未来(あす)への扉を叩け ~ルーク・シアーズ~
それから約三週間後。
訪問の約束を取り付けたという連絡を受け、アリアは迎えに来たウェントゥス家の馬車に乗り込み、ソルム家へと向かっていた。
(シオンて本当に有能よね……)
こんなに早く実現するなど、仕事が早いにもほどがある。
訪問の伺いを立て、返事を待ち、予定を調整する時間を考えれば最短と言っていい。
アリアは自分を迎えに来てからずっと、片肘をついて窓の外を眺めながら一言も発する様子を見せないシオンへと尊敬の眼差しを向けていた。
シオンの性格上無理に会話を繋げようと思うこともないし、不思議と沈黙を不快に思うこともない。
公爵家は王宮を囲むように五角形を成して建てられている為、それぞれの家はそれほど遠くはない。
窓の外。初夏の日差しの眩しさに目を細め、アリアもまた口を閉ざしていた。
この世界の学校は西洋と同じ9月始まりだ。
けれど、やはり入学・卒業イベントは桜の季節が良かったのか、12月が夏で8月が冬という南半球設定になっている。とはいえ、そこまで寒暖差が激しいというわけではなく、冬でも天気のいい昼間は暖房までは必要ないし、雪も数年に一度程度で滅多に降ることはない。恐らくクリスマスの概念もない為、ホワイトクリスマス的な必須イベントは残念ながら存在していなかった。
この世界は精霊や神を信仰している。どちらかというと八百万の神、神道に近いものではないかと思う。
恐らく、ゲーム中に登場してはいないが、実際に精霊や神といった存在は実在しているのだろうというのがアリアの見解だ。
この世界の魔法は、目に見えずともすぐ傍に在る精霊に力を借りて力を行使しているという設定だ。
「……バスとかはないのよね……」
道で行き交う人々と、そこにある幸福そうな笑顔を眺めながら、アリアはふと小さな呟きを漏らす。
西洋風のこの世界では、残念ながら日本食にお目にかかったことはないが、食文化をはじめとする生活基準はほぼ現代と同じ水準だ。
科学という概念はないように思うが、それを魔法でカバーしている。
中世ヨーロッパ風の街並みでありながら高いその生活基準は、ゲーム製作者の好みによるところだろう。
だが、キッチンやお風呂、通信に上下水道整備などは魔法で代えられても、唯一交通手段だけは車に代わるものがない。
風属性の高等魔法を扱うことができれば空を飛ぶことも可能だが、それは本当に一握りの人間に限られているもので、馬車を使う貴族に対し、庶民は徒歩が主な交通手段だった。
(そういえば、シオンが空を翔けるイベントもあったっけ……)
ふと思い、斜め前に座るシオンの方へと顔を向けると、いつからこちらを見ていたのか、じっ、と探るような瞳をしたシオンと目が合った。
「バス……?」
「!」
独り言のつもりだったが、しっかり聞かれていたらしい。
本当に、意外にも律儀な性格をしているらしいシオンに、アリアはまぁいいかと口を開く。
「市民が使えるような公共交通機関がないのね、と思って」
物流の為の大荷物を運ぶような荷馬車はあったはずだ。それを応用して現代で言う巡回バスのようなものがあってもいいのではないかと感想を洩らすアリアに、シオンの瞳がみるみると見開かれていく。
「……」
無言になり、なにかを思案するように再び逸らされた視線。
「……?」
それを特に気にするでもなく、アリアはまた窓の外を眺めていた。
*****
まさに中世ヨーロッパ貴族のような大きな屋敷。
馬車ごと門をくぐって玄関前に降り立つと、ものの数秒もしないうちに中からこちらへ駆けてくる気配があった。
「シオン先輩……!」
燃えるような赤い髪。
人懐こそうな煌めく瞳は、まるで尻尾を振ってやってくる大型犬を思わせる。
――ルーク・シアーズ。
言わずと知れたメインキャラクターの一人だ。
「休みのところを悪かった」
「いえ、とんでもないっす……!」
シオンは相変わらず淡々としているが、ルークはそれを気に留める様子もない。
(……意外と慕われてたりする……?)
