人の噂は…
婚約者同士だからといって、いつも一緒にいるわけではない。
学園内にも婚約者同士という生徒は何組かいるけれど、むしろ校内では別々に行動する方が普通だ。その証拠に、リオが婚約者のマリベールと一緒にいるところなどほとんど見たことはない。
つまり、よく行動を共にしているアリアとシオンの方が異常なくらいで、だからこそ「溺愛」の噂に拍車がかかっていくのだが。
「…最近、シオンの機嫌がよすぎて気味が悪い、と思ってたんだけど」
「…え?」
昼休み。午後の授業で使う教材を忘れたとセオドアの元を訪れていたユーリから眉を潜めながら呟かれ、アリアはきょとん、と瞳を瞬かせていた。
「そしたら昨日から超不機嫌だし」
むぅ、と口を尖らせて眉間に皺を寄せるユーリの姿は相変わらずとても可愛いけれど、最近少しだけ「男の子」っぽくなったなぁ、とアリアに思わせる。
ここ最近、ユーリはコントロール不能だったはずの魔力を制御できるようになりつつあり、身長も見た目も急激に大人っぽくなってきたような気がする。
「…俺はなにも感じないけど」
「…いつも通り、よね?」
昼休みを教室外で過ごす生徒は多いため、現在、室内にいる人の影はまばらだった。そんな中、教室の一角で顔を合わせ、セオドアとアリアはユーリの言葉の意味をわかりかねて二人で首を捻っていた。
「え。あんなあからさまなのにわかんないの?」
「…そうね」
「元々俺はアイツ自体に興味がない」
目を丸くして尋ねてくるユーリへと、アリアは苦笑いを返し、セオドアはきっぱりとどうでもいいと口にする。
「…なにかあった?」
シオンの機嫌を左右する原因など、一つしか思い当たらない。だからその"原因"へと溜め息混じりで問いかければ、少女はコトリと首を傾げて考える素振りを見せていた。
("なにか"…?)
ここ最近、シオンとの間であったことといえば…。と、ここ数日の記憶へと思考を廻らせて、アリアは突然沸騰する。
(思い出しちゃダメ…ッ!)
そんなことでシオンの機嫌がよくなるのかはアリアからすれば甚だ疑問でしかないが、アリアに思い当たることがあるとすれば一つしかない。
ーー『オレのものだ…』
艶の籠った熱い囁きが突然脳内へと甦る。
(やめて…っ!)
アリアは思わず耳を塞ぎ、じ…、と自分を見つめてくるユーリへと羞恥で潤んだ瞳を上げる。
「…ごめん。聞いたオレがバカだった」
「…っ!」
大きな大きな溜め息を吐き出すユーリは、アリアのその反応で全てを悟ったかのようで、アリアはユーリの呆れたようなその言葉に益々顔を赤く染めていた。
("機嫌がよすぎる"って…!)
もし、シオンの機嫌がいいとして。その理由がそういうことなのだとして。
そうだとしたら恥ずかしすぎる。
そして、それと同時に、自分がシオンにいかに想われているかがわかってしまって、羞恥で消え入りたくなってくる。
あれだけのことを言われて、されて、それでもアリアは、まだ信じられなかったりするのだから。
(…でも、昨日から"不機嫌"て…?)
ふとユーリの続きの言葉を思い出し、アリアは心の中で小首を捻る。
昨日から不機嫌なのだとしたら、原因は一昨日の放課後から昨日の朝までの間に…。と、そこまで考えて、アリアは急速に身体が冷えていくのを感じる。
(…まさか……?)
