来訪者 ~シャノン・トゥーレ~
放課後。
校門から続く壁へと背を預け、目を閉じたまま腕を組んでいる美少年へと、女生徒たちが遠巻きに黄色いひそひそ話で目を向けている。時折勇気ある女生徒がなにをしているのか声をかけてみるものの、少年がまともな返事を返す様子は見られなかった。
そんな中。
「…シャノン?」
否応でも耳に入ってくる美少年の存在にそちらの方へと顔を向ければ、そこにいたのはアリアの見知った顔で、アリアはきょろきょろと辺りの様子を伺いながらシャノンの方へと小走りで駆け寄っていく。
「どうしてこんなところに?」
校門の外は大きなロータリーになっており、学園に通う子息子女を出迎える馬車が停まっている。
バラバラと帰路に着く生徒たちからチラチラと好奇の視線を投げられる中、シャノンは不服げに口を開いていた。
「アンタ…、貴女に会いに来ました」
「……私に?」
コトリ、と不思議そうに傾けられる顔に、シャノンの顔が益々嫌そうにしかめられていく。
「ココに来れば会えると思ったので」
とはいえ、思った以上に注目を集めてしまい、人から向けられる感情を嫌うシャノンは、苛立たしげな表情で目の前のアリアへと睨むような瞳を向ける。
「…先日の責任を。どう取ってくれるのかと思いまして」
「……普通に話してくれて構わないのよ?」
シャノンがアリアへ会いにココへと訪れた時点で、自分の身分が割れていることは簡単に見て取れる。その為、一応は真面目な性格上、どうしても目上の者へと敬語を使わざるを得ないシャノンへと、アリアは困ったように苦笑を溢す。
「私は気にしないから」
いくらアリアが気にしないと言っても、シャノンも貴族の端くれだ。公爵家の令嬢相手に普通の態度など取れるわけがない。
けれど。
「……アンタのせいで、アラスターが不思議がってる。どう説明つけてくれるわけ?」
かなり長い沈黙があり、なにやらいろいろと悩んでいるらしき様子が伺えた後、シャノンは諦めたように嘆息すると、再度アリアへと責めるような視線を向けていた。
「聞きたいことがある。アンタに会いに来る理由としてはそれだけで充分だろ?」
あのまま逃げるなんて許さない、と。そう告げてくる大きな瞳に、アリアは一瞬たじろいだ。
あの件に関して、そのまま放置しておくような無責任な態度を取るつもりはなかった。けれどアリアは、今だ自分が取るべき行動を決められないでいる。
すべきことはわかっていても、その手段が見つからない。
とはいえ、いつまでもこの状態でいていいはずもない。
「…その件では本当にごめんなさい…」
心の底から謝って、アリアは自分を待つ馬車の方へと視線を投げる。
これ以上は立ち話でできる内容を越えている。
周りからはチラチラとした視線も向けられて、アリアは苦笑いを洩らすとシャノンを自宅へと促していた。
*****
シャノンの家は、本当に極々普通の子爵家だった。
恋愛結婚の両親は仲睦まじく、弟と妹が一人ずつ。
周りから見れば微笑ましい、とても仲の良い家族。
けれど、本当の意味での円満を壊してしまっているのは自分の存在だと思っている。
シャノンが自分が普通ではないことに気づいたのは物心ついた頃だ。
幼い純粋な子供ゆえ、それが普通ではないことになど気づかずに、母親に聞こえるはずのない声や想いについて話してしまった。
その瞬間の、驚愕に見張られた母の顔を、シャノンは一生忘れられないだろうと思う。瞳の奥にある、驚きと共に浮かんだ恐怖の色。
それでも、両親の愛は変わらなかった。それだけは嘘偽りのない親としての愛情で、唯一の救いだろう。
幼いシャノンへと、両親は言った。その能力は、決して人に話してはならないと。悟られないようにしなさいと。
これからの人生を歩んでいく上で、その能力はシャノンを苦しめるだけのものだからと。
その時はわからなくとも、それは正しい判断だったと、今のシャノンならばわかる。
世の中には、知らない方がいい真実が多すぎる。
