番外編1 僕の嘘35(コンラート視点)
二話連続投稿の二話目になります。よろしくお願いします。
「母上。あなたは人を愛したことがありますか?」
「コンラート、急にどうしたの?」
反対に座るユーリが母上の向こうから僕を見て問う。ユーリは両親や義兄上との関係が良好だからきっと気づいてないだろう。僕は任せて欲しいと小さな声で言って、母上の返事を待った。
「……わからないわ」
母上の答えに僕はわざとらしく首を捻る。
「自分の気持ちなのに?」
「……それでもわからないのよ」
「それなら他人の気持ちなんて余計にわからないと思いませんか? 母上は先程から、僕や父上やユーリの気持ちを決めつけて話を進めていたようですが、それは違います」
そこで区切ると、母上は痛いところを突かれたのか、唇を噛み締めた。
「……信じることが怖いのはわかります。だから父上を避けるのも。ですが、母上。これ以上自分に嘘を吐くのはやめてください。またあなたが壊れるところは見たくありません。あなたは父上を愛していた。そうでしょう?」
「……違うわ」
「いいえ。あなたは父上を愛していたから愛されないことが辛かった。同じくらい愛して欲しかったから。あなたも僕と同じ。父上が振り向いてくれないから初めからそんな気持ちがなかったとすり替えたのでしょう? 独りよがりだと虚しいですからね」
母上は完全に俯き、ぽつぽつとユーリに握られた母上の手に水滴が落ちる。
「……だって、仕方がないでしょう……? わたくしは後継を産むために嫁いだ。だけど、クライスラー男爵夫人は望まれて子どもを産んだ。どう思われていたのかは一目瞭然だもの……なのに今更向き合いたい? あっちがダメだったから戻ってくると言われているようなものだわ。ここにいればいるほど惨めになるのよ……もう、いや」
「アイリーン……そんなつもりは……」
「なかったなんて言わないで。あなたに優しくされればされるほど耐えられない……」
父上が宥めようとするが、母上は聞く耳を持たない。だが、間違えたのは父上だけではないはずだ。
「ですが、母上。父上が忙しい時にあなたは何をしていましたか?」
「あ……」
母上は顔を上げて涙でぐしゃぐしゃの顔で僕を見る。ただ、僕は母上を責めたいわけではなく、客観的な事実を告げているだけだ。
「母上も、父上から目を逸らして別の男性に救いを求めた。そうですよね? 母上も愛人とうまくいかなかったから戻ってきたと思われてもおかしくないのですよ」
「そんなつもりは……」
「なかったのはわかりますが、母上も父上と同じ立場だということですよ。だから、母上が一方的に父上を責めるのも違うと思います。ただ素直に父上を愛していると認めればいいのではないですか?」
「……それは、できないわ……」
「何故ですか? 母上のプライドの問題ですか? そんなの何の役にも立たないと気づいているのではないですか?」
切り込んでいく僕に、ユーリが止めようと首を振っているが、僕は見ない振りだ。優しくするだけが愛情じゃない。間違えた時は違うと言わなければならないと、クライスラー男爵夫人のことでよくわかったのだ。
「……認めたって何も変わらない。この人は同情でわたくしと一緒にいようとするだけ。また一方的な思いに振り回されるのは嫌……どうせわたくしは実家にも見限られたのだから好きに生きてもいいでしょう……?」
愛されなかった過去が母上を追い詰めているのだ。僕には父上の気持ちがわからないから、父上に何か言うように口を開閉させて合図する。
父上はしばらく呆けていたが、表情を引き締めると前のめりになる。
「……私が君を傷つけるからとクライスラー男爵夫人とのことを話さなかったのが悪かったんだな。本当にすまない。彼女とのことは昔のことだと思っている。娘がいたことは私も知らなかったんだ。だが、君に嘘を吐くと余計に信じてもらえないだろうから、正直に話すよ。私は彼女を愛していた。家を捨てることを考えるくらいには」
