Shall we…? ~ルーカス・ネイサン~
(……さすがゲームだわ……)
それから1ヶ月後。
夏も終わりに近づいた、日差しの眩しいとある日。
目の前に現れた巨大学園に、アリアは王宮の前へ立った時と同じような感嘆の吐息を漏らしていた。
王国立魔法学園。
国内に高等学校はいくつもあるが、ここはその中でも魔力の高い者が通う最高レベルの学園だ。それゆえ、どうしても貴族の子女が多くはなってしまうが、もちろん一般生徒も通っている。
通うことが困難な生徒の為に寮も隣接されているが、今は夏休みの為、遠い地方の生徒はみな帰省しているのだろう。一学年200人ほどいるはずの生徒はほとんど見かけることはなく、全体的に閑散とした雰囲気だった。
(……無駄に神々しい気がするのは気のせいかしら……?)
まさに上流貴族が通うに相応しい学園。
それが、"ゲーム"の主な舞台となるこの学園だった。
「とってもお忙しい方なので、今日この時間くらいしかお会いできないそうで」
これを逃すと次はいつになるかわからないと言って、リリアンはシオンへと腕を絡めたまま可愛らしくその顔を覗き込む。
「なかなか大変だったんですからねっ?」
シオン様っ、と、まるで宿題の終わった子供が褒め言葉をねだるような仕草をするリリアンに、シオンはほとんど表情を変えないながらも、なんともいえない空気を醸し出す。
そんな二人の後ろを数歩下がった位置から着いて歩きながら、アリアは手に持つ荷物を右から左へと持ち替えていた。
腕には、大きなバスケット。
こちらが訪ねていく立場とはいえ、お茶などが用意されているとも思えないので、簡易的なティーセットと、挨拶代わりのちょっとした手土産を持参した。
「暑いですねぇ」
「だったらその腕を離せ」
離れる様子のないリリアンを、迷惑そうに見下ろすシオン。
そんな二人の遣り取りを後方から眺めながら、ルークがアリアの方へと振り返る。
「……いいんスか?」
いいも悪いもアリアにどうしろと言うのだろう。
前を歩くリリアンの瞳にはシオンしか入っていないし、変に二人を引き離して逆恨みもされたくない。
ルークが知る由もないが、シオンとアリアの婚約は偽装で、シオンもそれはわかっている。
令嬢としてリリアンの振る舞いはどうかと言われれば注意も必要なのかもしれないが、周りに人がいる様子もない今は、先日と以下同文だ。
「……そうね」
結果、曖昧な微笑みを浮かべたアリアに、なぜかルークの瞳がキラキラと輝く。
「信じてるんスね!」
「……いえ、そういうわけでは……」
感動の色に輝く瞳に、申し訳なさすぎてはっきりとした否定も口にしずらい。
自分がシオンと恋愛をしたいわけではなく、シオンがとある"少年"と恋愛をする姿が見たいので、などとは口が割けても言ってはいけないことだろう。
(考えてみれは、リリアンもちょっと可哀想かもね……)
三年後。まさかアリアではなく男にシオンを取られることになろうなど、よもやリリアンも思っていないだろう。
だから、今だけは。
少しだけ恋する少女を見守っていてもいいのではないだろうかと、本当に嬉しそうにシオンを見上げて笑うリリアンの横顔を暖かな目でみつめていた。
*****
「……いませんねぇ……」
魔法講師専用だという大きな部屋。ノックをしても返らぬ応えに、室内をそっと覗き込んだリリアンは、躊躇することなく中へと足を踏み入れていた。
「っおい、勝手にいいのか?」
「大丈夫よ」
焦ったように制止するルークをあっさりとスルーして、リリアンはシオンの腕を引く。
特に施錠されていた様子もないところを見ると、少し席を外しているだけなのだろうか。
お邪魔します、と小さく呟いて、アリアは室内をぐるりと観察する。
(ゲームで見たままだわ……!)
覚えのあるその光景に思わず感動してしまう。
職員室もきちんとあるが、各教科の担当ごとの部屋もある。それゆえ、授業に使うのであろう資料や書物が壁いっぱいの本棚へと隙間なくぎっしりと詰め込まれていた。
「前の用事が長引いてるんですかね?」
仕方ないので待ちましょう、と、部屋の中央に置かれていたソファへと勝手に腰掛け、リリアンはシオンへ隣へ座るように促している。
完全に寛ぐことを決めたらしいリリアンへと苦笑を漏らし、ルークもまたその前へと腰を下ろしていた。
(今のルーカスは24、5歳くらいかしら……?)
確かゲーム開始時点では20代後半だったように記憶する。
若き天才魔道師。史上最年少魔法師団長。
(今はまだ "副"団長なのよね……?)
年齢的な問題で、これから昇格していくのか、それとも……。
(こっちも流行り病で亡くなってる、とかじゃないわよね……?)
