無謀と忠告 ~ジャレッド・ロドリゲス~
おいおいおいおい、と空を仰ぎ、ジャレッドは額に手を当て脱力していた。
「…マジでか」
アリアを連れてジャレッドの事務所へと現れたギルバートへと、本気で「参った」という様子で空へと吐息を洩らす。
「公爵令嬢がお前の味方かよ」
そのまま腰かけた椅子へとぐったり懐いて沈黙すること数十秒。
ジャレッドは「で?なんだっけ?」と、何度目かの溜め息を洩らしていた。
「ウェントゥス家から家宝を盗み出したいから協力しろ、だっけ?」
五大公爵家全ての家から盗み出し、五つの宝玉を集めるのが目的だ、ということは話していない。
"ゲーム"の中では完全に"仲間"となっていたジャレッドだが、この"現実"で彼にそこまで求める気はなかった。ジャレッドの立ち位置はあくまで"協力者"だ。
「…そこまで強制するつもりはありません」
飾り物のメガネを押し上げ、ギルバートは眉間に皺を寄せる。
これは恩を返せという強要ではなく、あくまで協力要請だ。
足元ではアルカナが『いいのかよ?』と窺うように一声鳴いていた。
「…アンタ、ウェントゥス家の息子の婚約者だろう」
とりあえず座れ、とジャレッドの前に置かれた椅子へと促され、遠慮がちに腰を下ろしたアリアへ、じっ、と探るような目が向けられる。
公爵家の人間模様は公然と周知されている。
それに無言の肯定を返せば、ジャレッドは呆れた様子でガシガシと頭を掻いていた。
「…そのアンタが。婚約者の家から大事な家宝を盗み出す手伝いをすんのか?」
「…そう言われると困ってしまうんですけど…」
信じられないものを見るかのような目付きを向けられ、アリアは恐縮してしまう。
アリアはなにも、シオンの敵に回るつもりはない。
ただ。
「でも、どうしても必要なことなんです」
ーーどうしても、五つの宝玉を手に入れなければならない理由がある。
「必要?なにに」
真摯な瞳に真正面から見つめられ、ジャレッドもまた真剣な顔つきになってアリアへ先の言葉を促す。
「…それは…」
ーー救いたい。
本心からのそれを口にして、現段階で信じてもらえるとも思えない。
「理由もわからず協力はできない」
途端口ごもってきゅっ、と唇を引き結ぶアリアへと、ジャレッドは至極最もなことを口にする。
「俺の言っていることはなにか間違ってるか?」と言われてしまえば反論する言葉もない。
「アンタたちには確かに恩がある。できることなら協力してやりたい。だが、それを言うならあの息子にだって恩がある」
自分自身を賭け代にしてまでジャレッドを助けようとしたのはギルバートとアリア。親友の愛娘を助け出してきたのはシャノンとアラスター。
シオンはあの摘発劇の陣頭指揮を取り、迅速にジャレッドたちを解放した人物だ。
あの事件に関わった全員に恩があり、そのどれか一つだけに傾くことはジャレッドの仁義が許さない。
「アンタの婚約者は知っているのか」
その問いかけは非難にも近い。
「……いえ」
「だろうな」
恐縮したように首を振るアリアへと肩を落とし、ジャレッドは一呼吸置くとまさに大人が子供を窘めるように口を開く。
「お前らだってわかってるだろう。公爵家に喧嘩を売ろうなんざ、国家反逆罪モノだぞ?」
真面目な双眸がギルバートとアリアへと向けられる。
「しかも、家宝を奪い取るなんて」
なに考えてんだ、と顔をしかめるジャレッドは、大人しくなったアリアに代わり、ギルバートへと顔を向けていた。
そうしてその視線を正面から受け止めて、ギルバートはゆっくりと自分の望みを口にする。
「…貴方にして欲しいことは、ただの時間稼ぎです」
一緒に大罪を犯すことも、罪の片棒を担ぐことも望んでいない。
「元々ウェントゥス家とは取り引きがあるんでしょう?いつも通り、普通に交渉をしてくれればいいんです」
ただ、なんらかの理由をつけて、交渉場所をすぐに家には戻れないようなところにして貰えればそれだけで。
「貴方はなにも知らないことにしておいてくれて構いません」
必要であれば、コトが済んだ後には自分達へ協力したという記憶を消してしまえばいい。
そうすれば本当に、偶々、偶然、間が悪かっただけ、という話になる。
「…もし、万が一協力するのなら、それは構わないが」
