一杯の紅茶をどうぞ。
正直、最近、シオンと二人きりになるのが恐い。
二人きりになって、キスをされないことは本当に稀だ。
しかも、今日は。
初めて、シオンがアリアの部屋に来ている。
全体的に木目調の、女の子らしいカントリー風の室内。
レースなどのひらひらしたものは好みではない為、全体的には落ち着いた雰囲気だが、それでもクッションやベッドカバーの一部にはワイルドストロベリーの刺繍が施されており、少女らしさを感じさせる。
白い暖炉と、自室でもお客様をおもてなしすることができる小さくてお洒落なキッチンセットはアリアのお気に入りだ。
そこで紅茶の準備をしながら、アリアはチラリとソファに腰かけるシオンへと視線を投げる。
基本的に何事にも興味を示さないはずのシオンは、それでも初めて通されたアリアの部屋を一通り観察しているようだった。
(お母様…っ!)
今まではずっと来客用のゲストルームに通していたというのに、「アリアちゃんの部屋でいいんじゃないの?」と無邪気に小首を傾げていた母親のにこやかな微笑みを思い出す。
温室育ちで純真無垢なあの母親は、娘が婚約者に手を出されかけているなどとは夢にも思わないだろう。
例の事件のことで他に聞かれては困る話があると言われてしまえば、二人きりにならざるを得ない。とはいえ、ここまでしっかりと二人きりになる必要は、もちろん、ない。
「バーン家の復興は上手くいきそう?」
シオンの前へと紅茶のカップとお茶菓子を差し出して、アリアは緊張感を悟られないよう、極力普通に微笑みかける。
アリアに事業の才能など皆無に等しい為、結局他人任せになってしまったことは本当に申し訳ないと思っている。
それでもシオンが大丈夫だと判断したからにはなにも問題はないのだろうと、なんの疑いもなく思える程度には、アリアはシオンのことを信用していた。
「あぁ」
「よかった」
アリアお気に入りのお洒落なティーカップへと手をかけながら肯定された頷きに、アリアはほっと息をつく。
"ゲーム"では、ジゼルを犠牲にした上で、なんとか虫の息程度に「男爵家」という地位を保ち続けてはいたものの、傾きかけていた家を立て直すに至るまでにはかなりの時間がかかりそうな雰囲気だった。
恐らくシオンの手にかかれば、バーン家がかつてのー、否、歴代最高の富を築くようになるのも時間の問題かと思えば、胸を満たすのは幸せにも似た喜びだった。
「…あちらに関してはまだ調査中の部分もあるが…」
ふいにシオンが眉を潜め、それが"他に聞かれては困る"内容なのだということを理解する。
"あちら"というのはアリアを拉致監禁した男たちのことだろうが、シオンは一貫してその名前すら口にしたくないようだった。
「どうやら裏賭博に関わっていた容疑も出てきて、重罪は免れないな」
(…え?)
"裏賭博"という単語を耳にした途端、アリアは自らもティーカップへと伸ばしかけていた指先をピクリと反応させる。
「裏賭博、って…」
「そのうち摘発されるだろう」
そう淡々と口にしてティーカップを傾けるシオンは、アリアの動揺には気づいていない。
一応、口外は厳禁だと低い声で付け足すシオンは、アリアが誰かに話すとも思っていないだろうが、その情報はアリアの脳内を目まぐるしく働かせ始めるには充分なものだった。
「…それって、カジノ街にあるお店の一つ?」
確認するかのように、アリアはおずおずとシオンへ伺うような視線を向ける。
この世界では、カジノは合法的なお遊びの一つとなっている。
認められた土地で、国から正式に許可を得た店のみが経営できるカジノは自然一つ所に集まる為、国内にはいくつかのカジノ街が存在していた。
そして、そこで起こる"イベント"は、"ゲーム"の中での最重要事項となっている。なにせ、本来であれば"ゲーム"が始まってすぐの最初の"イベント"で、"主人公"と"メインヒーロー"の三人が初めて顔を合わせる場面なのだから。
確かに、アリアの記憶の中でも、最初の"イベント"はこれくらいの時期だった。ただ、"ゲーム"の中で裏賭博の場が摘発されるなどという話はなかったはずだから、アリアがジゼル救出に動いたことで"シナリオ"にズレが生じていることは間違いない。
だとしたならば、すでに動き出しているであろうギルバートに知らせなければ、ZEROも巻き沿いで捕まってしまう恐れがある。
「お前はまたなにか…」
そんなアリアの様子になにかを察したのか、「話さなければ良かった」とすら感じ取れる空気を醸し出して難しい表情になったシオンへと、アリアは慌てて首を振る。
「ちっ、違うの…っ、そうじゃなくて…!」
なにか上手い言い訳は、と頭をフル回転させながら、アリアは上擦った声を上げる。
「ほらっ、私も16になったし、一度くらいは遊びに行ってみたいな、と思っていたから…っ」
この国の法律では、お酒も煙草も結婚も、そして合法賭博も16歳以上から。
アリアは九月生まれの為、すでに17歳になっている。ちなみにシオンは八月生まれで、アリアとシオンは実はアリアの方がほぼ一年先に生まれていた。
