act.1-3 Fist Bump!!
「イカサマだ…っ!」
先ほどから青い顔をしていたジャレッドが、テーブルを思い切り叩きつけ、対峙する男へと叫び声を上げていた。
「イカサマだ…っ!こんなのイカサマに決まってる…っ!」
わなわなと唇と指先を震わせて、唾さえ飛ばしそうな勢いで、目の前の男へと憎悪の目を向ける。
「自分の記憶力と運のなさをそんな風に言われては堪らないな」
クツクツと可笑しそうに笑みを溢し、男は隣に侍らせた妖艶な女性へと飲み物を要求する。
後方には部下らしき男が五人ほど控えていたが、そのうちの一人はジャレッドの「元親友」だ。
彼は、追い詰められたジャレッドへと悲痛な眼差しを向けていたが、そんな元親友の姿にジャレッド自身が気づくことはない。
「どうした?」
「シオン」
そこへ、ちょうど戻ってきたシオンから訝しげな瞳を向けられて、アリアは軽く状況を説明していた。
「…よくはわからないけれど、負けた方の男の人が、イカサマだ、って言い出して…」
「…なるほどな」
負けた方が「イカサマ」だと難癖をつけるなど、この業界ではよくありそうな状況だとシオンは納得したかのように肩を落とす。
けれど、本当にイカサマが行われていることを、アリアは知っている。
親友に裏切られ、事業を乗っ取られかけたジャレッドは、勝負に勝ったら返してやるという甘言に乗せられて、逆に全てを失いかけるのだ。
「これで、お前の事業も全財産もこちらのものだ。どうする?次は命でも賭けてみるか?」
最後のチャンスをやろうか?と、高圧的の態度で慈悲をかけてくる男へと、ジャレッドは憎々しげな瞳を向け、ぐ…っ、と考えるかのように唇と拳を握り締める。
そして、もはや失うものなどなにもない彼は、その挑発を受けて立つことになるのだが…。
「やってやろうじゃ…」
「どうせ捨てる覚悟の生命なら、私に賭けてみませんか?」
そこへ、ギルバートの助けが入るのだ。
「…なんだお前は」
「通りすがりの正義の味方です」
ギラギラと光った双眸はジャレッドの感情の高まりを現しているが、そんなことなどギルバートは気にすることなく、胡散臭い笑顔を貼り付ける。
「どうせ貴方では勝てない。ならば代わりに私にやらせて貰えませんか?」
表情は詐欺師のようににこやかだが、メガネの奥に称える目の光は強い意志を持っている。
ギルバートは、この時点でイカサマが行われていることに気づいている。それを暴くことでジャレッドを男の企み事から救い出すのだ。
「…なにを…」
「なんだ。お前が代わりに対戦するのか?」
突然の乱入者を信じられるはずもなく、疑念と戸惑いを露にするジャレッドの前で、男の瞳が面白そうに歪んだ。
「そうしたいと思うのですが、駄目でしょうか?」
「そんな道理、通るわけはないだろう」
ギルバートが伺うも、当然ながらそんな無茶な要望が通るはずもない。
男からしてみれば、ジャレッドの事業が確実な形で手に入った時点で、もはや勝負に乗る理由などないのだから。
だからギルバートは、男をなんとか勝負の場に引き出す為の餌を撒くのだが。
「…わかりました。でしたら私自身も賭けましょう」
それならどうです?
と、代打の勝負を承諾することの条件に自分の身を担保として差し出せば、男は年若く見目麗しいギルバートを前にして、悩むような仕草をみせる。
気づけば周りには野次馬ができており、この面白そうな勝負の行方がどうなるのかと興味深々な空気が漂い始めていた。
このまま続けろと、観客たちが事態を楽しんでいる雰囲気を感じ取り、この賭場の経営者でもある男は、ふむ…、とわざとらしく考え込む様子で、この場を囲む客層へと視線を廻らせる。
(それで、"主人公"が巻き込まれるのよね…)
観客たちの中に、少し異質な存在が紛れ込んでいることに気づいた男が、"主人公"に声をかけるのだ。
けれど。
(…え……?)
ゲーム通りの展開に、食い入るように二人の遣り取りを見ていたアリアは、ふいに自分へと向けられた視線に瞳を瞬かせる。
「どう思いますか?そこの可愛らしいお嬢さん?」
(……私!?)
