act.3-2 The goddess of Liberty
ダンスパーティーなどが催される際、最初に踊る相手は婚約者か身内の誰かがその場にいれば、その中から選ばれるのが一般的だ。
ホールに響く生演奏とシオンのリードに身を任せながら、アリアは優雅なステップを踏んでいた。
「…お前が前に感じた闇魔法の気配となにか関係あるのか」
アリアが感じた"闇魔法"の気配とは、ZEROと出逢った際に彼が行使した魔法のことを言っているのだろうが、そんな前のことを今さら持ち出してきたシオンへと、さすがの洞察力だと思わず感心してしまう。
「…それはわからないけれど」
顔を潜めたシオンへとアリアもまた表情を潜め、くるりとピンク色のドレスの裾を翻す。
今回ステラの父親から感じた闇の気配とZEROの操る闇魔法とは全く別のものだろうが、同じ"ゲーム"内で起こっていることだ。全くの偶然とも思えない。
自分の知らない"ゲーム"外で一体なにが起きているのだろうと考えを巡らせるアリアへと、疑うようなシオンの瞳が向けられる。
「本当に?」
「本当よっ」
ちょうど顔を寄せるタイミングだった為、至近距離でシオンの顔を見上げながら声を上げれば、シオンは軽い嘆息を洩らしていた。
(…信用してない…っ!)
その反応は絶対に自分の言葉を信じていないと思うものの、それだけのことを今までやらかしてきたという一応の自覚はあるアリアに、シオンを責める資格はない。
そうして終わりに差し掛かった音楽へと、アリアはふと思い立ったように「ねぇシオン」と顔を上げていた。
「次はステラ様と踊ってあげてくれない?」
「…なにを唐突に」
突然のアリアの提案に、少しだけ戸惑うようなシオンの瞳が向けられる。
「ここで友好関係を深めておくのも悪くないと思って」
ダンスが終わったらステラとお友達になろうと心に決めたアリアのにこりとした微笑みを見下ろして、シオンは呆れたように肩を落としていた。
約束通りセオドアの手を取って踊り始めたアリアは、少し離れた場所へと視線を投げて、ふふっ、と小さな笑みを溢していた。
「どうした?」
穏やかな笑みで問いかけてくるセオドアに再度視線をそちらへ戻せば、そこにはアリアのおねだりを叶えたシオンにダンスへと誘われたステラの姿があって、アリアは楽しそうな笑顔をセオドアへ返していた。
「ステラ様が緊張してるなぁ、って」
明らかに貼り付けた笑顔でぎこちないステップを踏んでいるのがわかってしまって、少しだけ申し訳ないことをしてしまったと思いつつも、微笑ましく思ってしまう気持ちも禁じ得ない。
「…アイツと踊って緊張しないのはお前とリリアンくらいだ」
そんなアリアの無邪気さに、セオドアは今のステラの心境を思って同情の気持ちを覚えながら、不思議そうに瞳を瞬かせる可愛い幼馴染みへと苦笑を刻み付けていた。
極々普通の令嬢が、公爵家の人間と踊るということ自体、緊張しないわけがない。それがまた他人を寄せ付けない雰囲気を醸し出しているシオン相手ともなれば、それは何倍にも増すだろう。
優雅な舞いを見せるこの幼馴染みは、普段から身分というものを全く気にしている様子がない上に、シオンの取っつき難さも理解していないであろうから、普通の人間が抱く畏れもわからないのだろうなと思えば、溢れ落ちるのは仕方ないなという苦笑だけだった。
「お前は本当にわかってない」
「?」
自分の特殊性を全く理解していないと、セオドアは優しい瞳をアリアへ向ける。
セオドアはもちろん、あのシオンでさえも、身分で人の優劣をつけたりはしないが、アリアほど身分に拘らない人間もいないだろう。
それは高貴な血筋と確かな地位から来る余裕なのかもしれないが、普通は自分の身分を意識してそれなりの振る舞いをするものだ。そして、大抵の人間はアリアのそれを好ましいと感じるだろうが、中には「みな平等に」の精神を疎ましいと思う輩もいる。それでもアリアは誰もに等しく接する態度を変えることはないだろうから、益々その魅力は増していく。
「少しは自分の魅力を自覚した方がいいぞ?」
そんなことを言いつつも、物心つく頃から一緒に遊んでいて、セオドアがこの幼馴染みの魅力に気づくまでには随分時間を要したのだけれども。
「なに言ってるの」
からかうような忠告は、くすくすという笑顔に全く届く様子はない。
あのシオンでさえアリアには溺れ切っているのだから、少しは自覚して自重して欲しいと思ってしまう。
「私なんかより、よっぽどセオドアの方が魅力的よ」
