秘めゴト
ココン…ッ、と窓を叩く気配があって扉を開けば、そこには闇夜に浮かぶZEROの姿があった。
「ZERO…」
「ちょっと話、あんだけど」
その肩には、相変わらず相棒の黒猫の姿。
ジロリ、と向けられるその双眸は、アリアを決して認めてはいない気配がする。
それでもZEROの説得に渋々了解したのか、アルカナは澄ました顔で「にぁ~」と鳴き声を上げていた。
「…ちょっと待ってて」
すぐに行くから。と窓を閉め、アリアは夜着の上からストールを羽織ると先日と同じように夜の庭園へと足を運ぶ。
月の光を一身に浴び、手持ち無沙汰気に庭園の木の葉に手を伸ばしているZEROの姿はこの世の者とは思えないほど美しすぎて、ほんの一瞬、アリアは見惚れたようにその足を止めてしまう。
「怪盗ZERO」の姿にアリアは弱い。
今更ながらそれを再認識させられて、アリアはほんのり顔へと隠った熱を振り払うように数度首を振っていた。
「なにかあったの?」
努めて冷静な表情でZEROの元まで歩み寄り、アリアは小首を傾げてみせる。
協力する、とは言ったものの、具体的な内容にまでまだ話は進んでいない。
ZEROがアリアをどの程度まで信用してくれるかもわからない。
少なくともアルカナは、アリアに警戒している気配すら滲ませているのだから。
「先日の男…、ジャレッドに、ウェントゥス家への手引きを依頼したら断られた」
溜め息混じりにそう言って、空を仰いだZEROの言葉にアリアは驚いたように目を見張る。
(もうそこまで話が進んでるの…!)
確かに、"ゲーム"の流れはそうなっている。ジャレッドを窮地から救い出し、その結果ジャレッドを仲間に引き入れ、ウェントゥス家へと侵入する。
時期も確かにこれくらいで、この流れそのものは決して不思議なものではない。
けれど。
「アンタの婚約者と、その未来の公爵夫人に恩があるのに、そんなことはできない、って」
「…え…?」
思いも寄らないその結論に、アリアは空耳かと己の耳を疑った。
ジャレッドに対し、アリアはなにかをした覚えも、ましてや名乗った覚えもない。
ジャレッドの窮地を救ったのはギルバートで、親友の子供を助け出したのはシャノンとアラスターだ。
アリアの正体だけは、シャノンたちのように周りの情報から得られるものかもしれないが、アリアは直接なにもしていない。
「オレにも恩はあるから黙秘はするけど、協力はできないそうだ」
公爵家相手になにかをしようなど、そんなことが上層部の耳に届いた日には国家反逆罪で捕まりかねない。
だからせめて聞かなかったことにしてやると告げられたらしいZEROは、わざとらしい吐息を吐き出すと、ひたりとアリアの瞳をみつめていた。
「アンタ、一緒に説得してくんない?」
そもそもZEROの計画を潰した大元の原因はシオンにあるのだから、それくらいの責任は取ってくれるよな?と言い置いて、ZEROは「一体どうしてくれる」という責めるような視線をアリアに向けてくる。
アリアにも恩を感じているというのなら、そのアリアがZERO側の人間だということがわかれば、ジャレッドも協力の意志を見せてくれるのではないかと、そういうことなのだろう。
「…その前に、本当に盗み出せると思ってるの?」
協力したいとは思っているけれど、具体的な内容などなにも思いつかないアリアは、不安定に揺らめく瞳をZEROへと向ける。
王族の住まう宮殿のように、公爵家には数多の警備兵が配備されているわけではない。
そもそも上級貴族は己の身を守る程度の魔法は身に付けているのだから、必要最低限の警備体制が敷かれていればそれで話は済んでしまう。元々大きな犯罪などほとんど発生しない国だ。それで充分と言える。
とはいえ、シオン一人の目さえアリアは掻い潜れる気がしない。そんな中で、しっかりとした"封印"のなされているであろう"家宝"を、"ゲーム"の中で一度盗み出した記憶のあるアリアでさえ、無事奪うことが可能だとは思えなかった。
アリアの知る"ゲーム"とこの世界とではだいぶ事情が異なっている。
「アンタはできないと思うわけ?」
少なくとも"ゲーム"の流れを汲むこの世界で、絶対に不可能、というわけではないかもしれない。
それでも、それを可能にする為にはかなり緻密な計画が必要に思えて、アリアは思わず口ごもる。
("ゲーム"通りでいいとは思えない…)
"ゲーム"の中では、確か大方の住人が不在の時を見計らい、ジャレッドの手引きの元で人目を掻い潜って宝玉を盗み出すことに成功していたけれど、もちろんそこには"捕まる"という"バッドエンド"も存在する。
ZEROの足元では、まるで「ほら見たことか」と、アリアに声をかけたことを咎めるかのように「にぁ~っ!」と鳴く声が上がり、アリアの顔をしかめさせていた。
「…ウェントゥス家を一番最初のターゲットに決めた理由は?」
ウェントゥス家の間取りであれば、なんとなく程度であれば把握している。
もちろんアクア家と同様、広大な敷地のその全てを知ることなど、"婚約者"程度では不可能だけれど。
とりあえず"お試しで"という考え方などできない以上、勝算の高い家から攻略することに決めたのかと問いかければ、ZEROはZEROできちんとした考えがあるようだった。
「あの家が一番厄介だと判断したからだ」
"ゲーム"でも、一番最初に狙われた家はウェントゥス家だった。そこにどんな理由があったのかはアリアは知らない。
けれど、顔を潜めて口にされたその答えに、アリアは小さく息を飲む。
