act.7-6 Maiden's Prayer
白い文様の入った赤褐色の絨毯。冬には火が灯されるのであろう、アンティーク調の黒い暖炉。全体的に木目調の広い応接間で、シオンはまるで自身がこの家の主であるかのような堂々たる態度で中央のソファへと腰かけていた。
「さて…」
しばしの沈黙の後、ゆっくりと口を開いたシオンへと、その前で恐怖の色さえ滲ませながら身を縮めている男ー、今回のパーティーの主催者である男爵、ロペスは、びくりと肩を震わせた。
シオンの隣には完全に正気を取り戻したアリアが座り、その斜め左右には、それぞれバーン兄妹とカーティス、そして恐らくは不本意ながらもギルバートもこの場に同席していた。
「…お前はどうしたい?」
アリアの肩を抱き、意味ありげにその指先でリズムをつけながら不敵に笑うシオンへと、アリアも内心びくりと指先を震わせる。
誰からの反論も受け入れる空気を持たないその態度は、まるで独裁者のソレのようで。
だが、本物の王族がすぐ近くにいるために忘れがちだが、本来公爵家はそれほどまでの権力を有している。
「アクア家の令嬢であり、将来のウェントゥス家当主の妻であるお前を拉致監禁したなど、それだけで縛り首にするには充分な理由になるな。人違いなどとは言い訳にもならない」
ロペスの後方で、無造作に転がされている男たちは猿轡で口を塞がれた上に縄でぐるぐる巻きに縛られている。
その全員が、シオンの刺すような冷たい視線を受けて、カタカタと恐怖で身を震わせていた。
「調べれば余罪も山ほど出てきそうだしな」
くっ、と口の端を引き上げて、シオンは男たちの悪事など全てお見通しだと言わんばかりの冷たい目を向ける。
「そっちはどうせ金に目が眩んだんだろう」
そっち、と言うのはこの館の主であるロペスに他ならないが、もはや名前すら口にしたくないらしいシオンは、顎だけで目の前の男を指し示す。
「…申し訳ございません……っ!」
どうか…っ、どうか…っ、と、アリアがここに来てから一度も顔を上げることなくひれ伏し続けている男は、カタカタと肩を震わせながら必死に許しを乞うている。
この館の主であり、今回の催し物の主催者であるロペスは、男に大金を掴まされて離れを提供しただけだ。とはいえ、その結果起きる悲劇を思えば、とても許せるものではないのだけれど。
「…シオン……」
アリアとてロペスの無罪を求める気はないが、それでも一刀両断にお家取り潰しくらいのことはしてしまいそうなシオンへと、困ったような表現を向ける。
「お前は自分の価値を低く評価しすぎだ。今やお前は現王妃と同等以上の発言力があることを忘れるな」
「!そんなこと…っ」
あるわけがない、とは本気で思うのだが、今まで自分がやらかしてきたことを思うと強く否定することもできない。現王妃と同等、というのは言い過ぎでも、現皇太子であるリオを動かすことくらいは可能だろう。
「…あっちは…、絞首刑か斬首刑か…。まぁ、もう二度と日の目を見られないことだけは確実だな」
床に転がされた男たちを一瞥して冷めた声色で呟くシオンへと、男たちから「ひぃっ!」というくぐもった恐怖の声が上がる。
男たちの懇願など気にも留めないシオンは、その間ずっとアリアの肩や首、髪などに触れてきて、今までにないそのスキンシップに、アリアは心中どぎまぎしてしまう。
正気に返り、自分の犯したあまりの痴態ぶりに一通り身悶えて猛省もしたけれど、こんな風にあまり触れられると思い出してしまいそうで本当に止めて欲しい。とはいえ、この状況でそれを口にすることもできなくて、アリアはご主人様に撫でられる猫のようにそれを受け入れるしか術がない。
そして、そんなシオンの婚約者に対する接し方に、この場にいる誰もが噂通りの…、否、それ以上の溺愛ぶりを見せつけられて、噂は本当だったのだと納得してしまう。
だからこそ、シリルなどはシオンのアリアに対する溺愛ぶりに戦々恐々としてしまう。
己の妹とアリアとの人間違え。もし被害に遭ったのがジゼルであれば未遂などでは終わらなかったと安堵する一方で、シオンのその怒りの矛先が自分たちに向いたらどうなってしまうのかと思えば恐怖でしかない。
「…本当に…っ、申し訳ございませんでした…っ!」
「…シリル様っ?」
今にも直接床へと伏して土下座でもしそうな勢いで頭を下げるシリルへと、アリアは驚いたように目を見張る。
