act.1-6 Fist Bump!!
そして、その直後だった。
妙に騒がしい階上のざわめきが聞こえてきたかと思うと、国の騎士団と思われる集団が会場内へと突入し、瞬く間にその場にいる人間たちを取り囲んでいた。
「シオン様。…アリア様」
その中の、隊長格らしき男がシオンの顔を見つけるとその前で礼を取り、なにかを伺うような気配を見せる。
すでにアリアはシオンの膝の上から下ろされていたのだが、その腰を抱きながら、シオンは「あぁ」と頷きを返していた。
「コイツらは友人で、アッチは被害者だ」
今日ここで出会ったばかりのシャノンとアラスターは別としても、なぜか自分たちより先にこの会場に来ていたギルバートに関しては「友人」扱いしてもいいのかと一瞬悩むように顔をしかめながら、それでもシオンは自分たち五人はこの裏賭博とは無関係だということを主張した。
「被害者」とされるジャレッドたちに関しては、一応の事情聴取は必要な為、一度は連れて行かなければならないが、シオンやアリアの口添えがあればすぐに解放されるだろう。
「…おぉ怖っ」
「…ギルバート」
アリアから離れ、騎士団たちへと指示を出し始めたシオンの姿を眺めながら、ギルバートがわざとらしく震える身体を抱き締めるような真似で近づいてくる。
「あの婚約者。マジで要注意人物だな」
一瞬だけ自分へと投げられた視線が、ギルバートだけはこのまま「友人」としてではなく「参加者」として突き出してやろうかと悩んだ"間"だということに気づかないギルバートではない。
自分の正体に気づいているというわけではないだろうから、ここまで来ると本能か嗅覚の類いのものだろう。
シオンのギルバートに対する警戒は、ギルバートの正体ではなく、本性の方に違いない。自分の婚約者に手を出すなと、そんなあからさまな牽制を感じられる。
「…知ってたのか?」
それにしても、と、後ろ暗いことがある賭場の参加者たちが慌てふためく様子を眺めながら、ギルバートはジロリと責めるような視線をアリアに向ける。
「だから、助けに来たんでしょう?」
暗に、今日この会場が摘発されることを知っていたのだろうと恨めしげな瞳を向けられ、アリアは申し訳なさそうに微笑する。
「助けるもなにも、これを仕組んだのはアンタの婚約者だろう」
突入部隊へと的確な指示を出しているシオンを見ればわかる。
この摘発劇には、シオンが一枚も二枚も噛んでいる。例えそれが、皇太子の許可を得た上での代行だったとしても。
「私たちが動かなくても、すでにここはマークされてたのよ」
教えてあげられなくてごめんなさい。と素直に謝って、アリアは「詳細については言えないけれど」と、身を小さくする。
前回の事件がこの裏賭博へと繋がっていることは、シオンから口止めされている。「余罪」が全て明らかになるまでは、表沙汰にしていいものではない。
「…そもそも、アンタが助けたかったのはあっちの方じゃないのか」
素直に申し訳なさそうな瞳を向けてくるアリアへと嘆息し、ギルバートは今回の被害者たちへと視線を投げる。
ギルバートにもまだ今回の事件の全貌は把握できていないが、なんとなくこの展開は、前回のバーン兄妹の時のソレに似ている気がした。
前回も今回も、アリアはギルバートの知る彼らの不幸の、その先を見据えている。
「彼を助けようとしていたのは貴方でしょう?」
「…オレはアンタとは違う」
ことり、と。首を傾けたアリアから純粋な瞳を向けられて、ギルバートは苦々しく唇を噛み締める。
ギルバートがジャレッドを助けようとしたのは、それ相応の見返りを求めているからだ。
例え心の底から婚約者のことを信じているのだとしても、少女のようにただ人助けの為だけに自分自身を賭け代にしたわけじゃない。
そのことを思い出し、ギルバートはふと意趣返しをしてやりたい気持ちを覚えて「それにしても」と意味深な囁きを溢す。
