番外編1 僕の嘘20(コンラート視点)
よろしくお願いします。
「お兄様、実は……」
ニーナが男爵家を訪ねた僕を人払いをして部屋に呼び、沈痛な面持ちで話し始めた内容に、僕は怒りのあまり拳を握り締めた。
社交シーズンも終わりだというのに急に催されたお茶会に、ニーナとユーリは呼ばれて参加した。それというのも、僕とニーナの噂を間に受けたメリッサ嬢、いや、ディーツェ伯爵夫人が二人を見世物にするためだったらしい。
関係ない者がこうして面白おかしく騒ぎ立てるのがおかしいと思う。欲しかった子爵夫人の座が手に入らなかった腹いせにしても悪趣味だ。
「ねえ、お兄様。ユーリ様には話した方がいいんじゃないの? ユーリ様は信じられる方よ。あんなことを言われても耐えているユーリ様が気の毒で仕方ないわ。私なら事実じゃないってわかっているから笑ってやり過ごせるけど、知らないユーリ様からすると不安だと思う」
「そうだね……」
そう言いながらも、僕はニーナが話してくれた内容を考えていた。ディーツェ夫人は確信を持って僕が男爵家に毎日通っているとか、ニーナを守るためにユーリと結婚したと話していたようだ。それが意味することは──。
──内部に裏切り者がいる。
それしか考えられない。子爵家で話すことはないから男爵家の使用人が何かしらの情報を漏らした。
「……誰かが守秘義務を破った、そういうことだろうな」
「お兄様?」
「いや、そうじゃないとおかしいだろう? どうしてこんな時期外れにディーツェ夫人はお茶会を開いたのか。あの方が君やユーリに嫌がらせをするにしても急だし、たかが噂程度でそんなことをするかい?」
「どうかしら……私にはメリッサ様の考えはわからないから」
「僕の杞憂ならいいんだが、念のために調べてみるよ。それがわかるまではユーリにはまだ話せない」
疑うばかりで嫌になるが、怪しいと思うことは大抵根拠があるものだ。最後まで気は抜けない。
そんな僕にニーナは憂い顔だ。
「……それならせめて、ユーリ様を安心させてあげて。あの方は我慢強いように見えるけど繊細なの。皆の前で晒し者にされて傷ついていると思うから」
「僕よりもニーナの方がユーリのことをわかっているのかもしれないね。僕にはユーリの気持ちがわからないから」
僕は自嘲して笑う。今でもユーリを思う気持ちは変わらない。だが、それを伝えられずにいる。
言えないのは言葉の問題だと思っていた。だが、愛された記憶がないから、愛し方がわからない僕自身の心の問題なのだと思う。
僕はニーナに聞いてみた。
「……好きってどういう気持ちなんだ?」
「お兄様?」
「僕にはわからないんだ。ユーリが好きだと言ってくれたのに、彼女がどんな気持ちでその言葉を口にしたのか」
ニーナは呆れたように答える。
「それは私に聞かなくても、お兄様がわかっているのではないの? ユーリ様が好きなんでしょう?」
「……わからないんだ。この気持ちが何なのか。好きという言葉は簡単に言える言葉なんだろう? 僕はそんな生易しい気持ちじゃないんだ。ユーリが他の男を見るのが許せないし、他の男と楽しそうに話していたユーリに当たったりもした。これはただの独占欲とは違うのか?」
「その独占欲も含めてユーリ様を愛しているってことでしょう? 何、私に惚気たかっただけなの?」
ニーナは嫌そうに僕を見る。惚気って何だ。僕は真剣に悩んでいるというのに。恨みがましくニーナをみると、これ見よがしに溜息を吐かれた。
「一言愛してるって言えばいいだけでしょうに。難しく考え過ぎなのではないの?」
「……その言葉は嫌いなんだ。薄っぺらく聞こえて。他に伝える言葉ってあるのか?」
「そんなことを言われても……私にはわからないわ。ねえ、どうして嫌いなの?」
不思議そうにニーナに聞かれて、僕は逡巡した後渋々答えた。
「……僕はずっと母上に相手にされなかったんだ。そんな母上でも愛人には愛してるとか、好きだって簡単に言っていた。それもしょっちゅうその相手が変わるんだ。そういうのを見ていたら思うところがあって……」
自立したいい大人が情けないとは思う。それでも子どもの頃に心に刻まれた思い出や心の傷はなかなか消えないものだ。
「そう……私にはシュトラウス夫人がどんな思いで言っていたのかはわからないけど、私にとっては好きとか愛してるっていう言葉は、相手に気持ちを伝えるための特別で大切な言葉よ。だからちゃんとユーリ様に伝えてあげた方がいいと思うわ。ユーリ様を失いたくないならね」
ニーナの言葉にドキッとした。僕はそのことをわかっていたつもりだ。だからこんなに不安になるのだが、不安はあくまでも僕自身が作り出したもので、実感を伴っていなかった。
僕はユーリと結婚できたことで驕っていたのかもしれない。
「……義兄上といい、君といい、言っていることが間違っていないから耳が痛いよ。その言葉を口にはできないけど、ユーリに説明してみる」
