔らかな瞳をシャノンへ向ける。
「もちろん」
その瞬間は、もう、そう遠くない未来だと確信して。