少し前までなら、それは"お兄ちゃん大好き"な妹分からの誉め言葉として素直に喜んでいただろう。
「…だからそういうところだ…」
ふわりと微笑うアリアの気持ちが嘘偽りない本音だとわかってしまうからこそ、本当に質が悪いと思う。
「え?」
ぱちぱちと瞳を瞬かせ、不思議そうに小首を傾げる可愛い幼馴染みを見下ろして、セオドアはなんとも言えない苦い笑みを浮かべていた。
「よろしければ僕とも踊って頂けませんか?」
と、おどけた調子で手を差し出してきたルーカスに、アリアは少しだけ驚いたような様子を見せながらも自らの手を添えていた。
「…リオ様はなにか…」
性別問わず浮き名を流してきたルーカスのリードはさすがの一言で、ルーカスとの初めてのダンスに少しだけドキドキと胸を高鳴らせつつも、アリアは先程の話に顔を曇らせる。
「まぁ、とりあえずは様子見だね」
流れるような動きでアリアの身体を引き寄せてくすりと微笑うルーカスは、相変わらずの色香を纏ってアリアを惑わせにかかってくる。
「彼の動向には目を光らせておくよ」
だから君は心配しなくていい、と囁いて、ルーカスは「それよりも」と意味深な笑みを口許へ刻みつける。
「ここを抜け出して君の部屋に案内してくれてもいいんだけど?」
「…いつもそうやって口説いてるんですか?」
艶めいた誘い文句を耳許近くで落としてくるルーカスに、アリアはくすりと笑ってその瞳を覗き込む。
多くの人の目がある中での口説き文句など、ルーカスにとっては社交辞令の一つでしかないことなどわかりきっているから、今さら動揺などしなかった。
「相変わらず手厳しいね」
苦笑して、くるりとアリアのドレスの裾を華麗に舞わす。
「君が僕のものになってくれるなら、もう二度と他の人間に手を出さないと誓うけど?」
「その台詞、今まで何人の女せ…人間たちに囁いてきたんですか?」
「心外だなぁ」
甘い口説き文句も、そのドレスの裾のようにひらりと交わして微笑うアリアに、ルーカスは「君だけだよ」と笑んで見せる。
「そういうことにしておいてあげます」
くすり、と柔らかな微笑みを溢すアリアは、完全にルーカスを相手にしていない。
ほぼ百戦錬磨に近い自分をこうも綺麗に躱すのかと、ルーカスは苦笑いを浮かばせる。
「…本気なんだけどね」
「それは光栄です」
そうにっこり笑ったアリアはそれこそ可憐な花のようで、ルーカスはダンスの流れに託つけて、少しだけ強くその華奢な身体を引き寄せていた。
皇太子であるリオがダンスをするともなれば自然と注目を浴びるのは当然で、迂闊なことは口にできないと思いながらも、それでもチラリと窺うような視線を向けてしまう。
「アリア?」
どうしたの?とアリアの顔を覗き込んでくるリオの表情は相変わらず優しくて、ついつい顔を寄せる瞬間に不安気な瞳を向けてしまう。
「闇魔法の気配って…」
少し離れてまた寄って。
「…大人しくしているんだよ?」
まるで抱き寄せるかのように優しく近づいたリオに窘めるように静かに囁かれ、アリアは大きな瞳を揺らめかせる。
「…でも…」
ステラとはこれからお友達になる予定なのだ。
放っておけば待ち受けるであろう悲劇をわかっていて見過ごすことなどとてもできない。
それが、闇の気配がするともなれば尚更だ。
ルーカスが目を光らせてくれると言っても、それなりの接触と調査は必要だろう。
「…もし、万が一なにかをするつもりなら、絶対にシオンと一緒に行動すること」
そんなアリアに、諦めたように少しだけ吐息を洩らしたリオから「いいね?」と強く念を押され、アリアは戸惑いを隠せない。
一人での行動が許されないなど、まるで子供のようだという思いも浮かぶが、悲しいかなそれ相応のことを仕出かしてきた自覚はある。
「…それは……」
「シオンにも君から目を離さないように言っておくから」
「!」
そういう意味ではシオンのことは信用できると微笑む従兄に、アリアはなんとも言えない複雑な表情を返していた。
*****
公式行事のダンスでは、婚約者以外の人間と二度以上踊らないことは暗黙の了解のようなものになっている。もちろん今回は公式行事ではない為、それほど気にする必要はないのだが、最後にもう一度シオンと踊った後、アリアはシオンと共にステラの元へと足を運んでいた。
「ステラ様っ」
「…っ、アリア、様?」
父親から離れ、一人、初対面であろう人々と交遊を深めていたステラに向かって声をかければ、少女の周りにいた人たちはアリアに譲るかのようにその場から身を引いていく。
「後でゆっくりお話しましょう、って言ったでしょう?」