「それがいいと思う。だから早く帰ってあげて」
「ああ。ありがとう、ニーナ」
そうして僕は屋敷に戻った。
◇
ユーリの部屋に繋がる扉をノックしても返事がなかった。もう眠ってしまったのかと小さな声で入るよ、とだけ言ってユーリの部屋へ入った。
部屋の中は暗かったが、僕の部屋から漏れる明かりでユーリがシーツの中で身動ぎするのが見えた。ユーリの顔を見たいとベッドを回り込んでベッドに腰掛けて話しかける。
「……大丈夫かい?」
だがユーリからの返事はない。それでも僕は話を続けた。
「ニーナからお茶会でのことを聞いたよ」
ややあってユーリは何故か笑い始めた。僕は何かおかしなことを言っただろうか。訝ってユーリの顔を覗き込もうとしたが、ユーリは顔を背けた。
ユーリの様子がおかしい。どう言えばいいのかわからず戸惑っていると、ユーリが口を開いた。
「……ねえ、コンラート。聞いてもいい……?」
「何だい?」
話してくれる気になったのだと僕はホッとして答える。だが、続いた問いは。
「どうして毎日、ニーナ様と会っているの?」
どうしてこのタイミングで、と内心で歯噛みした。先程密告した者がいるかもと疑いを持ったばかりだ。それもこれもディーツェ伯爵夫人の企みか。ユーリに不安を植えつけ、僕とユーリの間に軋轢を生んで、あわよくば喧嘩になればいいとでも思ったのだろう。彼女がやりそうなことだ。
僕がちゃんとユーリと向き合っていれば防げた事態だ。それを後悔しても遅い。僕は仕事だと嘘を吐けばよかったのかもしれない。だが、今ここで嘘を吐いて、後でユーリが真実を知ったらユーリに余計に不信感を与えることになるのではないか。そう考えた僕は正直な気持ちを話した。
「……ごめん。それはまだ言えない」
「……どうして」
「まだ、時期が悪いんだ。もう少しだから……」
密告した者もディーツェ家の思惑もわからない。もしディーツェ家が父上かクライスラー男爵家と接触してしまえば、下手をすればニーナの結婚が破談になるかもしれない。僕にはそれが怖かった。
うまく説明できない僕に苛立ったのか不安なのか、ユーリは飛び起きて僕の両腕を掴んで訴えかける。
「どうして何も教えてくれないの? 私はそんなに信用できない? こんなことではあなたを信じ続けることができない。お願いだから、何とか言って……!」
何とかといっても、今のユーリに気休めの嘘を吐く方が、鋭いユーリは察して傷つくのではないか。どうして話せないのか具体的には言えないが、言える範囲で説明する。
「……話せたらいいと僕も思う。だけど、守らなければいけないものがあるんだ。失敗するわけにはいかない」
今、ニーナの出生が公になってしまえば、ニーナは子爵家に来るしかなくなる。そして、望みもしないのにこの冷たい家のために尽くさなくてはならなくなるのだ。愛人の娘として。
今になっても尚クライスラー男爵夫人は貶められ、ニーナは蔑まれるのか。もう充分二人は苦しんだだろう。二人を父上の犠牲にはしたくない。
ユーリは今度は質問を変えた。
「……あなたは私のことをどう思っているの?」
「大切な人だと思っているよ」
それは間違いなく言えるのに、僕にはどう大切なのか説明できない。ニーナの言う通りに好きだとか愛してると言えればいいのだろうが、愛がわからない僕には自信がなくてその言葉が喉につかえて出てこない。
「違うの! そうじゃなくて。私はあなたを愛しているわ。あなたは……?」
──愛しているわ……
自分に向けられることのなかった言葉が僕の心を苛む。その言葉を発しているのはユーリのはずなのに、母上が知らない男に言っていた光景がダブって、僕の表情が意図せず歪む。
しまったと思った時は遅かった。ユーリは勘違いして痛々しい笑顔を作る。
「……わかったわ。それがあなたの答えなのね。気にしないで。つまらないことを言ってごめんなさい。疲れたから一人にしてもらえる?」
「ユーリ、ちが……」
そうじゃない、と言おうとしても僕も何故ここでユーリと母上が重なって見えたのか自分でもわからなくて、狼狽して言葉が出てこない。
「お願いだから!」
語気を強めるユーリに僕が黙るとユーリは静かに告げた。
「……一人にさせて」
「ごめん……」
うまく伝えられない僕はそう言って部屋に戻るしかなかった。扉を閉めようとした時にユーリのすすり泣く声が聞こえて、駆け寄りたくなる。だけど、今の僕にはそんな資格はない。僕がユーリを傷つけたのだから。
落ち着いたらちゃんと話をしよう。そう思っていたが、それからユーリに避けられて話ができなくなった。
そうしてユーリは何故かニーナを子爵家に招待してしまったのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。