幸いなことに、きちんと意識をすればその能力はコントロール可能なものだと言うことに気づかされれば、自然と人との距離を置くようになった。
両親が仲の良い親友同士で、生まれた頃からほぼ一緒にいるアラスターを除いて、友達を作ろうとはしなかった。
両親の自分に対する愛は変わらない。それはわかった。
ただ、唯一。
それ以来、両親に抱き締められた記憶はない。
触れる時も、腫れ物を触るかのように接してくる。
シャノンが勝手に心を読まないことを信じてはいても、それでもどうしても拭えない不安があることには気づいている。それは、仕方のないことだと思う。
いくら気をつけてはいても、不意打ちで流れ込んできてしまうものや、あまりにも強い想いは制御し切れない。
だから、なるべく人とは関わりたくはない。
それなのに。
「さっすが公爵家だな。規模が違う」
アクア家の敷地内へと足を踏み入れて、シャノンが感嘆とも皮肉とも取れない驚きの声を洩らす。
水を象徴するアクア家は、中世イタリア貴族の館を思わせるような白を基調とした佇まいで、蒼色の屋根、たくさんの緑と水に囲まれた大屋敷だった。
余談だが、ウェントゥス家などは中世ドイツ風の建物で、この辺りも"ゲームスタッフ"の多彩な趣味が盛り込まれた結果なのだろうと思っている。
「いらっしゃい」
さすがのシャノンも興味深げに辺りへと視線を彷徨わせていて、そんな来客者の様子にアリアは苦笑を溢すと「すぐに飲み物を用意するわね」とゲストルームへと促した。
"ゲーム"の記憶が下りてきた直後こそ、アリアも自宅のあまりの広大さに目を丸くしたけれど、それでもアリアが生まれた時から暮らす場所だ。もはやここでの暮らしは当たり前になっていて、それが普通ではないことはわかっていても、その生活には慣れ切ってしまっている。
「…アンタが自分で用意するのか?」
「好きなのよ」
お気に入りのティーセットを持ち出してお茶の準備を始めたアリアへと、シャノンが意外そうに目を丸くする。
確かに、貴族ともなれば、お客様のおもてなしは給仕にさせるのが普通だろう。とはいえ、令嬢が自ら用意することが珍しいことだとしても、絶対にない、というほどのマナー違反なわけでもない。実際にアリアの母親なども、三食の料理などはしなくとも、お菓子作りの延長で行われる自らおもてなしをするお茶会などは趣味の一つになっている。
アリアの家にも、仕える下働きはたくさんいるが、アリア付きの侍女などがいるわけではない。
コトン…、とシャノンの前へと紅茶とお茶菓子を差し出して、「それにしても」とアリアはシャノンへと顔を向けていた。
「よくわかったわね」
誰かに聞いたの?と、自己紹介をしたあの時に、あえて家名までは出さなかったことを示唆して、アリアは首を傾げてみせる。
シオンやユーリという圧倒的"ヒーロー"や"主人公"がすぐ傍にいるアリアには、自分が目立つような存在だという自覚があまりない。
「これでも一応、貴族の端くれではあるからな。実際に見たことはなくても話くらいは耳に入ってくる。五大公爵家の人間の話なんて常識だ」
王族と公爵家の人間の人柄や容姿などは、人付き合いのあまりないシャノンの耳にすら、当然のように入ってくる。人伝に聞いたそれがどこまで正しいのかはわからなくとも、数多くの噂を取捨選択すれば、それなりのことは予測できるだろう。
「アンタが貴族だとわかった時点で、アクア家の令嬢しか思い当たらない」
騎士が「様」付けの敬称で呼んでいた。その態度からも上級貴族であることは簡単に推測可能で、シオンに関しては騎士たちに指示まで飛ばしていた。
「アリア」に「シオン」。
そこまで珍しい名前ではないが、その名前の持ち主が貴族だとわかれば充分だ。
「特にアンタは有名だしな。ウェントゥス家の次期当主と噂される次男が溺愛する御令嬢」
「え…?」
出された紅茶に手を伸ばし、淡々と告げるシャノンの言葉に、アリアは己の耳を疑った。
(…シャノンの耳にまで届いてるの!?)