「……そうでしょうね」
「だけど、捨てられなかった。家もそうだが、家族を捨てることができなかった。君とコンラートも大切な存在だったんだ。卑怯なことを言っているとは思うが、嘘じゃない」
「それでも、あなたにとってわたくしは家族であって女ではないということでしょう?」
母上は目を伏せる。ユーリはそんな母上の気持ちがわかるのか、沈痛な面持ちで母上を見ている。
父上は何故か狼狽えて、僕とユーリをちらちらと見る。
「いや、それは子どもの前で言うことでは……」
「へえ。子どもの前では言いにくいようなことを考えていらっしゃるのですね」
僕が突っ込むと、父上はぐっと言葉に詰まる。もう答えなんて出ているではないか。馬鹿馬鹿しい。
「母上が言えないのなら父上が言ってはどうですか? 今の反応で僕には父上の気持ちがなんとなくわかりましたが」
「……いや、まあ。そうなんだが。それならお前たちは席を外してくれないか?」
僕らの前では言いにくいのはわかるが、最初に巻き込んだのは父上の方だ。僕らには見届ける責任がある、という名目で、内心は父上のそんな姿に面白がってはいるのだが。そんなことはおくびにも出さず、涼しい顔で言う。
「僕らがいなくなると母上は逃げますよ。それでもいいんですか?」
父上は諦めたのか、真っ直ぐに母上を見据える。僕らの存在を見ないようにしたのだろう。そして息を吸い込むと母上に言う。
「私は確かにクライスラー男爵夫人にこだわって君を見ようとしなかった。そして君が心を閉ざして、初めて興味を持ったようなものだ。だから信用されないのもわかっている。だが、君のおかげで彼女を思い出にできたんだ。アイリーン、君が好きだよ」
父上にとっては一世一代の告白のつもりだったのだろうが、僕は拍子抜けだった。
「好きって……愛している、ではないのですか?」
「うっ……だから言いたくなかったんだ。アイリーンとは始まったばかりなのに、愛しているの方が嘘くさいだろうが」
「父上は女心をわかっていませんね。母上が愛想を尽かすのもわかります」
「お前だってわかってないだろうが。ユーリに何度も愛想を尽かされそうになったくせに」
父上は大人気なく言い返してくる。追いつけないと思っていた父上の姿はもう幻と化した。だが、僕は今のしょうもない父上の方が好感が持てる。
すると、ふふふと楽しそうな笑い声がして、僕らは言い合いをやめて母上を見た。
「……わたくしはずっとあなたの姿も見誤っていたのかもしれないわ。わたくしも今のあなたを知りたい……」
「じゃあ……!」
父上が嬉しそうな声を上げると、母上は顔を赤くして父上に答える。
「……振り回してごめんなさい。だけど、こんなわたくしなんかでいいの……?」
「なんかと言うのはやめてくれ。君が自分を卑下すると、私もコンラートも傷つくんだ。君は自分が思っているよりも大切に思われているのだから」
「ええ、ありがとう」
嬉しそうな母上の姿によかったと思っていたら、腕の中のウィルフリードが身をよじる。これは泣き出す前兆か。息を呑んでウィルフリードを見ると、顔を顰めた後、また眠り込んだ。両親はもう大丈夫だし、そろそろ僕とユーリはこれで失礼した方がよさそうだ。
ユーリに合図を出して僕らは席を立つ。
「後はお二人でゆっくり語り合ってください」
「ああ、ありがとう」
「コンラート、ありがとう」
父上と母上が僕にお礼を言うのを聞きながら、僕は幸せを噛み締めていた。
「ありがとう、ユーリ」
「急にどうしたの?」
自室に続く廊下を歩きながら隣にいるユーリにお礼を言うと、ユーリは怪訝な顔をする。
「いや、言いたくなっただけ」
「変なコンラート」
「そうだね」
今日のことは、ユーリが僕に愛を教えてくれたからうまくいったのだと思う。本当にありがとうと、改めて僕は心の中でユーリに感謝したのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。




