act.3-3 The goddess of Liberty
本当は、一人で動きたい。一人で行きたいのだけれど。
「えっと…、シオン?」
もはや皇太子命令にすらなっているアリアのお目付け役から逃れることはできないと諦めて、アリアはシオンへとおずおずと顔を上げていた。
「…行くつもりか」
それだけで全てを悟ったらしいシオンから、呆れたような視線が向けられる。
「…今日行くことは手紙で伝えてあるから」
放課後、学校までアクア家の馬車で迎えに行って、買い物でも一緒にどうかとすでに段取りは組んである。
そんなアリアにシオンは「まったくお前は」というような吐息を吐き出して、当たり前のように同行を決めていた。
(…シャノンとアラスターもこんな気持ちだったのかしら…)
馬車での迎えは目立つ為に少し離れた場所に停めてあるのだが、シオンと共に大きく立派な校門の横でステラが現れるのを待ちながら、アリアはやはり馬車の中で待つべきだったかと後悔していた。
放課後を園外で過ごそうと出ていく生徒たちから向けられる視線がとにかく痛い。
特に、隣にいるシオンへは、女生徒たちからの熱い視線が向けられている。
チラリとシオンの姿を見て、女生徒の集団が顔を見合わせながら顔をほんのり染めて囁き合う様を何度目にしただろうか。
完全に、注目を浴びている。
それを思えば、少し前にアリアを訪ねてきたシャノンとアラスターもこんな気分を味わっていたのかと、なんとも言えない気持ちが胸に浮かんでいた。
と。
「…なんでアンタたちがココにいるんだ」
「…アラスター。と、シャノン」
アラスターとシャノンはほとんどセット扱いだ。二人の通う学園へと顔を出せば遭遇するかもしれない可能性はあったものの、ちょうど二人が外へ出るタイミングに合わなければすれ違いで済んだはずだった。
けれど見つかってしまった以上無視するわけにもいかず、アリアは柔らかな微笑みを浮かべていた。
「久しぶりね」
偶然ね。と、本音を口にしたのだが、アラスターからは明らかに警戒している素振りが窺える。一方シャノンは興味なさげに別のところへと視線を向けていて、正反対な二人の反応にアリアは苦笑を漏らしていた。
「今日用事があるのは貴方たちじゃないの」
とはいえ、せっかく二人に会ったからには、確認しておきたいことがある。
(幽霊騒ぎはもう起きているのかしら…?)
問題は、それをどう聞き出すか。
二人が目的ではないと告げたアリアに、「じゃあなんだ」とアラスターの厳しい視線が向けられる。
「一年生に、ステラ・マルティネスって子がいるんだけど」
知ってる?と窺えば、アラスターは「…あぁ」となにかを思い出すように小さく頷いていた。
「…あの黒髪の」
「知ってるのか?」
興味なさそうにしてはいても、一応アリアたちの会話は聞いていたのか、驚いたように瞳を大きくして隣を見上げるシャノンへと、アラスターは軟派な空気を纏わせる。
「美少女は入学時にチェック済み」
恐らくは悪友たちと新入生チェックをしていたのだろうと、ウィンクと共に告げられた言葉に、シャノンは「あ、そ」と呆れたように肩を落としていた。
それからシャノンはじ…、とアリアの顔をみつめ、なにか物言いたげな視線を向けてくる。
その瞳が「またなにか?」という疑問符を投げ掛けてきているのがわかってしまって、アリアは少しだけ考え込んでから、強い意思の籠った瞳を返していた。
(最近、なにか起こってない?)
強く思えば伝わるはずだ。
そして、その問いかけに、シャノンの瞳が僅かに見張られる。
こういう時に、シオンに悟られずにアリアの言葉を伝えられるのはとても有難い。尤もシャノンの意思はわからないから、些細な表情から読み取るしかないのだけど。
一瞬のその反応と、目だけで肯定してきたシャノンに"ゲーム"通りのことが起きていることを理解して、アリアはさらに強く思う。
(…解決、できそう?)