シャノンはその能力ゆえ、社交界にもほとんど顔を出していないはずだ。そのシャノンにまで噂が届いているともなれば、アリアの驚きは想像以上のものだった。
「噂以上でびっくりだ」
手に取ったカップを傾けて、シャノンはアリアに目を向けることもなく口にする。
噂など、尾ひれはひれがついていて当てにならないが、この件に関しては真実どころかそれを上回っていた。先日それを実際に目の当たりにしたシャノンからすれば、本当に驚くべきことだった。
尤も、それが「真実」になったのは極最近のことだったりするのだが、そんなことはシャノンには関係ないだろう。
「…それなら直接こっちに来れば良かったのに」
アリアがアクア家の人間だとわかったならば、わざわざ人の注目を浴びるような場所で自分を待たなくても良かったのでは、とアリアは不思議そうに小首を傾ける。
公爵家の令嬢ということで、あの学園にアリアが通っていることは容易に想像できることとはいえ、なるべく人との関わり合いを避けたいシャノンにしてみれば、女生徒たちの好奇の視線は試練だったに違いない。
「いきなり下級貴族の俺が訪ねたって門前払いされるだけだろ」
けれど、冷静にそう判断して肩を落としたシャノンの言い分は尤もで、アリアも確かにそうかもしれないと納得する。
暗殺の類の心配は皆無と言っていいほど平穏な世界だが、それでも公爵家の人間になどおいそれと会えるものではない。
こんな訪問があったと、一応はアリアの耳に届くかもしれないが、アポイントもなにもなれば、それはシャノンが追い払われた後になるかもしれなかった。
「で?」
それなりに紅茶の香りを楽しんで、シャノンは少しだけ睨むような瞳をアリアへ向ける。
「なんでアンタは俺のことを知ってるわけ?」
少しだけ曖昧な言い方は、アリアがどこまでのことを知っているのかわからない為だろうと思う。
対して、アリアは沈黙し、少しだけ悩むような仕草を見せた後、苦笑いにも似た微笑みを浮かべていた。
「…視んでいいわよ?」
「……っ!」
瞬間、シャノンの瞳が驚いたように見開かれ、その中に怯えの色が浮かんだのを見て取って、アリアはすぐに軽率だったと後悔に襲われる。
「……ごめんなさい。意地の悪い言い方だったわね」
本当の本当は、視まれたら困るとは思っている。
けれど、それと同時に、いっそ視んで欲しいと思っている自分もいる。
「…貴方がその能力を忌み嫌っていることを知っているのに」
無意識にでも精神感応能力が働いてしまわないように、シャノンはいかなる時でも気を遣って過ごしている。
それを、簡単に視んでいいなど、口にすべきことじゃない。
「…アンタはなにを知ってるんだ」
この言葉を聞くのは、もう何度目のことだろう。
別段"ゲーム"の話はしなくとも、話せるところだけ話してしまえばいいと思う。
それこそシオンの言うように、「予知能力」と偽われば簡単に済む話かもしれない。
それなのに、なぜか「絶対に口にしてはならない」という気持ちに駆られるのはなぜなのだろう。もはやそれは、強迫観念にも近かった。
「…私もね。貴方とは違うけれど、少し変わった記憶があるの」
困ったように微笑んで、アリアはシャノンの反応を窺うような視線を向ける。
「どう説明したらいいのかわからないのだけれど」
だから、と思うのだ。
もし、アリアとシャノンとの出逢いになにか意味があるのだとしたならば、そういうことなのではないだろうか、と。
「だから、貴方が本気で知りたいと思ったら、視んでくれて構わない」
「………それはしない」
アリアの心の底からの本心を受け止めて、シャノンは悔しそうに唇を噛み締めるとその行為を否定する。
「…それも知ってるわ」
不可抗力な場合を除いて、シャノンは絶対にその能力を使おうとはしない。"ゲーム"の中で、必要に駆られてその能力を発揮することはあったものの、それさえ罪の意識を感じていなかったわけではない。
「貴方がそういう人だから、神様は貴方に特別な力を与えたのかもしれないわね」
静かに微笑む、赦しにも近いアリアの言葉に、シャノンはなぜか苦し気に顔を歪めてみせた。
「っ!アンタは…っ!」
ーー『奇跡の力』
あの時、アリアに告げられたその言葉。
そんなこと、一度も思ったことなどなかった。
ただただ人を不幸にするだけの呪わしい能力。
人を救うことのできる能力などと、考えたことなどなかったのに。
なにかをアリアに訴えかけようとしたシャノンは、その途中でふいに別の思考回路に意識を取られる。
「……それなら、アンタのその能力だってそうなんじゃないのか?」
「…え?」
向けられた素朴な瞳に、アリアは驚いたように目を瞬かせる。
確かに、"秘宝"を集めるために、アリアの"記憶"は必要なものかもしれないと、アリア自身も思ったことはあるけれど。
「アンタはずるい」
全て晒してもいいと言いながら、結局なにも語らない。
シャノンが、そんなことなどできないことをわかっていて。
「…そうね」
ごめんなさい。と、そう素直に謝罪する目の前の少女が、本気でそう思っていることが伝わってくるから、それ以上を求めることができなくなる。
ーー『視んでいい』
それが、本気だとわかるから。
