act.3-7 The goddess of Liberty
「シオン…!?」
突然床へと現れた魔方陣と共に少女の声が響いて、ステラはぴたりと動きを止めていた。
「…お取り込み中、だったかな?」
「…え?」
初めて見る部屋の景色に視線を巡らせていたアリアは、ある一点を見つめてくすりと洩らされたルーカスの言葉に、そちらの方へと振り返る。
それなりに豪華な家具が並ぶ貴族らしい客室で、そこに置かれたソファの上。
「っ!」
(えぇぇぇー!?)
華奢な少女を押し倒しているように見えるシオンの背中と、その首へと腕を回しかけているステラの姿が目に入り、アリアは大きく目を見張って混乱する。
(どういうこと…!?)
くすっ、と口元を歪めたその笑みに、その少女がステラではないことは一瞬で理解したが、その状況はすぐには飲み込めない。
けれどそんな状況にも関わらずー、否、そんな状況だからかもしれないが、転移の為にアリアの腰を取っていたルーカスが意味深な笑みを浮かべ、その耳元へとひっそりとした囁きを落としていた。
「お邪魔なようだったら退散して、僕たちは僕たちでイイコトしようか?」
「…こんな時になに言ってんだ」
ちゅっ、と軽いキスを目の前の蟀谷へと落としてみせるルーカスに、アリアとは反対側にいたシャノンが呆れたような顔を向ける。
ぴくっ、とシオンの指先だけが反応し、ステラがその顔を引き寄せようとシオンの後ろへと回した腕へと力を込めた時。
「…ちょっと!なんで術を解いちゃうのよっ」
力ずくで身体を引き離され、すぐに身を起こしたシオンの行動に、ステラは苛立たしげな瞳をリデラへと向けていた。
「あら。こんな状況で続けるつもりだったの?」
それはごめんなさい。と、全く悪びれる様子もなく形だけ謝って、リデラは「こんな大勢の前でなんて大胆ね」と楽しそうな笑みをみせる。
「…術…?」
"ゲーム"とは全く異なる展開に理解が追い付かず、ぱちぱちと目を瞬かせるアリアへ向かい、シオンはつかつかと歩み寄るとぐいっとルーカスからその華奢な身体を引き剥がしていた。
「人を操る類いのものだ」
油断した。と呟くシオンは、心底悔しげに舌打ちする。
それから不承不承といった様子で、ルーカスへと苛立たしげな視線を投げていた。
「…一応、助かった、と言っておこうか」
あのままでは、ステラへとなにをしていたかわからない。
それだけは安堵の吐息を洩らしつつ、隣に立つ愛しい少女へ視線を落とせば、アリアは悔しげに舌打ちをするステラへとおずおずと声をかけていた。
「…ステラ…?」
名を呼ばれ、ステラは床へと足を下ろすとその場にゆったりと立ち上がる。
「私は"ステラ"じゃないわ」
くすっ、とその場にいる人間を馬鹿にしたように微笑んで、ステラのもう一つの人格は続ける。
「私は"オディール"」
そう。別人格には別人格の名前がある。
それは、幼い頃にステラが読んだお伽噺に出てくる"悪女"の名前。
「もう一人の"自分"」
自分に与えられた役目というものを、オディールはよく理解していた。理解していたからこそ、これまでずっと耐えていた。
ステラに別人格があることを知るアリアとシャノンは驚かないが、シオンからは多少なりとも驚いた空気が感じられた。シオンも目の前の少女がステラではないことはわかっていても、そのカラクリまでは想像を超えるものだったに違いない。
「…オディール…」
目の前の少女が恐らく"オディール"であろうことを予測していたアリアは、彼女へと切なげな視線を向ける。
幼い頃から彼女がずっと抱えてきた闇を思えば、どう声をかけていいかわからない。
けれどそんなアリアの横から一歩進み出て、シャノンが力強い瞳をオディールへと向けていた。
「…お前はステラを守るために生まれてきたんじゃなかったのかよ」
それは、ステラの深層心理に触れたシャノンだからこそわかること。
「…シャノン」
「…っ。知ってるの」
その横顔に声をかけるアリアの視界の端で、オディールは驚いたように息を呑む。
「…お前がしようとしていることは…、正直褒められたことじゃないけど、それでもステラを守るために今まで背負ってきた重荷は凄いと思う」
暴力で自分を支配しようとする父親へと芽生えた憎悪の感情。
自分の中にそんな負の感情があることが許せなかったステラは、それらの感情を全てオディールへと押し付けた。
そうして守られた、"ステラ"という理想の少女。
なんの苦しみも絶望も知らない、明るく前向きな少女。
いつしか守っているはずの少女にさえ、なぜ自分だけがと憎しみを抱いてしまったとしても、それを責めることができるだろうか。