「アンタら、一線越えてないって、むしろびっくりだな」
「……ぇ……?」
途端、綺麗な瞳が大きく見開かれ、その意味するところを察した少女の顔へと朱色が差して、ギルバートはしてやったりという意地の悪い笑みを浮かべる。
「身体の関係がある恋人同士にしては、アンタの反応は初々しすぎる」
数多の女性たちと一夜限りの付き合いをしてきたギルバートにはわかる。
シオンの、アリアに対する独占欲と執着心。それは元々の性格もあるだろうが、その場の全員へと見せつけるような牽制は、まだ想い人が完全には手に入っていないからだ。
一言で言ってしまえば余裕がない。
尤も、シオンの場合、手に入れたからといって安心できるような相手ではないのだけれど。
「まぁ、しっかり調教はされてるみたいだけどな?」
「…な…っ」
ほんの少し触れられただけで反応を示すその身体は、なにも知らないというわけではないのだろうと、ギルバートはくすりという色香の伴う笑みを溢す。
「アンタのあの婚約者を見る目には艶がない」
アリアからは、愛する男を見ているという熱の籠った空気を感じられない。
つまりは、まだシオンの一方的な関係なのだと思えば、その可笑しさに口許が緩んでしまう。
「まぁ、アンタら上流階級の婚約なんて、本人たちの気持ちなんて二の次三の次なんだろうけど」
皮肉って、ギルバートは「だとしても」とニヤリと口許を歪ませる。
「とんでもない男に捕まったな」
同時に、アリアを自分の側へと引き込むにしても、あの婚約者の目を盗むのは骨が折れるだろうと、ギルバートはどうしたものかと頭を悩ませるのだった。
*****
「おい…っ!」
事情聴取が必要だからと連れ出されかけたジャレッドは、自分の背を押す騎士の足を止めさせて、ぐるりと視線を巡らせていた。
「アイツらは一体ナニモンだ…っ!?」
親友の子供を救出してきた少年二人と。なぜか自分の賭け事に自分自身を差し出してきた男女二人。そして、今この場で一番目立っているのは、あっさりとイカサマを見抜いた上で勝ってみせ、騎士団へと顔色一つ変えずに指示を出している、目を見張るほど整った容姿の少年だ。
「"アイツら"…?」
一体誰のことを言っているのかと、訝しげに眉を潜める男へと、ジャレッドは誰のことを一番に聞けば手っ取り早いのかと思案する。
ここで五人全員を教えてくれと訴えても、明確な答えが返ってくるかはわからない。
ただ、その中でも、騎士に「様」付けの敬称で呼ばれていた二人のことならば、確実に目の前の男もその正体を知っているだろうという結論へと至っていた。
「…あの、男女二人だ」
この場において、明らかに他とは違う存在感を放っている二人へと視線を投げて、ジャレッドは懇願にも似た声を上げる。
「教えてくれ…っ!」
そんな必死の様子を見せるジャレッドに、問われた騎士は驚いたように目を見張り、けれどすぐに表情を戻すと「あぁ」と至極常識なことを話しているような口調で口を開いていた。
「ウェントゥス家の御子息とアクア家の御令嬢だ」
予想だにしないその答えに、ジャレッドは一瞬息を呑む。
「……なんでそんなヤツらが……」
見ず知らずの人間を助けるような真似をするのかと、ジャレッドは茫然とした呟きを洩らしていた。
去り際に、最後に目に入った少女が、救出された親友の子供へと優しい瞳を向けていた姿が、酷く印象的だった。
ーーそして。
連行された多くの参加者たちの中に、アリアが気にしていた女性の姿だけは見つけることができなかった。
それが、一体なにを意味するのか。
一度噛み合わなくなった歯車は、次々と歪みを生み出していく。
ーー『いいわねぇ…。美味しそう…』
気に入っちゃった。
と、色の隠ったくすくすという愉しげな女の笑い声が、何処か遠く響いていた。