「…でも、多分。もし神様が私を貴方に会わせたのだとしたら、そういうことだとも思うのよ」
アリア自身は話すことができないけれど。
けれど、シャノンならば、アリアの事情を視むことができる。
シャノンにならば知られてもいいと。
そう、誰かに言われている気がして。
そしてまた、その逆も然り。
今回の"ゲーム"はユーリの時とは違い、シャノンの身が直接的な被害に遭うことはない。
それでも、アリアがすぐに動かなければと、すでに変えてしまった"運命"。変えられて、本当に良かったと思う。
シリルを仲間にする"イベント"で、シャノンはジゼルの地獄を追体験してしまう。
その時はそんなことまで考えが及ばなかったけれど、今となってはそれを避けられたことを嬉しく思う。
例え自分自身の経験ではないとしても、"誰か"が自殺にまで追い込まれた悪夢など、味わいたくないだろう。
「…どうしたの?」
と、なぜか顔を赤くしたシャノンに気づき、アリアは不思議そうに瞳を瞬かせる。
「アンタが…」
「え?」
消え入るような声で呟いて、それからなぜか羞恥で泣きそうな顔になりながら、シャノンは苛立たし気に吐き捨てる。
「アンタが…っ!本気で俺を心配して安堵してる気持ちが伝わってくるから、恥ずかしくなるんだよ…っ!」
「え…っ」
まるで、母のような、姉のような。
今まで触れたことのない感情にシャノンは戸惑いを隠せない。
「そんな感情を垂れ流しすんなっ!」
キッ…!とアリアを睨み付け、シャノンは上手く遮断できない少女からの感情に、自分の身を守るかのように自身の身体を抱き締めていた。
「…それで?」
ややあって。本題を思い出したシャノンは、はぁ、と、何度目になるかわからない溜め息を洩らし、ジトリとした目をアリアへ向ける。
「え?」
「アラスターに怪しまれてるんだけど、どう責任取ってくれるわけ?」
「…ぇえ、っと……?」
恐らく、本気で困っているに違いない。
けれどそれに対して上手い言い訳など思いつかずに、アリアは口ごもってしまう。
(だって…)
アラスターは、薄々勘づいている。
生まれた時から一緒にいる幼馴染みだ。シャノンの母親同様に、物事の善悪もわからないほどの幼い頃、アラスターにその能力で得た情報を口にしていてもおかしくない。ただ、幼すぎてその時はその意味を理解できずにいただけで。
記憶力のいいアラスターが、成長と共に幼き日のことを思い出して「もしかして」と思ったとしても、それは当然のことだろう。
アラスターは、気づいていてあえて知らないふりをしているのだ。
それは、シャノンが自分のその能力を嫌い、隠したがっているからだということをアリアは知っている。
それでも、いつか話して欲しいと思っているから。
いつか、そんな日が来ることを信じているから。
シャノンがその能力で苦しむことがないように願いながら、一番近くで全てを打ち明けてくれる日を待っているのだ。
けれど、その真実を、アリアが今ここで勝手にシャノンに話すわけにはいかないだろう。
アラスターのシャノンへの優しい想いを、他人が暴露するべきことではない。
「………」
黙り込み、アリアはどうしたものかと本気で頭を悩ませる。
後先考えずに動くのは悪い癖だとシオンからも言われているが、本当にその通りに違いない。
行き当たりばったりで、その後の事を考えている余裕がない。
「…おい」
沈黙するアリアになにかを察したのか、シャノンの呆れたような視線が向けられる。
「…ごめんなさい……」
しゅんとなり、なにも思いつかないと小さくなるアリアに向かい、はぁぁぁ、という、もう何度目になるかわからない大きな溜め息が吐き出される。
「……"魔法で"、っていうのはダメ?」
「あ?」
「だからその…、シャノンの能力とは逆で、直接言葉にしなくても、魔法で自分の気持ちを伝えられる…、とか?」
最終的に辿り着いたのは、かなり苦し紛れの言い訳だ。
けれど、薄々勘づいているアラスターは、納得するふりくらいはしてくれるのではないかと思う。
今回のことをキッカケに、もしかして話してくれるかもしれないと期待しているその願いは、やはりまだ叶わないのかと哀しませてしまうかもしれないけれど。
「…そんな魔法あるのか?」
そこまで魔力の高くない自分は知らないけれど、恐らくは自分の遥か上を行く魔法力を持つであろうアリアなら、自分の知らない魔法を知っていてもおかしくないと問いかければ、アリアの肩は益々小さくなっていく。
「…多分、ない、と思います…」
申し訳ないという気持ちから、思わず丁寧語になってしまい、アリアは窺うようにチラリと上目遣いをシャノンに向ける。
「………」
「………」
不毛な見つめ合いが続くこと数十秒。
「……もういい…。アンタには頼らない…」
深い溜め息と共に先に折れたのはシャノンだった。
「本当にごめんなさい……」
「…もういい」
どさりと背もたれへと体を沈め、シャノンはどうしたものかと頭を抱えるのだった。
…今回、アリアの希望を叶えてあげたいと、ギルバートは無理でも「アラスター×シャノン」くらいは成立させようと思っていたのですが…。
…無理なようです。
先日悩んでいたR18版は、可能であれば明日更新予定です。