元々"ゲーム"の中で、"幽霊騒ぎ"を解決するのはシャノンとアラスターの役目だ。特に危険もない"イベント"である以上、あまりアリアが首を突っ込むのもどうかと思ってしまう為、できることならば"シナリオ"通り、二人にお願いしたいところだった。
『さぁな』
チラリと隣の好奇心旺盛な相方へと向けられた視線と小さく落とされた吐息から、シャノンがそんな風に言っているような気がした。
恐らくは、すでにアラスターは"幽霊騒ぎ"に興味を示しているのだろう。
そうして当たり障りのない会話をしながらシャノンと心の中で意志疎通を図っていると、急いで来たのか息を切らしたステラが姿を現していた。
「アリア様っ、…シオン様も」
遅くなって申し訳ありませんっ。と慌てた様子で謝るステラは、少なからずアリアの隣に立つシオンの姿に驚いたようで、小さく目を見張ると次にはにこやかな笑みを浮かべる。
「相変わらず仲が良いんですね」
今日、シオンも一緒だということは当然ながら伝えていない。
その為、
「突然ごめんなさい」
と申し訳なさそうに謝れば、
「いえっ、とんでもないです」
お二人のことは以前から存じ上げていますから。と微笑まれ、それはすでに世間に浸透済みの「シオンがアリアを溺愛している」という噂のことだろうかと思えば、もはや返す言葉が見つからなくなっていた。
「…そちらはお友達?」
「はい。アリア様のことを話したら、是非ご挨拶だけでもしたいって」
ここまで一緒に来たらしく、ステラの両隣には友人二人の姿があって、「ご迷惑じゃないですか?」と問いかけてくるステラへと「大丈夫よ」と微笑み返す。
とはいえ、目を丸くしたその二人の友人の視線は、もはやアリアではなくシオンへと向けられていて、その瞳は完全にシオンの魅力に囚われていた。
(だから"初代ヒーロー"は出てきたらダメなのよ…っ!)
この場には"二作目"の"ヒーロー"と"主人公"もいて、ついでのように全員で自己紹介をすれば、学園の人気者とその相方の有名人コンビと縁ができたことに仄かに色めく様子が窺えはしたけれど。
ここは"二作目"の彼らが活躍する場所なのだからと、アリアは乾いた笑みを溢していた。
*****
結論から言うならば、"幽霊騒ぎ"は"事件"に発展することなく収束した。
それは、ステラに会いに行ったアリアたちのせいだ。
ステラに嫌がらせをしていた女生徒たちがなぜステラに目をつけたのかはわからないが、アリアたちの訪問を機に、それはピタリと止んだ。
公爵家のアリアとシオン、そして学園の人気者のアラスターとその相方であるシャノン。その錚々たる面子がステラと懇意になったことを知った女生徒たちは、ステラに嫌がらせをして敵に回すことよりも、ステラに見目麗しい彼らとの取り成しをして貰うことを選んだのだ。
手の平を返したように優しくなった女生徒たちに、もはやステラの"別人格"が"仕返し"をする理由はなくなった。
ーー例え、心の奥底で、なにか思うところがあったとしても。
それがまた、吉と出るか凶と出るのか。
「…女って恐いな」
紅茶のカップに口をつけながら、まるで他人事のようにあっさりとそう言ったシャノンへと、アリアはなんとも言えない表情で苦笑いを漏らしていた。
「…まぁ、確かにそういうところはあるかもしれないわね」
"憧れの君"が自分の身近な人間と仲良くなった際、嫉妬を感じた女性が取る行動はおおよそ二つに別れるだろう。
嫉妬からその人間を痛め付けるか、懐に入って仲介役になって貰えるよう振る舞うか。
ステラの場合、今回は後者の方だったということだ。
酷い虐めに発展するかもしれない可能性があっただけに、その一端を担ってしまったアリアとしては、そうならずに済んだことに胸を撫で下ろすばかりだ。
(だから"ヒーロー"と"主人公"の魅力は破壊的なのよ…!)