少なくとも今団長になるにはさすがに若すぎるだろう。
まさか今の団長もなんらかの理由で存在しなくなってしまうとは考えたくもない。
(多分、魔法講師になったのもつい最近のはずだし……)
リリアンは、学園長を勤める父親に忘れ物を届けに来た時にルーカスと知り合ったという。それほど深い付き合いがあるわけではないものの、魔法講師になったばかりのルーカスは学園長に挨拶をしに来る機会も多いらしく、顔を合わせればちょっとした世間話をする程度ではあると言っていた。
頑張ったんですよっ?と言っていたリリアンの言葉に嘘はないだろう。恋する乙女の力は偉大だ。
その点においてはリリアンへと頭の下がる思いだった。
と……。
ふいに空いた床の上へと光る魔方陣が出現し、続いてその上へと人影らしきものが現れる。
「転移魔法……!」
小さく驚愕したようなその声はシオンのものだろうか。
靄の中に在った人影が段々とその輪郭をハッキリとしたものへと変えていき、数秒後、そこには先ほどまでなかった人物が姿を現していた。
「待たせたね」
ちょっと王宮まで呼ばれていたものだから、と涼しげな顔で微笑むのは、アリアたちの待ち人、ルーカス・ネイサン、その人だ。
(さすが天才魔道師……!)
転移魔法はかなり高度なものでおいそれとお目にかかれるようなものではない。
ゲーム開始後の中盤以降の時間軸であればリオも使っていたような気がするが、転移魔法を使える人間は本当に神に選ばれた一握りの者に限られている。
「遅れて申し訳ない」
勝手にソファで寛いでいた無礼に気分を害する様子もなく、ルーカスは来客者たちの顔を見回すと口を開く。
「また綺麗所がいっぱいだね」
リリアン、と楽しそうに細められた瞳は、意味深も意味深なものだった。
(この中だと誰が一番好みなのかしら……?)
一人冷静にそんなことを思いながら、アリアはルーカスの横顔を観察する。
美しい人であれば、男も女もどちらも好き。下手をすれば人間外でもいけるのではないかというのが、ルーカスの設定だ。
もちろん主人公と初めて会った時も壁際まで追い詰め、流行りの壁ドンで思い切り口説いている。
「男ですけど」と制服を指し示しながら冷静に返されたツッコミに、「綺麗なものであれば性別は関係ないよ」とにこりと爆弾発言を投下するのだ。
(ここはやっぱりシオンかしら……?)
そうしてドキドキと勝手な妄想を脹らませるアリアは、ルーカスにじっと見られていることには気づかない。
ややあって各々自己紹介を始めた面々にハッと現実へと引き戻され、アリアもルーカスへとにっこりとした微笑みを向けていた。
「……それで?僕に話っていうのは?」
部屋の一角を借り、持参したお茶の準備を始めるアリアの横で、ルーカスは早速ルークへと問いかける。
その様子は本当になにも知らないようで、ルークが慌てたようにリリアンへと顔を向けると、リリアンは「なに?」というように目をぱちぱちさせていた。
「……お前、どこまで話してあるんだ……?」
「直接話して貰った方が誤解がなくていいじゃない」
悪びれた様子もなくあっさりとなにも話していないことを認めたリリアンに、ルークはがっくりと肩を落とす。
それから一つ大きな溜め息を吐き出して、そんな二人の様子を面白そうに眺めていたルーカスへと今回の訪問理由を簡潔に説明し始めた。
「……なるほどね、魔力回復薬」
一口カップへ口をつけ、一通りの説明を聞き終えたルーカスは「面白そうだね」と楽しげな笑みを溢す。
ふわりとした甘味のある花の香りが湯気と共に辺りに広がって、けれどそれを楽しむ余裕もなく、アリアはこっそり一筋の汗が背中を伝わるのを感じていた。
(……今絶対、ポーションで回復しまくって、魔物を容赦なく叩き潰すのを想像して楽しくなっちゃってましたよね……?)
天才魔道師は蓋を返せば魔法オタクに違いない。
魔力回復の時間を気にすることなく高位魔法を連発できるのならば、それはこれ以上ない至福だろう。
お色気担当変人教師。それがファンの間の認識だ。
(まぁ、理由はともあれノリ気になってくれるのなら、それに越したことはないのだけれど)
ここまで着いてきたのはいいものの、アリアに出る幕はない。
テーブルを挟んで向かいに座るシオンと共に外野でいることに徹し、アリアは静かにカップを傾ける。
身体を解してくれる甘い花の香りを静かに堪能していると、ふいにルーカスが口許へと意味深な笑みを刻んでいた。
「それで?」
この場にいる面々の顔を見回して、試すような視線を巡らせる。
「協力の対価は?」
「対価?」
思ってもいなかった問いかけなのか、ルークの瞳が驚愕に見開かれる。
それにルーカスは「ただで僕の協力を得られるなんて思ってないだろう?」と、忙しい身の上であることを匂わせて、カタリと席を立っていた。
「……ルーカス様?」
ふいにルーカスがアリアの座るソファの肘掛けへと手を置いて、アリアの顔が影になる。
「君が僕と一夜を共にしてくれるのでも構わないよ?」
もう一方の手がアリアの頬から顎の辺りの輪郭を妖しげになぞって、至近距離から瞳を覗き込んでくる。
吸い込まれそうなその双眸は、アリアを捕らえて離さない。
滲み出す、妖しげな色香を孕んだ雰囲気。
(えっ……、私……?)