厄介だからこそ一番最初に狙う理由。ZEROはすでに、きちんと五大公爵家について充分な情報収集を済ませている。
「一つ盗み出せばその後の警戒は強くなる。そうなった時、一番手強そうなのがアンタの婚約者の家なんだよ」
ちなみにアンタの家は一番最後な。と、そうからかうように笑うZEROの判断力はさすがと言うべきなのだろう。
ウェントゥス家は、現当主になってから幅広い分野に手を広げ、五大公爵家の中で今一番勢いのある家だ。
警備の面で言っても、もしそうなった時には、その人脈を利用して、最先端の警備体制を整えるに違いない。
一方、アリアの住まうアクア家ならば、どんなに警戒が強くなろうとその目を掻い潜るのは容易だろう。他でもないアリアが、その中にいるのだから。
「…それは否定しないけれど」
きちんとした考えを持って動いているZEROに反論の言葉も思いつかず、けれど不安は拭えない。
「でも、どうやって…」
一番の問題はその方法。
不安そうに見上げられるその瞳に、ZEROは揺るぎない意志の隠った声色を返していた。
「当主と長男を外へ連れ出す」
"ゲーム"の中で、元々ジャレッドはウェントゥス家となんらかの取引があったようなことが描写されていた。だからこそ、ZEROに仲間へと引き込まれたわけなのだけれど。
そして、ジャレッドが遠方で交渉をしている手薄の時に、ZEROが内部へと侵入する。確か、そんな流れだったはずだ。
「あの婚約者も外に連れ出して欲しいんだけどな?」
それが、アリアの役目だろうか。
あくまで怪盗行為は一人で行うつもりなのかと、ざわりとした胸騒ぎが過るのに、ZEROはそんなアリアの不安など気づかぬ様子で小さな吐息を吐き出していた。
「可能なら、バーン家になんらかの理由を作って連れ出して貰えれば、アンタの手も空くんだけどな」
「…え?」
それは、つまり。
「…連れていってくれるの?」
驚いたように目をぱちぱちと瞬かせるアリアへと、ZEROは至極当然とも言える雰囲気でアリアの顔を見下ろしてくる。
「いくら住人たちを眠らせたところで、邸の内部構造まではわからない。アンタなら大体わかるだろ?」
つまり、案内役といったところだろうか。
確かに"ゲーム"の中でも、邸の中の人間が全て眠らされていたような話はあった。一番最初のターゲットであるウェントゥス家侵入に関しては、"主人公"が関わっているわけではない為、詳しいところまではわからない。
「知ってるか?」
「……恐らくは」
ウェントゥス家の"家宝"が封印されている秘密の場所。
それは、アリアがウェントゥス家に詳しいというわけではなく、"ゲーム"で得た知識だ。
"ゲーム"の中で、ZEROがその辺りのことをなにか語っていた気がする。
そういった意味で言えば、一度"ゲーム"で見ただけの地図など覚えていないが、よく知るイグニス家のことならばわかる。当然、アクア家も。この二家に関していえば、"秘密の場所"の検討はついている。
その代わり、ソムル家とアーエール家については全くわからないけれど。
「んじゃ、決まりだな」
ニヤリと口の端を引き上げて不敵な笑みを見せるZEROの姿に、不覚にもドキリと目を奪われてしまう。
(だから、それは反則技ー!)
なんと言っても、この"ゲーム"をするに至った"一推しキャラ"だ。
"初代"と"2"。そのどちらの"メインヒーロー"も黒を基調とした強引キャラだと思えば、"ゲームスタッフ"の揺るぎない好みの方向性が窺える。
シオンとZERO。二人がどこか似ていると思うのはアリアの気のせいなどではないはずだ。
「まずはジャレッドの説得だな」
頼むぜ?と協力を求めてくるZEROは今日はここまでだとその身を翻そうとして、そこでふとなにかを思い出したかのように足を止める。
「と、忘れてた」
足元へと視線を落としたその先にあるものは、言わずと知れた彼の"相棒"。
「アル」
にゃ~、と返事を返すアルカナは、「もう話は終わったのか?」とでも言いたげだ。
「いい加減、コイツを仲間に加えること、納得してくんねぇか?」
なんとなく疲れた様子で肩を落とすZEROは、何度かアルカナに説得を試みた結果だろうか。
にゃー、と鳴き声を上げるアルカナは、なんとなく不満気に顔を潜めているようにも見える。
「…いいわよ?別に。嫌われているなら仕方ないもの」
少なくともアリアは、アルカナに心を許すつもりはない。
ただ、その"声"が聞こえないことはとても痛手に感じるけれど。
「そんなわけにいかないだろ」
そんなアリアに眉を寄せ、ZEROは「一緒に行動しずらい」と最もな意見を口にする。
「アル」
いい加減諦めろと、咎めるようなZEROの声色に、アルカナの「にゃー」という不貞腐れたような声が上がる。
「契約だ」
だが、告げられた低い言の葉に、アルカナはぴくりとその耳を震わせた。
二人の間で交わされた"契約"は、現状ZEROの方が立場は上だ。
「コイツにもお前の声が聞こえるようにしろ」
"主"からのその命に、渋々と向けられた金色の瞳。
『…俺様はまだ、お前を信用したわけじゃないからな?』
アリアの耳にもしっかりと届いた、"ゲーム"そのままの少しだけ特徴のあるその声に、アリアもまた表情を曇らせる。
「…それはお互い様ね」
できることなら、今すぐこの魔物の正体を暴いてその行いを責め立ててやりたい。
けれど体の横でぐっと拳を握り締め、アリアは懸命にその感情を押し殺す。
それはまだ、時期尚早だ。
「おいおい」
仲良くしてくれよ。と乾いた笑みを浮かべるZEROにはとても申し訳ないけれど、それはとてもできない相談だった。