苦虫を噛み潰したような表情をして、ジャレッドは低く呟いた。
だが。
「本気か?」
その決意は本物なのかとジャレッドは問う。
「絶対に後悔するぞ?」
好奇心や悪戯心などでは話は済まされない。
「目的のためには手段は選ばない」
はっきりと告げ、ギルバートはジャレッドへと挑むような瞳を向ける。
「貴方が本気で協力してくれるのならば、全てお話しても構わないんです」
ただ、「わからない」という曖昧な返事なのであれば、まだそこまでの段階には至らない。
こうして第三者に協力依頼をかけている時点で、ギルバートには常にリスクが伴っているのだから。
「…他でもないアンタが望むなら、それはもちろんそれ相応の事情はあるんだろうが…」
アリアを見、ジャレッドは再び大きく肩を落とすと頭を抱えるように首垂れる。
もしこれがギルバート単体であれば、ただの盗賊の怪しい儲け話になるが、本来あちら側にいるはずの公爵家の人間がそれを望んでいる。
「…アンタはそれでいいのか?」
本当に、後悔しないか?という真摯な問いかけは、本気でアリアのことを案じてくれているのがわかるから、なにも言えなくなってしまう。
もし、全てをあの心優しい従兄に話したら。
皇太子として、この国を守る立場として、その狭間で酷く苦しむに違いない。
だから、全てはアリアの胸の内へと秘めたまま。
「…捕まったらどうする気だ」
「そんなヘマをしない為に、貴方の協力が必要なんです」
いっそ苛立ちさえ滲み出る声色ではっきりと告げるギルバートに、ジャレッドもまた真剣な瞳を返す。
「お前はいいさ。結局は他人だ」
チラリと視線をギルバートへと投げ、ジャレッドは組んだ手の上に顎を乗せてアリアを見つめる。
「俺が確認したいのはアンタだよ、お嬢ちゃん」
自分より遥かに身分が高い少女に向かっての"お嬢ちゃん"呼びはわざとだ。
地位ではなく、"人生の先輩"としてジャレッドは忠告する。
「数年とはいえ、お前らより少し長く生きてる人間の経験は素直に聞いておけ?」
なぜ、この少女が宝玉強奪に協力しているのかわからない。
きっとそこにはきちんとした理由があるのだろうということはわかるけれど。
「先日失敗してお前らに尻拭いしてもらった俺が偉そうに言えることじゃないが、本当にいいのか?」
"目的のためには手段を選ばない"。そう言ったギルバートに偉そうに説教できるほど、ジャレッドは品行方正な人生を送ってきてはいない。
けれど、目の前で俯く綺麗な少女は。
"子供"ゆえの危うさをジャレッドに感じさせていた。
「大切な婚約者の家からお宝を盗み出して、アンタは平気な顔していられるのか」
詰問するかのようなその問いかけに、アリアは膝の上に乗せた両手にぐっと力を込める。
それから意を決したように顔を上げ、きゅっと唇を引き締めると澱みない真っ直ぐな視線を向けていた。
「…必要な、ことなんです」
「………そうか」
揺らぎない想いの籠った瞳を向けられ、ジャレッドは小さく息をつく。
「…アンタらには、本当に感謝してる。今こうしていられるのは全部アンタたちのおかげだ」
どん底に落ちかけていた自分を救い上げてくれた恩は返したいとは思っている。
「こんな依頼がなけりゃ、アイツと一緒に改めてきちんと礼をしたいところだったのにな」
親友と、その愛娘と。
日常を取り戻した彼らの姿を思い浮かべてジャレッドは自嘲にも似た苦い笑いを溢す。
「……少し、考えさせてくれ」
協力するにせよしないにせよ、どちらにしても時間は必要だ。
「…いい返事をお待ちしています」
そう言って、ギルバートは礼儀正しい綺麗なお辞儀をしていた。
五つの宝玉を集めなければならない理由。
それは、ギルバートの為なんかじゃない。
ーー妖精界は今、滅亡の危機に瀕している。
こちらの世界からあちらの世界へと繋がる扉を解放させ、救いの手を差し伸べるためには、全ての珠玉を集める必要がある。
だから、どうしても。
ーー手に入れなくてはいけない。
そこに、どんな危険が孕もうと。
その危機を知るのは、アルカナを除けばアリアしかいないのだから。
さすがのシオンも四六時中アリアのGPS(笑)を確認しているわけではありません。念の為。