そして、守りたいその少女を別の誰かに重ねて憎悪を投影してしまったとしても。
「…本当は…、辛いんだろ?」
全てを憎んで。滅びを望んで。
「俺にはわかる」
苦しげな顔をしてぎゅっと胸元を掴んだシャノンに、刹那、オディールの瞳がカッと見開かれる。
「アンタなんかになにがわかるっていうの…っ!」
最近知り合ったばかりのただの先輩に、自分の苦しみのなにがわかるのかと、責めるような叫びが放たれる。
シャノンの精神感応能力など知るよしもないその悲痛の声は、至極当然のことだろう。
「俺にはなんの力もないけど」
一歩前へと進み出て、シャノンは揺るぎない瞳をオディールに向ける。
「一緒に考えよう」
「っ!」
そうして手を差し出したシャノンへと、オディールは動揺に瞳を揺らめかせる。
(シャノン…)
ここまでの流れは大分"ゲーム"とは違うけれど、それでもシャノンはやはり"主人公"なのだと実感させられて、アリアはそんな二人を見守った。
そこへ。
ココン…ッ。
「お・邪・魔」
ドアを叩くノックの音と共に音符マークを語尾につけた人影が顔を覗かせて、シャノンは驚いたように目を見張っていた。
「…アラスター!?」
シオンとルーカスが驚いていないところを見ると、すでに外の気配に気づいていたということだろうか。これだから"前作"の"攻略対象者"たちのハイスペックぶりは困ってしまうと思いながら、アリアは室内へとつかつかと入ってくるアラスターを見遣る。
「書斎でこんなの見つけちゃった」
おどけた口調で紙の束を掲げて見せるアラスターは、ハートマークでも飛んでいそうなウィンクをシャノンへと投げてみせる。
「すっごいねぇ、この裏帳簿。かなりいろいろやってるんじゃない?」
どうやらシャノンに頼まれるままステラの後を追ったアラスターは、そのまま家に忍び込んでいろいろと探っていたらしい。
一体どうやって、とも思うけれど、アラスターは"今作"の"メインヒーロー"の一人だ。
魔法力こそ"前作キャラ"たちに劣るものの、それなりの魔法は使えるし、持ち前の運の良さも度胸もある。単純な学業成績だけで言えば、シオンに引けは取らないレベルのはずだ。
"ゲーム"でも、ステラを助ける為にシャノンと二人でこの家へと突入していたのだから、それを思えばこれくらいの潜入調査はお手のものというところだろう。
「これが発覚したらどうなるのかな?なにかいい取引材料にでもできればいいけど」
どう?と、シャノンとステラへと窺うアラスターは、どうやら外で中へ入ってくるタイミングを計っていたらしい。
けれど。
「…その書類を返して貰おうか」
「!お父様」
先ほどアラスターが入ってきた扉から、音もなく現れた人物へと、ステラは驚きの声を上げていた。
「…いつお戻りに…」
途端、"ステラ"へと切り替わった少女は、父親の姿を前にして身体を小さく震わせる。
「本当にお前は困った子だね。私の命を満足に果たすこともできない」
やれやれ、と肩を落として大きく息を吐き出した男へと、アリアは睨むような視線を向けていた。
「…ステラは貴女の人形じゃない」
「…お優しいですね。自分の婚約者を誘惑した相手を許すと?」
「…一体誰のせいだと思って」
目の前の男がシオンを誘惑しろと暴力で迫っていたことはシャノンから聞いている。
どうしてもそれを受け入れ難かったステラが、その役目をオディールへと押し付けて、それをオディールが利用しようとしたのであろうということくらいは、アリアでも推測できた。
「どちらにしてもお前は終わりだ」
自分たちがこの場に立ち会った以上、誤魔化しは許さないと低い声で告げるシオンに、それでも男はくすりという笑みを溢していた。
「…ウェントゥス家のご子息にアクア家のご令嬢。それに、まさか師団長様までお揃いとは」
ステラはいい友人を持ったね。と娘へと意味深に微笑みかけ、男は形だけ考え込む仕草を見せる。
「買収に応じて頂けるとも思えませんしね」
明らかに警戒しているアリアたちを見回して、男はふぅ、と息をつくと今まで事の成り行きを面白そうに眺めていた女へと口を開いていた。
「…リデラ」
「なにかしら?」
「この者たちの処分を頼んでも?」
赤い唇の端を引き上げる女へと、男はチラリと視線を投げる。
それに女は人差し指を頬に当て、にっこりと妖しい微笑みを浮かべていた。
「高くつくわよ?」
シオンとルーカスを中心にターゲットの姿をゆったりと眺め遣り、女は楽しそうに男へと窺う。
「構わない」
男が、そう宣言したその瞬間。
ルーカスが瞬時に結界を展開し、それが戦闘開始の合図になっていた。