「元々は我が家の問題ですっ。それを、人違いとはいえ、アクア家のご令嬢を巻き込むなどと…っ」
どうか、お許しください…っ!と懇願するシリルの姿に、アリアは思わず動揺してしまう。
元はと言えばアリアが首を突っ込む気満々で警戒が足りなかったことが問題なのだから。
「そんな…、顔を上げてください…」
「申し訳ありません…っ」
そんなバーン家の正統な後継者の姿に、ジゼルとカーティスもまたその後に続いて深々と頭を下げる。
「…ジゼル…」
完全にテーブルへと額が付いてしまうのではないかという謝罪の中、ジゼルの頭で光る装飾品が目に入り、アリアは視線を留めていた。
「…そのバレッタ」
頭を下げたままのジゼルの肩がぴくりと動き、アリアはなんとも言えない微笑を溢しながら、チラリ、とジゼルの隣に座るカーティスの方へと視線を投げる。
「…彼から貰ったの?」
真実を知るアリアにとって、それは質問というよりも確認でしかない。
「……はい……」
震えるように返された肯定に。
アリアは優しい微笑みを浮かべながら、ゆっくりと三人を見渡した。
「…もし、私に対して本当に申し訳ないと思うなら、一つ、いいかしら?」
その瞬間、びくりと三人の肩が震えたのにはもはや苦笑いをするしかない。
本来公爵家は下流貴族にとって、それほど畏れ多い存在だ。
「なんなりと…っ」
ぐっ、と拳を作って覚悟を決めた様子を見せるカーティスへと、再度静かな微笑みを浮かべながら、アリアはゆっくりと口を開く。
「二人で、絶対に幸せになる、って約束して」
「…え……?」
「もう二度と、互いの手を離さないで」
驚いたように顔を上げたジゼルの目と目が合って、アリアは祈るように囁きかける。
"ゲーム"では果たされることのなかった二人の幸せな未来。
こうして守ることができたのならば、なにがあっても幸せになって貰わなければアリアが困る。
なんのために、"シナリオ"を無視して自分が動いたのか。
「…アリア様…」
「せっかくお友達になれたのだもの。友人の恋は応援したいわ」
みるみると大きな瞳に涙を浮かばせるジゼルに微笑みかけて、アリアは「ね?」とシオンの方へと伺いかける。
と、シオンは相変わらずのアリアの思考に大きな吐息を吐き出して、
「…全く、お前は……」
呆れたように空を仰いでいた。
「…それで?お前はバーン家の建て直しを望むのか?」
自分に危害を加えた人間を罰するよりも、目の前の弱い立場の者を助けようとするアリアの姿に、シオンは一応の確認をこめて問いかける。
アリアの望みが悪人の処罰などではなく、彼らの救済であることなど始めからわかっている。
「…できる?」
相変わらず首の辺りへと撫でるように触れてくるシオンの指先に、なんだか本当に猫になったような気分だと思いながら、アリアは期待の目を向ける。
完全に傾いている家の存続など、アリアにできるはずもない。
けれど、シオンならばきっと可能なのだろうなと思えば、素直に頼りたいと思う。
「…まぁ、幸い、あっちは全財産没収は確実だからな。今までの被害者に分配金を出すとして、頭金くらいにはなるだろう」
「シオンッ」
あっち、というのは床に転がされた男の家のことだろう。
小さく嘆息しながら冷静な判断を下すシオンへと思わず抱きつきたい気持ちになるのを抑えながら、アリアは「よかったわね」の意を込めてジゼルを見遣る。
「そんなこと…っ」
と、驚愕に目を見張ったシリルが信じられないことを聞いたとばかりにその瞳を揺らし、シオンとアリアを見つめて言葉を失っていた。
「バーン家の農業技術にはそれなりの価値がある。今からでも建て直しは可能だろう」
さすがの情報力でバーン家の得意分野を知っているらしいシオンは、確かな分析力でそう判断すると「ただし」とシリルの顔を見据える。
「今後はウェントゥス家の傘下に入り、指示に従って貰う」
「シオン…」
莫大な借金を抱える家を立て直すにはそれなりにリスクも伴う。だからこそ、シオンのその言い分は尤もなことだが、それはウェントゥス家に従属しろという意味なのかと、アリアは思わず咎めるような声を上げてしまう。
だが。
「ありがとうございます…!」
むしろ喜んで従うという意を見せてくるシリルへと、アリアは目を丸くする。