そして付け足すと、不思議なことに"成人"だけは20歳という設定だ。20歳を越えれば本人同士の意思のみで結婚できるが、それまでは親の同意が必要という法律だ。逆に言えば、家同士の政略結婚などの場合、本人たちの意思など無視して親が勝手に結婚させてしまうことが可能になる為、そのための法律なのかもしれなかった。
「…カジノに?お前が?」
興味があるのか?と意外だと言わんばかりの声色で訊ねられ、アリアはきょとんと小首を傾げてみせる。
「そんなに驚くこと?」
公爵令嬢のアリアならばそんな場所など近寄らないかもしれないが、"イベント"云々抜きにしても、今のアリアからしてみれば、実際一度くらいは遊んでみたいと思ってしまう。なぜなら、"彼女"が生活していた"日本"にはカジノ施設などなかったのだから、単純に興味がある。
「…行きたいのか?」
アリアの真意を探るかのように向けられる瞳は、完全にアリアのことを疑っている。
「…一度くらいは」
恐る恐る口にしたそれは本心に他ならないが、こんなことでシオンを誤魔化せるはずもない。
やはりギルバートに話せるだけのことは話して全て任せるべきだろうかとも考えて、やはり変わってしまった展開に、どうしても胸がざわつくのを抑えられない。
摘発の際、本当の悪人と共にギルバートが一緒に捕まってしまうようなことだけは避けなければならない。
ギルバートには闇魔法の空間転移という能力があるものの、それでもシオンの目を盗んでギルバートと共に行動することは可能かと考えて。
「…そういうことにしておいてやる」
仕方ない、と大きく落とされた肩に、アリアは「え?」と拍子抜けした声を洩らしていた。
「だったら明日行かないとな」
カップの中身を空にしたシオンがソファへと深々と身を沈ませながら口にした言葉に、アリアは瞳を瞬かせる。
「行くって?」
どこに?と、まさかすぐにでもカジノ街に足を運ぶつもりなのかと問いかければ、さすがシオンはアリアと違い、冷静に物事を考えているようだった。
「皇太子に話を通しておく」
「…え?」
皇太子、というのはもちろんリオのことだろう。
「下手に動いてオレたちが捕まるわけにはいかないだろう」
つまりそれは。以前妖しげな仮面パーティーに参加した時と同じように、"潜入調査"という形を取るということだろうか。
「…純粋に遊びに行くわけじゃなくて?」
一応確認の為にそう言えば、
「お前が大人しく遊んでいるだけならな」
全てお見通しだと言わんばかりの目を向けられて、アリアは言葉を詰まらせる。
"メインキャラ"の三人がその場に揃っていることの確認さえ取れれば後は任せてもいいかもしれないと考えていたのは、あくまで摘発される危険性がない状態でのことだ。
彼らを本当の意味で助けたいのならば、救出は急がなければならないだろう。救出と摘発と、どちらが早いか時間の問題だ。
「…お代わり、淹れるわね」
なんとなく泣きたい心地で微笑んで、アリアは気分を切り替えるかのように席を立つ。
言いたくなければ言わなくていいと。
誰にでも秘密の一つや二つあるのだからと、そう笑い飛ばしたユーリの顔を思い出す。
それでも、アリアの秘密は少し行きすぎていて、どうしてシオンはそれ以上を聞いてはこないのだろうと不思議に思ってしまう。
「遊びに行きたい」などというアリアの言い訳に表面上は納得したかのように見せているが、その言葉を本当に信じているわけではないだろう。…例え、「信じたい」と思ってはいても。
そう思えば、自信家に見えるシオンもアリアとの関係を大切にしたいと考えてくれているからだと気づいて、ほんのりとした暖かみが胸を満たす。
そうして自然と制服の下にひっそりと仕舞われている輝石を服の上から握り締め、アリアはふと思い出したくないことを思い出す。
シオンから貰ったペンダントと同様に、服の下に隠されたモノ。
初めてシオンに刻まれてからというもの、一度も消えたことのない"所有の印"は、すでに薄くなっている。
暖かな紅茶の香りが辺りに流れ、シオンと二人きりだという状況を再度思い出したアリアは、ティーポットを持つ指先が緊張で上手く動かないことを自覚する。
(なにを考えて…っ!)
そんな風に警戒するなどシオンに対して失礼だと思う気持ちがある一方で、どうしても不安は拭えない。
けれど。
「…アリア」
ふいに近距離で響いた低いその声に、アリアはびくりと肩を震わせる。
近づく気配に気づかなかったのは、シオンが音もなく近づいてきたためか、それともアリアが他に気を取られていたからか。
「……っ!」
直後、手の上へ滑るようにして掌を重ねられ、絡んできた指先にびくりと身体が震えた。
「そんな風に警戒されると期待に答えたくなるな」
「…っ!」
くすりと楽しそうに耳元で囁かれた低音に身がすくむ。
「…あ……っ」
そのまま手の甲から肩までシオンの綺麗な指先になぞられて、思わず甘い吐息が漏れた。
そうしてまた、アリアはしばらくは消えない"痕"を刻み付けられるのだった。
R18版は明日更新予定です。