二度目の文化祭 ~Love Phantom~
「去年とまた違って、すごく迫力ありましたねぇ~!」
リオとルイスと別れた後、去年に引き続き舞台が観たいというリリアンの誘いに乗って、アリアたちは今年も演劇部の劇を楽しんでいた。
「確かに、水流が押し寄せるシーンはすごかったな」
爆薬を水没させる場面は迫力があったと、ユーリもまたリリアンに同意する。
今年の演目は『オペラ座の怪人』。純粋な愛と悲恋とがテーマだった去年の『人魚姫』とは方向性が全く違う、狂気の愛と破滅の物語だ。
「私も二人の男性に奪い合いとかされてみたいですっ」
頬に両手を添えて夢見る乙女モードで吐息を洩らすリリアンのその台詞は、完全に語尾にハートマークがついている。
そしてそんなリリアンの隣を歩きながら、ルークが引き吊った乾いた笑みを浮かべているのが見てとれる。
「…かなり狂気の愛だった気がするけれど」
まさか今回のヒロインに憧れたりするのだろうかと思わず引き気味になってしまうアリアだったが、そんなアリアの反応など軽く無視して、リリアンはジゼルの方へと振り返る。
「ジゼル様はどう思います?」
「…私は穏やかな愛を育めればと思いますけど、一途な愛は素敵だと思います」
波風立てることのないようにリリアンの発言をフォローして、ジゼルは少しだけ恥じらうような表情でチラリと後方を歩く想い人へと視線を投げる。
物静かな性格をしているジゼルには、執事見習いのカーティスと育む穏やかな恋愛の方が合っている。
「一途な愛っ。いいですよねっ」
「……あれは激しすぎると思うけれど」
相変わらずハートマークを浮かべながら興奮した様子で熱く語るリリアンへと、アリアは独り言のような呟きを洩らす。
「えー。アリア様だって、あれくらい激しく愛されてみたいっ、とか思いません?」
「……リリアン様…」
傍に婚約者がいる状態で、一体どう返事を返せというのだろうと、アリアは複雑そうな表情になる。
キラキラと瞳を輝かせるリリアンは、夢心地の様子でなにかを想像しているようだった。
「…女の子は意外とあぁいうのが好きなのか?」
理解に苦しむ、という様子でひっそりとかけられたセオドアの問いかけに、アリアは困ったように微笑する。
「…さすがに極端だと思うけれど」
今回の創作の中の狂気の愛が、リリアンの琴線のどこに触れたのだろうと、アリアも首を捻ってしまう。
どんなに愛していたとしても、心のない結婚の先に待つものは虚しさだけのように思う。
けれど、そんなアリアの心配を余所に、リリアンの心に刺さったものは、どうやらそこではなかったらしい。
「『誰にも渡さない』とか、ちょっとした独占欲とかドキドキしちゃいますっ」
ねっ?ジゼル様?と、同意を求めるリリアンは、ストーリーそのものではなく、切り取られた一部分だけがお気に召したようだった。
「物語の中だけですよ、そんなこと言って下さる男性は」
一方で、苦笑いにも近い微笑みで眉根を下げるジゼルは、リリアンのその問いかけを否定したというよりも、自分も言って欲しいかもしれない、という仄かな期待の空気が滲み出ていた。
「『オレだけのもの』とかどうですか?」
「言われてみたい気はしますけどね」
劇中の、本当に一部分だけを切り取って窺ってくるリリアンに、ジゼルは少しだけ困った様子を見せながらも同意する。
完全にリリアンに主導権を握られた乙女トークに、周りの男性陣からはちょっと引き気味な雰囲気が醸し出されていた。
ーー『お前は、オレのものだ』
ーー『誰にも、渡さない』
「……っ……」
不意に頭の中へと甦った低い囁きに、アリアはその記憶を振り切るように首を振る。
一気に顔へと熱が籠ったことを自覚して、アリアはその顔を誰にも悟られないようにそっと視線を外していた。
「…そういうの、重くはないんですか?」
そこへ、おずおずとしながらも、シリルが勇気ある質問を投げかける。
「好きな人からなら全然いいです!」
「…そういうものですか?」
ぐっ、と拳を握るような勢いで肯定してくるリリアンへと、シリルは再度確認するかのように少しだけ驚きに見張った目を向ける。
「シリル様も、奪い取るくらいの愛でないと!」
「…そういうのはちょっと無理かと…」
なぜかチラッとアリアとシオンの方へと視線を向け、シリルは乾いた笑みでその奪略愛を否定する。
(もう止めて…っ!)