そう柔らかく微笑めば、そんな約束など社交辞令だとばかり思っていたステラは驚いたように目を見張り、ステラもまたにっこりとした笑顔を浮かべていた。
「嬉しいです」
黒髪のステラは、例えるならば和風美少女だ。こうして見ると、とても暴力に怯えているような影はなく、しっかり者の部類に入る。
「確かステラ様は私の一つ下だったかしら?」
「はい」
「今はどちらに?」
学生寮に入って親元を離れていることは知っているけれど、あえてその情報を引き出す為に世間話を装って問いかければ、アリアの知識通りのシャノンとアラスターの通う学校名が口にされて、アリアは「そうなの」と相槌を返す。
ステラが学校名を挙げた際、なんとなくシオンが微かな反応を示した気がするが、まさかシャノンたちが通う学校を既に調査済みだったりするのだろうか。
「今度遊びに行ってもいいかしら?」
「…えっ?」
話の延長でさらりとステラの顔を伺えば、驚いたような表情を浮かべて一瞬呆気に取られたステラの様子が目に入る。
「…アリア」
またお前は。というようにシオンの顔がしかめられ、アリアは困ったように苦笑する。
「いいじゃない。お友達になるくらい」
ステラの父親から闇魔法の気配がしたという時点で、シオンとしてみればアリアをこの親子に近づけたくないというのが本音だが、逆にそれを知ったアリアが大人しくしているはずもないから、シオンは咎めるような視線を向けるより他はない。
勝手に一人で動くのではなく、こうしてシオンの前で堂々と次に取る行動を示してくるだけまだマシだと諦めるしかないだろう。
「お友達…」
「…あっ、勝手にごめんなさい」
"お友達"という単語を確認するかのように反芻するステラへと、アリアは慌てて「迷惑じゃなかったら」と付け足した。
いくらアリアがお友達になりたいと思っても、それが一方通行の希望では友情は成り立たない。
そしてそんなアリアにステラもまたすぐに首と手とを横に振り、
「とんでもないですっ。嬉しいです」
是非っ。と、煌めく瞳をアリアへと向けていた。
それからチラリとアリアの斜め後ろに立つシオンへと視線を向け、遠慮がちに口を開く。
「…えっと…、シオン、様…?」
なんだ。と、目だけで返事を返すシオンへ、少しだけ気後れしたように口ごもった後、しっかりとした口調で頭を下げる。
「先程はお相手して頂き、ありがとうございました」
男爵家の自分には身に余る光栄だと嬉しそうに笑うステラに、シオンは「…あぁ」と素っ気ない言葉を返すとすぐに視線を逸らしていた。
「お二人は、婚約されてらっしゃるんですよね?」
「…え、えぇ。まぁ…」
シオンと婚約者同士なのは公然の事実だが、改めて問われると複雑な気持ちもあって、思わずぎこちない笑顔になってしまう。そしてそんなアリアへと、シオンから無言のプレッシャーがかけられて、益々乾いた笑みを浮かべてしまう。
「とっても素敵で羨ましいです」
他意のない笑顔を向けられてしまえば「ありがとう」と返す以外になく、アリアはふと思い出した今後の展開に、ステラへと窺うような視線を返していた。
「…ステラ様は…」
身分が高い者ほど婚約を結ぶのは早い傾向がある為、男爵家であるステラの相手は、そろそろ考えようかという時期だ。"ゲーム"の記憶から知ってはいるものの、一応確認の為に問いかければ、案の定ステラは困ったような微笑を溢していた。
「私はまだ決まっていなくて」
恋愛結婚というものもあるにはあるが、支配欲と出世欲の強いステラの父親はそれを許すことはないだろう。
「恐らく父が選んでいるとは思うのですが」
そして、その婚約話の中で、事件は起こるのだ。
「私も、アリア様とシオン様のような良縁に恵まれると嬉しいです」
政略結婚を当たり前のことと受け止めるのは普通のことだ。そもそもアリアとシオンの婚約も、元々は親同士の決めたことなのだから。
そう考えれば、アリアは幸せなのだろうと思う。
シオンはアリアのことを、真摯に想ってくれている。
「……素敵な方に巡り会えるといいわね」
"二周目"以降の"ゲーム"展開であれば、"主人公"と迎えるエンディングも存在している。
ギルバートとアラスターとシャノンとの"神エンド推し"のアリアとしては、そこには複雑な気持ちも浮かんだりするけれど。
どちらにしても、ステラに幸せな未来が訪れて欲しいというのはアリアの心からの願いだ。
「はい」
祈るようなアリアの言葉に素直な笑顔を浮かべたステラへと、アリアはぐっと握った手に力を込めていた。