良い言い方をすれば人懐こい、悪い言い方をすれば相手のことなどお構い無し、の根っからの明るい性格だからかもしれないが、少なくともルークからはシオンから一歩引くような様子は見られない。
(素直で熱血な年下キャラだものね……)
くすりと心の中で笑みを溢し、アリアは"ゲーム"を思い出す。
女装した主人公に一目惚れしたルークは、男だと知ってショックを受けるものの、その性格を知って益々惹かれていってしまう。
(主人公に恐る恐る手を出す年下攻めが萌えなの……っ!)
また、熱を計る時などのお約束、おでこをこつん、と合わせるなどいった主人公の行為が無意識にルークを煽るなどして、それに慌てるルークの姿がとても可愛いとファンの間では評判だった。
「どうぞこちらへ」
と、自分がそんな評価を受けているなどとは思いもしないルークに促され、屋敷とは別の場所へと移動しながら、ルークはニカッと太陽のような笑顔を浮かべてみせる。
「シオン先輩。そちらが?」
シオンとアリアの婚約は公爵家には大々的に周知されている上、今日一緒に来ることも連絡済みだ。
「突然ごめんなさい。アリア・フルールと申します」
「お会いできて光栄っす!ルーク・シアーズです!」
移動の足は止めないまま申し訳なさげに挨拶すると、ルークは「とんでもないっ」と手を否定の意味でぶんぶん元気よく横へと振っていた。
「シオン先輩、こんなに可愛らしい方と婚約なんて羨ましいっスね」
また敵が増えますね、とさりげなく付け加えられた「また」とは一体なんのことだろうか。
(……まぁ、どちらかと言えば敵は多そうなタイプだけど……)
嫉妬かやっかみか。
大抵の女性がシオンのことを好きな一方で、同性からはとても好かれる性格ではないだろう。
「こっちです」
そうして連れて来られたのは、温室を思わせるガラス張りの広い離れ。
アリアの家にも母親お気に入りの室内庭園が季節の花々を咲かせているが、こちらはどちらかというと現代世界のビニールハウスのイチゴ狩りを思わせる簡素な室内だった。
「ここは研究施設なので、研究に必要な最低限の薬草しか育ててないんスけど」
奥の部屋へと通されながら、隣接されたもう一つの部屋を覗き込むと、そちらは流れる清水の中でたくさんの草花が揺れていた。
必要最低限とは言いながら、相当の種類と数が見て取れる。
それから研究室らしきところまで歩を進めると、すでに待機していた侍女たちがティーセットを用意しているところだった。
休日の為か他に誰もいない部屋の中を芳しい紅茶の香りが満たし、一礼した侍女たちが外へと下がっていく。
それを見送り、アリアたちへと席に座るよう促して一息つくと、ルークはその表情を真面目なものへと変えていた。
「それで、なにが知りたいんでしたっけ?」
カップをソーサーの上に戻し、向けられる真摯な瞳。
なに、と改めて問われるとどうしていいのかわからなくなってしまい、アリアは思わず口ごもる。
今回の約束を取り付けるに当たって一通り話は通して置いたとシオンから聞いてはいたが、それはどこまでのことだろうか。
そうして押し掛けておきながら黙り込んでしまったアリアになにを思ったのか、ルークは特に気分を害した様子もなく口を開く。
「アリア様もすでに知っていることだと思いますが、市民のほとんどは病気や怪我をすると病院に行きますよね」
アリアがしたい質問をしたいようにできるように気を遣ってくれているのだろう。
ルークは医学界の基礎知識をすらすらと口にする。
平民の中でも富豪と呼ばれる家や貴族には通常お抱えの医師というものがいて、なにかあればその医師が自宅を訪問して診察する。
「怪我であれば治癒魔法をかけて貰い、病気であればその原因を調べて治療薬を処方します」
そしてここでポイントなのは、この世界に「手術」はないということだ。即死ほどの怪我は別として、術士の能力次第である程度の差違はあるものの、怪我は部位が消滅するようなことがない限り、例え切断されても魔法で縫合して治すことができる。最高位の光魔法であれば、命さえあれば四肢を失ってもそれを復活させることも可能だという。
一方病気は、魔方陣で組み上げられた、現代で言うところのMRIのようなもので全身を診察され、原因を探る。あらゆるデータからこれであろうという病気を医師が判断し、それに効く薬を処方するという流れになっている。もちろん未知の病はあるし、薬で全ての病が治るわけでもない。万能薬など存在しない。その辺りの設定は現代と同じでよくできている。