本来はここで、"主人公"に指名が入るはず。
それが突然自身が巻き込まれる展開となり、アリアは驚愕に目を見張る。
「貴女もこのまま続けるべきだと思いますか?」
男の問いかけに、周りの視線がアリアへと集中する。
「こちらのお嬢さんは君の知り合いかな?だったら、彼女も賭け代に加えてくれ。それならば君の代打を認めよう」
先ほどギルバートとアリアが一緒にいたところを見ていたのだろうか。
面白そうに口元を歪めた男の"条件"に、さすがのギルバートもほんの一瞬だけ息を呑む。
これは元々、ギルバートに勝負を放棄させる為に男が出した無理難題だ。しかし、"ゲーム"の中で、この勝負がイカサマであることに気づいた"主人公"は、あっさりその条件を飲んでしまう。正義感、というわけでもないだろうが、潔癖な"主人公"は男の汚い手を許せなかった。特殊能力を持つ"主人公"は、自分自身でそのイカサマを暴こうとするのだ。
と、するならば、ここでアリアが取る行動は一つのみ。
「…アリア」
アリアの答えを察したシオンから、咎めるような声がかけられる。
一方、男と対峙したギルバートからは、「承諾してくれるよな?」という無言の視線が送られてくる。
「…わかりました。続けてください」
「アリアッ」
シオンから避難の声が上がるが、アリアのその決断に驚かされたのは、むしろ男の方だろう。
思ってもみなかったその展開に、男の瞳が大きく見開かれる。
「その代わり、交代有りの三回勝負にして貰ってもいいですか?」
私も、ただで自分自身を賭けられませんから。と更なる条件を付け足せば、すぐに冷静さを取り戻した男から、フッ、と愉しそうな笑みが溢れ落ちた。
つまりは、先に二勝した方の勝ち。
男の頭の中で、今、どんな企み事が展開しているのかアリアにはわからないが、それがどんな内容であれ、アリアは自分達に負けという言葉が存在しないことを知っている。
「いいだろう」
全ての条件を呑んだ男の言葉に、勝負とは無関係な野次馬たちから歓喜の声が湧く。
「それなら万が一彼が負けても、二勝してくれるでしょう?」
アリアはシオンの方へと振り向いて、にこりと明るい笑顔を浮かべてみせる。
元々三回勝負などという条件は、アリアが巻き込まれることにシオンを納得させるためだけに出したもの。
「お前は…」
その絶対的な信頼に、シオンが呆れたように肩を落としかけた時。
「なにを勝手に…っ!」
当事者であるはずの自分を完全に除け者にして進められる勝負事に、ジャレッドから抗議の声が上がる。
突然見知らぬ少年が自分達の事情に割って入ってきたかと思えばこの展開。憤るなという方が無理な話だろう。
だが。
「お前の為に自分自身を賭けてもいいと言ってくれているのに、張本人のお前が逃げるのか?」
「…く…っ」
まだ麗若き少年少女が二人も揃って、見知らぬ男の為に自分の身を賭けている。
その異常事態に、ジャレッドはただ唇を噛み締めるしか術がない。
なぜ彼らが、自分の為にそんなことをしているのか意味がわからなくて混乱する。
自分のために、まだ年若い彼らを巻き込むわけにはいかない。
そんな思いが胸に浮かぶが、もはや敗者の自分に口を挟む余地など与えられていなかった。
「で?勝負内容は?」
思いがけず出揃った上等な駒を前にして、男は「希望はあるか?」とギルバートへと問いかける。
「今と同じ神経衰弱で」
先ほどの勝負で確かにイカサマが使われていたことに気づいているギルバートは、不敵な笑みを浮かべて男に対峙する。
ここで一勝負を終えてから、ギルバートは男のイカサマを暴くのだ。
「では、彼女もどうぞこちらへ」
勝負の準備が始まる中、男から近くに来るよう促され、アリアはその背後にいるジャレッドの元親友の姿を目にして突然本来の目的を思い出す。
「ちょっとだけ待って…っ!」
くるりと背後へ振り返り、アリアはシャノンの手を取った。
「シャノンッ!お願いがあるの」
「…俺に?」
突然触れられ、その能力ゆえ他人との接触を嫌うシャノンは、アリアと距離を取ろうとしながらも、その真剣な瞳に、驚きと嫌悪の入り交じった複雑な表情を浮かばせる。
「正確には二人に、だけど」
アラスターへもチラリと視線を投げ、アリアは手にしたその手を離すまいと力を込める。
シャノンが離れたがっていることはわかるものの、ここでこの手を離すわけにはいかなかった。
ーーシャノンの持つ「精神感応能力」。
それは、触れて、強く語りかければ、声にしなくとも伝わるはず。
(囚われている子供を助けて…っ!)