次から次へと投げ込まれるリリアンの発言に、思わず泣きたくなってしまう。
さっきから爆弾を投下し続けるのは、本当に止めて欲しい。
身に覚えがありすぎるほどにありすぎて、シオンへと顔が向けられない。
と。
「…オレはちょっと"誰か"に通じるものを垣間見た気がして背筋が震えたけどな」
ぼそっ、と独り言のように洩らされたユーリの呟きに、アリアは思わず顔を上げる。
「え?」
「…なんでもない」
はぁ~、と大きな溜め息を吐き出して、ユーリはアリアから目を反らす。
舞台の演出云々は置いておくとして、その中身の激しい愛憎劇は、なんとなく他人事とも思えずに、ユーリに思わず乾いた笑みを溢させていた。
「ギルバート様はどうですか?」
くるっ、と可愛らしく振り向いて、リリアンは今日知り合ったばかりのギルバートの見解も聞いてみたいとその顔を覗き込む。
するとギルバートは自分へと移ったリリアンの興味に少しだけ驚いたような顔をして、それからくすりという意味ありげな苦笑を溢していた。
「…まぁ、一つ言えるとすれば、一度奪ったものを取り返されるような真似は、間抜けとしか言えませんけど」
全く共感できないと物語の構成を切って捨てるギルバートは、仄かに挑発的な雰囲気を醸し出す。
("ZERO"が出ちゃってるから…!)
そんなギルバートの様子にむしろアリアの方が心の中で突っ込みを入れてしまい、焦りから背中へと冷たい汗が流れてしまう。
「そもそも奪われる方も間抜けだろう」
対し、なぜかそれに対抗するかのように「自分なら奪わせない」とでも言いたげなシオンの低い感想が放たれて、アリアは益々どうしていいのかわからなくなってくる。
宝玉を狙う立場と、守る立場。
まだなにも起こっていないはずなのに、なんとなくすでに牽制し合っているような気がするのはアリアの気のせいではないはずだ。
「……奪われる前に、首に鈴つけてるヤツがなに言ってんだよ」
「ユーリ?」
ぼそりと呟かれた小さな突っ込みはアリアの耳にまでしっかり届かず、アリアは「なにか言った?」と瞳を瞬かせる。
「…なんでもない」
その制服の下で輝いているであろうペンダント。
それは明らかにシオンの独占欲の塊から出来たもので、知らずしっかりと縛られているアリアへと、ユーリはこっそり溜め息を吐き出していた。
*****
校内を見て周りながら、一瞬みんながバラけた隙を見計らい、アリアはひっそりとギルバートへと顔を寄せる。
「どうしてそんなに敵意剥き出しなのよっ」
社交的で温厚なキャラを装っているはずの"子爵・ギルバート"はどうしたのかと、先ほどのシオンとの遣り取りを思い出し、アリアは咎めるような声を上げる。
とにかくシオンの観察眼は油断ならない。こんなことで正体がバレたら一体どうするというのだろう。
「なんとなく気に入らないんだ、あの男」
けれど、心配するアリアを余所に、ギルバートは眉を潜めて少し離れたシオンの後ろ姿へ視線を投げる。
それはもう、理性だとか今後のことを考えろなどということは関係なく、もはや本能からのものに近かった。
「"なんとなく"、で水の泡にしないのっ」
普段大人びた雰囲気を見せているギルバートの、なんとも言えない子供じみた感情に、アリアは焦ったように声を上げる。
基本的に、シオンは同性からとても好かれる性格をしていない。だからといって、わざわざ敵対心を露にする必要はどこにもないだろう。
「…ふ~ん?」
「…なによ」
なぜかまじまじと顔を覗き込まれ、アリアは少しだけ戸惑いの表情を浮かばせる。
「アンタはオレの味方なんだ?」
「っ!」
婚約者じゃなくて。と、ニヤリと意地の悪い笑みを向けられて、アリアは一瞬息を呑む。
「…そういうわけじゃ……」
その言い方はズルイと思う。
アリアは別に、シオンの敵に回るつもりはない。
ただ、"ZERO"に協力することは、"ゲーム設定"という"運命"において必要不可欠なものだと思うから。
「スリルがあっていいな、こういうの」
くつくつと喉を鳴らして楽しそうに笑うギルバートに、アリアはジロリという目を向ける。
「なにがよ」
「婚約者に秘密で内緒話してんの」
「突き出すわよっ」
ギルバートはどうだか知らないが、そんな背徳感は味わいたくないと、ニヤリと口の端を引き上げたギルバートの顔を、アリアは上目遣いで睨み上げていた。
"ゲーム"の"ストーリー"だからと、軽くしか捉えていなかったその考えが。
本来"主人公"が抱えるはずだった葛藤が。
近い未来、二人の狭間で苦しむことになることを、この時のアリアは想像もしていなかった。