「その薬ですが、聖水と呼ばれる特殊な液体に、数種類の薬草を配合して魔法で溶かし込むことによって精製します」
俗にポーションと呼ばれる、掌サイズの小さなガラス瓶に入った何通りもの薬を最先端で研究開発しているのが、地属性の公爵家だった。
病を診断して処方箋を出すのは現代と一緒。そして薬屋にいる薬剤師が医者のその処方箋を見てから完全受注生産で薬の中身を魔法で組み上げるのだ。薬草は乾燥させたものを使う為、大量の種類の薬草が常備されるようになってはいるが、希少なものであればなかったりすることもある。精製に高等技術が必要な場合はそこら辺の薬剤師では手に負えない場合もある。複雑な精製方法を取る薬や高い技術が必要になるものならばかなりの高値となり、最終的には薬を手に入れることができずに安価な薬でとりあえずの処置をして諦めてしまう庶民も多い。
その辺りが現代医療でいうところの手術と医者と先進医療のようなものだと思えば、そこにアリアが物申すことはできないだろう。
「……二十日病の薬とかって、精製可能なのかしら……?」
「セーレーン病ですよね。精製自体はかなり難しくはありますが、不可能ではありません」
ここにきてやっと話を切り出したアリアに経緯や理由を問うこともなく、真面目な顔でルークは続ける。
が。
「ですが……」
そこで言いにくそうに洩らされた苦笑に、アリアはその先の言葉が決して明るいものではないことを察してごくりと唾を飲んでいた。
「それに必要な薬草がかなり希少で、この国ではまず手に入らないんです」
海を越えた向こうの国から輸入するしか術はないのだとルークは語る。だがその薬草は二十日病以外に使うことのないもので、何十年か昔に、偶然、発見・精製されたものだという。病が大流行した原因の一つはここにある。
「ここの研究施設にも研究のために数株は置いてありますが、栽培も難しく、株数を増やせていませんし、輸入品なので値も張ります」
二十日病以外に今のところ役立つ情報がないので、増殖させる研究も後回しにされているというのが現状だ。育成自体の研究から入らないとならないとなれば、手間暇を考えてとりあえず輸入でという見解になってしまうのも仕方のないことかもしれない。
「この国にない薬草……」
「はい」
けれど、顔を曇らせたアリアの反面、ルークは意味深な目をちらりとシオンへと向ける。
「かなり貴重な輸入品です。手に入れるのはかなり難しいとは思いますが…」
ルークの話を聞いてはいるのだろうが、伏せた目を上げることのないままカップを傾けているシオンの姿が目に入る。
「その気になれば輸入可能な人がいることは知ってます」
「えっ……」
明らかにシオンへと向けられた悪戯そうなルークの瞳。
それに深い溜め息を吐き出して、シオンは不服気に口を開いていた。
「定期的にある程度の数の薬草を確保できたとして……、それでどうする気だ」
精製はかなり難しいんだろう?と至極尤もな問題を返されて、ルークはその点に関しては「まぁ、そうなんスけどね」と肩を竦めて見せる。
流行り病となればかなりの数が必要となる上に、薬草自体を用意できたとしても、作り手がほとんどいなければ意味がない。
そう指摘するシオンの見解に、けれどアリアはふと小首を傾げていた。
「薬て、作り置きできないの?」
限りある薬草を無駄にしない為に注文を受けてからの完全受注の形を取っているのかもしれないが、あちらの世界の知識を持つアリアからすれば、それは逆に非効率のようにも思う。
「え……?」
思わぬ反論が返ってきたことに驚いた様子で見開かれるルークの瞳。
医学のことはよくわからないけれど、処方箋がないと薬を作ってはいけないという法律でもあるのだろうか。薬剤師常駐の薬屋はあるかもしれないが、俗に言う市販薬のようなものを一般的なお店などで売っている様子はない。
「消費期限的なものの関係……?」
「!」
「!」
独り不思議そうに考え込むアリアの姿に、二人は驚愕の眼差しを向ける。
「……いや……、もちろん効能は時間と共に薄れはするけど、そんなにすぐ消えてしまうものじゃ……」