「今はまだとてもお役に立てるような家ではありませんが、将来、必ずお役に立ってみせると約束します…っ!」
嬉々とした表情でそう宣言し、シリルはバーン家の将来の当主としての決定を口にする。
「バーン家は、ウェントゥス家に恒久の従属を誓います…っ!」
傾いた家の立て直しに協力の意を示してくれたシオンに対してはもちろんのこと、なによりも、大切な妹を助けてくれた少女へと最大限の敬意を示して。
身分違いだと、将来的に引き離されるであろう妹と親友を前にして、自分はなにもできなかった。
けれど、目の前のこの少女は。
その手を、決して離すなと言ったから。
この少女が将来ウェントゥス家当主の妻になるというのなら、喜んで自分の全てを捧げようと思えた。
「…え…?」
あまりの展開にぱちぱちと瞳を瞬かせるアリアへと、シオンは再度肩を落とす。
「満足か?」
「シオン……」
アリアの望みをわかっていて。それを確実に叶えてくれようとするシオンの優しさに胸へと感動の熱が込み上げる。
やはり"1のゲーム"の"メインヒーロー"は、「ヒーロー」なのだと実感させられる。
ありがとう、と笑顔を向けて。けれどシオンはなぜかそれを否定した。
「礼はいらない」
ただ…、と。
シオンはアリアの口元へと手を伸ばすと、綺麗な人差し指の先でその唇に触れ、次には親指で意味ありげにその形を辿ってくる。
「お前が態度で示してくれればいい」
それは、つまり。
「……え……?」
この場で、キスをしろと。
そういう意味であることを悟って、アリアは瞬時に頬を赤らめる。
(…こんな…っ、みんなのいる場所で…!?)
しかも、いつもは受け身のアリアの方から、だ。
そんな二人の遣り取りに、気づけば気を遣ってくれたらしい面々が後ろを向いており、アリアはさらに窮地に立たされる。
ジゼルの耳が赤く染まっているのも見えてしまい、恥ずかしくて堪らない。
しかも。
(ギルバート…ッ!)
今までずっと存在感を消していたギルバートが、気を効かせたふりをしながら顔を背ける一瞬に、ニヤリと意地の悪い笑みを口元に刻んだことにも気づいてしまえば、今すぐにでもその正体を暴露してやろうかとも思ってしまう。
(…嘘でしょ…っ!?)
媚薬のせいとはいえ、さっき散々したというのに。
向こう何ヵ月分もしたと思えるのに、シオンは譲る気はないらしい。
こうしてアリアを確実に追い込んで慣らさせて。そうやって陥落していくつもりなのかと思うと恥ずかしくて泣きたくなってしまう。
「アリア」
せっかく周りが気を遣ってくれているというのに早くしろと。そう促してくるシオンへと覚悟を決めて向き直る。
幅の広い肩に手を置いて。少しだけ腰を浮かせると目を閉じて自分の唇をシオンのソレへと近づける。
「……ん……」
本当に触れるだけの口づけは、アリアからの初めてのキスだった。
頭の中でゆっくりと10を数え、アリアはそっと唇を離していく。
けれど、自分を見つめてくるその瞳が。それでは不合格だと明らかなやり直しを求めていて。
アリアは赤くなった顔を益々色濃く染め上げながら、もう一度唇を近づける。
シオンのソレに唇を重ねて。
シオンは、自分からは動かない。
ただ重ねるだけのものでは駄目らしいと気づいて、アリアはおずおずと自分から口を開いてシオンの中へと舌を入れて絡めてみる。
「……ん…っ」
熱に浮かされていた時とは打って変わって稚拙なそれ。
(…これじゃダメ?)
もうこれで許して欲しいと朱色に染まった表情でシオンの顔を覗き込めば、シオンはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべていた。
「まぁ、今日のところはこれで許してやるか」
ペロリと自らの唇を舐め取ったシオンの仕草に思わずドキリと胸を高鳴らせてしまい、アリアはあまりにもうるさい心臓の音に耳を塞ぎたくなっていた。
そうして、帰り際。
ーー『今夜、会いにいく』
シオンに悟られないよう、ひっそりと囁かれたギルバートのその言葉に、アリアはまだ決まらない己の行動に迷いを見せていた。
昨日、100話突破記念で活動報告にSSを書かせて頂きました。
ご興味のある方は覗いて下さいますと嬉しいです。
(本日付けで悩み事(?)も追伸で追加しております)
ブックマーク、評価、感想、いつも活力を頂いております。
ありがとうございます。