シャノンの瞳を真っ直ぐ見据え、アリアは強く語りかける。
間も無くここには、"裏賭博"を摘発するための特殊部隊が乗り込んでくる。
恐らく先ほど席を外した際に、その辺りはシオンが上手くやっているはずだ。
リオに話を通してある以上、アリアたちが捕まることはないだろうが、アリアにとっては「捕まらなければいい」というものではない。
アリアがここへ来た目的は、ジャレッドとその元親友と。それから、人質にされた彼の娘を救い出すことなのだから。
元々"ゲーム"では、ギルバートが男たちのイカサマを暴いた後に、ジャレッドから事情を聞いた"主人公"がその裏に隠された"真実"に気づき、囚われた幼い子供を助けに行く、というものだった。
だが、"シナリオ"が変わってきてしまった以上、その順序を守っている余裕はない。
突入が先か、少女の救出が先が。
元親友が男たちと共に捕らえられてしまえば、もしその誤解が解けるとしても、それはずっと先のことになってしまう。
(そんなことはさせない…!)
それだけは避けなければならないと、アリアは強い光の籠った瞳をシャノンへ向ける。
シャノンであれば、特殊能力を使って少女が捕らえられている場所もわかるはず。
"ゲーム"通りであるならば、シャノンとアラスターだけの魔力と頭脳と腕力で、なんとかなるはずなのだ。
「…アンタ一体…っ!?」
アリアの「願い」を読み取って、シャノンの瞳が驚愕に大きく見開かれる。
「お願い。時間がないの」
わかるでしょう?と真摯な瞳を向ければ、シャノンは小さく息を呑む。
なぜ、隠しているはずの自分の特殊能力を、初対面であるはずの少女が知っているのか。
そんな驚きに満たされるのは当然だが、今は説明している時間も、そこまでの事情をシャノンへ読み取らせている余裕もない。
アリアだって、できれば自分が知っていることを隠しておきたかった。
だが、今は時間がない。
"言葉にせずとも伝わる"。
この場でこれ以上の最善策を思い付かなかった。
「…わかった」
「ありがとうっ」
きゅっ、と唇を引き締めて頷いて。アラスターに「行くぞ」と声をかければ、事態を把握できていないアラスターは戸惑うようにシャノンとアリアを交互に見遣る。けれど、最終的にはシャノンに引きずられるようにして野次馬たちの向こう側へと消えていった後ろ姿を見送って、アリアはギルバートと男たちの方へと向き直っていた。
「アリア?」
「…ちょっと"保険"を」
「"保険"?」
訝しげに向けられるシオンの視線に苦笑いを返してから、アリアは「行きましょ」とギルバートの元まで歩いていく。
「承諾してくれて感謝します」
恭しく頭を下げてみせるギルバートだが、そのメガネの奥は含み笑いを浮かべている。
「貴方の為じゃないわ」
彼の為よ。と、どうしてもギルバートに対して反抗的な態度を取ってしまうのは何故なのだろうか。
と。
「では、せっかくなので見学の皆様にも朗報を。この勝負、どちらがどのくらいのペアを作って勝つのか賭けましょうか」
いつの間にか注目の的となっていた勝負の行方に、貪欲な男はさらなる儲け話を求めてもう一つの賭け事を提供する。
「彼女も快く参加してくれたことですし、私が勝った暁には皆様を大満足させられるような余興をお約束致します!」
まるで宗教かなにかの扇動者のような男の語らいに、観客たちから歓喜の声が湧き、我先にともう一つの賭け事に参加の意志を示す人々たちが大いに盛り上がっていく。
男のその自信は、己のイカサマが見破られることなどないという絶対的な自信から来ているものに違いない。
「…負けたらアンタ、衆人環視の前でとんでもない目に合わされそうだけど?」
くつくつと愉しそうな笑みを溢し、ギルバートが周りの歓声に紛れるような小声でこっそりとアリアへと囁いてくる。
「巻き込んだのはそっちでしょっ」
「まぁ、そんな目には遭わせないから安心しろよ」
途端、くすっ、と笑って見つめてきたその瞳は絶対的な自信と色気が籠っていて、アリアは一瞬ドキリと胸が高鳴るのを感じていた。
今の彼はZEROではなくギルバート仕様だが、こうして時折覗かせる"本来の姿"は、とても心臓に悪い。
「心配なんてしてないわ」
ついつい顔を背けて照れ隠しに可愛くない態度を取ってしまうが、そんなアリアの言葉にギルバートは「ひゅ~」とからかうように口を鳴らす。
(そういう意味じゃないんだけど…)
ーー『万が一彼が負けても、二勝してくれるでしょう?』
恐らくは、アリアのシオンに対する絶対的な信頼を聞いていた上でのからかいなのだろうが、その前にアリアは、ギルバートが男のイカサマを見破ってしまうことを知っている。
だからなにも心配はしていないのだが、ここでシオンではなくギルバートを信じていると告げる必要もないだろう。
「では、始めましょうか」