ステラに目を付けていた女生徒たちがお近づきになりたいのは、シオンとアラスターとシャノンの美男子たちに違いない。そこにアリアが含まれていないことなどわかりきっている。
そうしてアリアは「それにしても」と顔を上げ、目の前のソファへと腰かけたシャノンへと柔らかな笑顔を向けていた。
「わざわざ教えに来てくれてありがとう」
「…別に、アンタの為じゃない」
ぴくりと眉根を動かして、シャノンは素っ気なくアリアから視線を逸らす。
ステラの通う学校へと訪問してから数日たって、シャノンはふらりとアクア家へとアリアを訪ねてきていた。
それは、アリアがあの時問いかけた"事件"についての結果報告だ。
アリアがステラに会いに来たこととその質問との間にすぐに関連性を見出だしたシャノンは、ステラに気を配ってくれていたらしい。
そして、それほど酷いものではないにせよ、ステラが数人の女生徒たちから些細な嫌がらせを受けていたことを知った。とはいえ、シャノンがそれに気づいた時には、すでに彼女たちは態度を改めた後だったから、シャノンが出る幕はない。
と、同時に女子寮で目撃されていた"幽霊"も姿を消した。
それらの出来事を関連付ける為に、シャノンがどこまでその優秀な頭で推理を組み立てたのか、そして、その特殊能力を使ったのか、アリアにはわからない。
「ここに来たのは、聞きたいことがあったからだ」
自分の本意ではない、とでも言うかのように眉間に皺を寄せ、シャノンはジトリとした目をアリアに向ける。
「?」
「あの女…、ステラは一体何者だ?」
「!」
それは、事件の真実に辿り着いた時、まず浮かぶ疑問だろう。
実際"ゲーム"でも、シャノンはその違和感からステラの背後に潜む危機に気づいて救いの手を差し伸べたのだから。
「アラスターに付き合わされて、幽霊が出たという場所に行ってみた」
"ゲーム"では、友人たちと遊び半分で参加した"肝試し"での出来事だ。
「そこでオレが視たのは、あの女の姿だった」
それは、別人格のステラが"幽霊"騒動の最中で、自分へと嫌がらせをしてきた女生徒たちへと"仕返し"をしている姿。
尤も、この"現実"では、まだそこまでには至っていない為、シャノンが視た光景は、別人格のステラが"幽霊騒ぎ"を起こすためになにかを仕掛けている姿かなにかだったのだろうかと思う。
「だけど、"幽霊"とあの女の表層意識は全くの別物だ」
シャノンは、接した人間からだけではなく、その場所や物に残された残留思念を視むことができる。
「あれじゃまるで…」
ーー双子でないとすれば、人格が違うみたいだ。
至った結論を言い淀むように瞳の中を揺らめかせて唇を噛み締めたシャノンへと、アリアは複雑な感情が混じった顔を向ける。
他者への攻撃性が強いステラと、明るく前向きなステラ。
表裏のある人間などこの世に山ほどいるだろうが、シャノンが視み取ったのは、表層とはいえその人間の本質だ。
「…そうなのか?」
まるでシャノンの導き出した答えを肯定するかのように口を閉ざしたまま向けられるアリアからの視線に、ある程度予測していたとはいえ、シャノンはその衝撃に僅かに目を見開いた。
それから、二人の間に沈黙が落ちること数十秒。
一種の緊張感さえ漂うその静かな空気を破ったのは、シャノンの諦めたような溜め息だった。
「…で?アンタはあの女を虐めから助けたかったわけ?」
それとも…、と、アリアの目的を窺うように真っ直ぐな視線を向け、困ったようなアリアの微笑みを前にして、シャノンは深く息を吐き出した。
はぁ~、と大きく頭垂れ。
「…わかったよ。なにか変化があれば知らせる」
なぜか疲れたように口にする。
「やっぱりシャノンは優しいわね」
例えアリアがいなくても、"ゲーム"の中でシャノンはステラを救うために奔走したのだから。
「今さら後には引けないだろ」
目覚めが悪い。と不機嫌そうに呟くシャノンにも、くすくすという微笑みが溢れてしまう。
なんだかんだと文句を言いつつ、正義感が強くて人に優しい。
他の人たちよりも感受性が強いシャノンだからこそ、人の気持ちに寄り添うことができる。
「正直、いい迷惑だ」
できることなら自分の知らないところで勝手にやってくれ。と告げられる言葉は本音だろう。
知ってしまえば放ってはおけない。それこそが"主人公"だ。
「…ありがとう」
アリアは傍にいられない。そもそもこれは、シャノンを"主人公"として世界の中心に置いた物語だ。
だから"ゲームの流れ"を受け止めてくれたシャノンへと微笑めば、
「なんでアンタはいちいちそうやって他人に関わろうとするんだ」
呆れたような瞳が向けられて、アリアは「あら」と悪戯そうな笑顔を浮かべていた。
「それはシャノンもでしょ?」
「…俺は違う」
「そうかしら?」
少なくとも"ゲーム"では動いていたのだから、助けを求める人間を放っておけない性格には間違いない。
絶対に貴方は人を見捨てたりはしないでしょうと、そう告げる意味ありげな微笑みに、シャノンは少しだけ悔しげな瞳を返していた。