もし、"不機嫌"な原因がアリアにあると仮定したならば、思い当たることがないこともな…。
「アリア様…っ!"浮気してる"って本当ですか…!?」
と、ふいに室内へと響いた、なぜだかとても楽しそうなその声色に、アリアをはじめとしたその場にいる全員の視線が、ふわふわのピンク色の髪の持ち主へと集中する。
「…リリアン様」
一学年上の教室だというにも関わらず、躊躇する様子も見せずにアリアたちの元へと走り寄ってくる少女は、もはやこの階へと足を踏み入れることに慣れている。尤も、普段リリアンの行く先は、お隣のシオンの教室なのだけれども。
「…う、"浮気"って…」
さすがにその単語の衝撃に、アリアは思わずたじろぎながらギクリと瞳を泳がせる。
"浮気"などでは決してない。それだけは絶対に違うけれど、そう言われても仕方ないと思われる程度の身に覚えならば、ありすぎるほどにあった。
「えー。噂になってますよ?超美少年とイケメン、二日続けてアリア様を訪ねて来た、って」
立てた人差し指を顎に当て、可愛らしく首を捻ってみせるリリアンは、なんだかとても楽しそうに見える。
超美少年とイケメンとは、もちろんシャノンとアラスターに他ならない。
"続編ゲーム"の"主人公"と"ヒーロー"だけあって、二人の存在感と見目の良さは飛び抜けている。ただでさえ周りから注目を浴びていたのだ。そんな二人と一緒にいたアリアのことが噂にならないわけはない。
「どっちが本命なんですか!?」
「……リリアン様……」
キラキラとした瞳に迫られて、その勢いに思わず後方へと退いてしまう。
「あれですか!?とうとうシオン様、振られちゃいますっ?」
"とうとう"とはなんだろう?と、もはや現実逃避にも近い思考回路が意味のわからない突っ込みを入れてきて、アリアは乾いた笑みを浮かべてしまう。
否定をするのは当然のこととして、けれどリリアンの余りの勢いに反論の言葉を失ってしまう。
が。
「お前はなにを言っているんだ」
突如、教室の入り口から低い声が届いて、リリアンはギクリと肩を強張らせる。
「………シオン様」
ギギギ…、と、まるで接続部分が錆びつき始めた"ロボット"のような動きでその声の持ち主の方へと振り返り、リリアンは表情を固まらせる。
図書館帰りと思われる、片手に本を抱えたシオンがつかつかと教室内へと足を踏み入れ、ピタリとアリアの前で足を止めた。
「で?シャノンとアラスターが一体お前になんの用だ」
既に全て把握済みらしいシオンの情報力は、さすがの一言に尽きると言っていい。
だが、「別々に?」と、明らかに不審を滲ませるシオンからは、不穏な空気が流れている。
これは、さすがにアリアでもわかる。
(…怒ってる…!)
昨日はシオンを見かけた程度で、実際には会っていない。
ユーリの言う"機嫌のいい"シオンはわからないが、"超不機嫌"なシオンならば、アリアにも手に取るようにわかってしまう。
「…せ、先日の一件で」
声を潜め、これ以上はこんなところで話せない、という空気を纏って口を開けば、あくまで表情は冷静なシオンから静かな詰問が返される。
「どうしてわざわざお前のところに?」
先日の一件についてであれば、アリアでなくとも自分でもいいはずだと含ませて、シオンは絶対零度の空気を滲み出す。
「偶々、私の方が先に目に入ったからじゃないの…っ?」
別々の家に帰るのだから、なにか用事でもない限りは一緒に帰ることなどない。
だから最もらしい答えを口にしてみたのだが、もちろんシオンが納得する気配はない。
「お前は警戒心がなさすぎる」
声のトーンは低めでそれなりに声量は絞っているのだが、それでもすぐ近くにいるリリアンやユーリ、セオドアには届いてしまうから、二人のそんな遣り取りに、三者三様の呆れたような視線が注がれる。
「なに言っ…」
「男と二人きりになるなんて、"浮気"だと噂されても仕方ないだろう」
「…っ」
リリアンが聞いてきたという"噂"は、しっかりシオンの耳にまで届いているらしい。
アリアは一瞬返す言葉を失ったかのように息を呑み、「でも…っ」とささやかな反論を試みる。
「自宅だし、馬車だし…っ!」
「だから?」
人の目がある、と言いたかったのだが、そのどちらもシオンには前科があった。
ひっそりとアリアの"浮気疑惑"を責め立ててくるシオンへと、アリアは反射的に口を開く。
「シオンじゃあるまいし、そんなことあるわけないでしょ…っ!」
思い出し、少しだけ顔を赤らめたアリアへと、シオンがどこか満足そうな笑みを口元へと刻んだのは恐らく気のせいに違いない。
「アリアッ!ここ、教室だからっ!痴話喧嘩は余所でやって…っ!」
「…ぁ……」
意味を察し、真っ赤になったユーリが慌てて窘めてくるのに、アリアもまた顔を真っ赤に染めていた。
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