それに縫い止められたようにルーカスの顔を見つめ返しながら、アリアはきょとん、と目を瞬かせていた。
妖しげな色香を纏わせて迫ってくるこの感じは、まさに主人公との出会いそのものだ。少し綺麗な人間相手ならば誰にでもこうなのだろうかと、いっそのこと呆れを通り越して感動してしまいそうだ。
ある意味ブレることのない趣味嗜好。
この中ならばシオンだろうかと考えていたアリアにとってこの展開は以外だが、顔見知りであるリリアンを除けば自分が唯一の女性であることを思い出し、そのせいかと思い直す。
……実際は、ルーカスに性別の優劣がないことは先に述べた通りなのだけれど。
「……私、まだ子供ですけど」
「……君、面白いこと言うね」
この状況で、と突っ込まれても、ふいに気づいたその事実にこちらこそ確認せずにはいられない。
三年後の主人公ならいざ知らず、思い起こせばアリアはまだ12歳だ。いくら外見が"ゲーム"仕様で大人びて見えるとはいえ、そんな少女に手を出したら犯罪だろう。
「確かに僕に幼女趣味はないけどね?」
ならば、それはどういう意味だろうか。
「今」のアリアではなく、未来のアリアを予約したいということだろうか。
(さすがお色気担当。凄い色気だわ……)
3人の子供を生んだ記憶を持つアリアは、言ってしまえば脳内非処女だ。母親をしていた頃も浮気願望などあったはずもないが、自分好みの美形男性と一夜限りのアブナイお遊びをする妄想がなかったわけではない。
上流階級の令嬢は結婚するまでは一線を越えたりしないのが常識。けれど、18禁ゲームの世界ゆえか、それは建前で貞操観念は全体的に緩いようにも思われる。
(ちょっと考えちゃうわよね)
一夜限りの火遊び。
脳内30代の女性がいるので、年齢的にはシオンたちよりもルーカスの方がよほど抵抗感がない。ルーカスでさえ10歳も年下だ。
とはいえ、"アリア本人"は歴とした子供なので、もちろんそれは冗談だけれども。
「……そこ、悩むとこです……?」
ルーカスに抵抗することなく黙ったままなにか考えている様子のアリアになにかを察したのか、リリアンが冷たい視線を投げ掛けてくる。
"悩む"というのは、喜んで応じるべきだ、という意味ではなく、もちろん即拒否すべきところだろうという突っ込みだ。
「なんかアリア様、ある意味尊敬します……」
ルーカスの誘いを拒否しないというのは、ある意味堂々と浮気宣言をしたに近い。
頬を染めるでもなくただ自分をみつめてくる大きな瞳に「うーん、」と面白そうな笑みを浮かべたルーカスは、
「この僕に靡かなかったのはリリアン以来だね」
と、ゆっくりとアリアから身体を離していた。
「私はシオン様一筋ですから!」
シオン様以外の男性に触らせたりしません!と、仮にも婚約者のアリアの前で堂々と宣言するリリアンもかなり肝が座っている。
女性どころではなく寂しい夜の相手に困ったことはないであろうルーカスは、動揺する様子のないアリアにくすりという楽しげな笑みを向けていた。
「報酬というのならば、成功した暁にはそれなりのものは払うつもりではいますが」
と、今までアリアを助ける様子もなく沈黙を守っていたシオンが冷静に提案する。
これがもし成功すればこれ以上ない新たな市場を生み出せると思っているのかもしれない。
「……ん~、前金的な?」
成功するしないに関わらず、協力することへの誠意を見せて欲しいと語るルーカスの姿は、どちらかというと本気ではなく、その場にいる子供たちをからかっている感が強い。
「だからどう?」
アリアお嬢様、と再度伸びてきた細く綺麗な指先。
だが、それはアリアに触れる寸前に、横からの凍てつく視線に阻まれてそのまま宙に浮いていた。
「……」
制止の言葉を口にするわけでもなく、それだけで相手を黙らせる、射るような視線。
それをあっさりと真正面から受け流し、ルーカスは楽しそうに微笑んでいた。
「お相手は君でもいいんだけどね?」
「……オレは建設的な話をしたいんですが」
本心が全く見えない相手に苛立ちが増していくのか、負のオーラを滲ませてシオンがルーカスの瞳を射抜く。
のらりくらりとこちらの要望をかわしていくその姿が気に入らないのだろう。
「つれないね」
それでもルーカスは笑みを絶やさぬまま、「まぁいいか」と肩を竦めていた。
「その話、乗ってあげるよ」
期待してるよ?と洩らされた意味深な笑みはどちらの意味だろうか。
「ありがとうございます!」
深々と頭を下げたルークの嬉しそうな声にほっと胸を撫で下ろしながら、アリアは不機嫌そうなシオンへと宥めるような笑みを向けていた。