いろいろと検証は必要だが、今までの経験から短くて3ヶ月、長ければ2年ほどの猶予はあるかもしれないとルークは考える。
「それならば、ある程度の数を作って保存しておくことは可能なの?」
「……それは……」
だったら、と単純に考えるアリアの一方、それに関わる必要経費などを考慮すると即答できかねるルークは、陰を落とした表情で考え込むかのように口を閉ざしていた。
ルークの家とて公爵家の一つ。資産はある。だが、ルークの一存で決められる事はなにもない。それはアリアとて同じことだ。
「必要な薬草と精製・保存に関わる資金はウェントゥス家が全面援助、負担する。それでなんとかなるか?」
「え?」
と、不意に出された助け船に、アリアは大きく目を見張る。
医学も経済も全くわからないアリアだが、シオンのその提案が普通のことでないことだけはわかる。
これは、アリアの我が儘だ。来るともわからない未来にかけて資金援助を申し出るなど、ギャンブル以外のなにものでもない。
冷静なシオンらしくないと静止の声を上げかけたアリアだが、
「その代わり……」
と、真摯な双眸を向けられて、出かかった言葉を喉の奥へと飲み込んでいた。
「薬の流通・管理の全権限をオレに任せて欲しい」
「え……?」
ここに来てある程度の知識を得たとはいえ、元よりアリアにできる術はなにもない。できることがあるならばなんでもするつもりではいるが、逆に全てを任せろとはどういうことだろう。
「これで、市場に新しい流通を生み出したい」
この世界には市販薬のようなものは存在していない。それゆえ、そこに目をつけたシオンは、保存可能な薬を市場に流すことで新たな利益を生み出すことができるのではないかと考えた。
実績と功績ができれば父親に認められる。
そういえば、"ゲーム"中でもその天才性を認めつつ、シオンの父親はシオンと確執があったことを思い出す。
「私に異論はないけれど」
自分にできることはなにもない。唯一あるとすれば、こことは違う世界の少し違った常識と知識だけ。シオンがそれをキッカケに未来の不安を取り除いてくれるというのならば、アリアに出し惜しむものはなにもなかった。
だとしたらもう一つだけ。この際気になっていた我が儘を口にしても許されるだろうか。
「その……、もう一つだけ聞いてもいいかしら?」
おずおずと切り出せば、二人分の双眸が無言でその先を促してくる。
「私は医学知識がなにもないから単純に思っただけなのだけれど…」
それは、"ゲーム"をしている時からプレイヤーたちの間でも交わされていた疑問。
RPGとして、普通であればあるべきもの。驚くことに、この"ゲーム"にはそれが存在していなかった。
「魔力回復ポーションと体力ポーションというものはないの?」
RPGゲームでは必須アイテムであるはずの"ポーション"そのものがこのゲームにはなかった。
体力とステータス異常は魔法で回復できたが、魔力だけは自然回復で時間に任せるしかない。それがとても不思議だった。そこまで戦闘に重きを置いたゲームではなかった為、ないからといって苦戦するようなことも余りなく、ゲーム設定だけかと思っていたのだが。一般家庭に常備薬そのものが存在しないとなれば納得だ。
「MPポーション……?」
「HPポーション?」
やはり存在しないのだろう。
ほぼ同時に潜められた二人の顔に、アリアは自分の推測を確信する。
「あれば便利かしら、とも思ったのだけれど」
とはいえ、至極平和なこの世界。たまに魔物討伐のようなものはあっても、日常生活で戦闘するようなことがなければ、どちらもあまり必要ないものだろう。
「……どうだろう……。需要があるかもわからないけど、研究の余地はある、のか……?」
一般市民にはまず必要ないものと言っていい。けれど、時折魔物討伐に出る騎士団などはどうだろか。
顎に手をやり、ルークは一人思案する。
「面白い発想だとは思います。なんですけど……」
ルークの頭にふと浮かんだのはとある人物。
ルーク自身は直接会ったことはないものの、話だけでも国中の有名人だ。
「もし本格的に研究を始動させるなら、どうしても直接話を聞いてみたい人が一人いるんすけど」
なにやらいろいろと考えているらしいルークの様子に、アリアはパチパチと目を瞬かせる。
「天才魔道士にして魔道師団"副"団長のルーカス・ネイサン様です」