呪縛から解き放たれて
次で本編終了の予定です。
その後はコンラート視点とニーナ視点になります。
よろしくお願いします。
三人で自室に戻ると、コンラートは椅子に座って俯いた。腕の中のウィルフリードはたくさん泣いて疲れたのか、うとうとし始めている。
完全に寝入るまで待って、ウィルフリードを子ども用のベッドに移すと、コンラートの隣に座って話しかける。
「……お義母様、よかったわね」
「……どうだろう。ひょっとしたら僕らは母上に残酷なことをしたのかもしれないよ。結果的に辛い現実に引き戻したのだから」
コンラートは相変わらず俯いたままだ。彼の心の中にも様々な葛藤があるのかもしれない。心配だったけど、私は敢えて明るく話しかける。
「辛かったの間違いよ。もうお義母様が目を背けて耐えるだけの日々は終わったの。これからは私たちがいるんだから」
「……ユーリ、うちの事情に巻き込んでばかりでごめん」
コンラートは突然私に謝る。私は急で頭が追いつかなくて考えてしまった。その間をどう思ったのか、またコンラートは謝る。
「本当にごめん……」
「いえ、そんなに謝らなくても……」
「……君を幸せにしたかったから結婚を申し込んだのに面倒をかけるばかりで、自分が情けなくて……
それに、みっともないところばかりみせていて恥ずかしいよ。この歳になっても親離れができていないようで……」
コンラートは何か勘違いしている。私は慌てて否定した。
「そんなこと思っていないわ。面倒をかけているのは私も同じよ。ロクスフォードのためにあなたがどれだけ尽くしてくれたかわかっているもの。それに、あなたは子どもの頃に受け取るはずの愛情を知らずに育っただけ。それを求めることが恥ずかしいとは思わないわ」
「ユーリ……」
「だけど、一つだけいい?」
私はこれだけはちゃんと伝えたいと思っていた。
コンラートは相手のために良かれと思って、一人で結論を出してしまう。私はそれが寂しかった。
私は大事に仕舞われておくような物ではなく、感情を持った人なのだ。
「何だい……?」
コンラートは恐る恐る顔を上げる。その表情は何を言われるのかと不安で視線が泳いでいた。私はコンラートの顔を両手で包んで視線を合わせる。
「ちゃんと相談して欲しいの」
「え……」
「私はあなたに寄りかかりたいわけではないわ。自分でできることはやりたいし、困ったことがあればちゃんとあなたに相談するようにする。だから、私を幸せにしないといけないと、思い詰めないで。
あなたが何を考えているのかわからなくて、私はそっちの方が寂しいわ。幸せって、してもらうのではなくて、なれるように頑張ることだと私は思うのよ」
コンラートは目を瞬かせた後に笑った。
「……その言葉、僕も同じことを父上に言ったね。幸せになる努力をしてきた僕が、そんな君の気持ちを踏みにじっていたのか……そうだね。一方的だと寂しいよ」
「そうよ。私はそんなに役立たずなのかと落ち込むんだから」
「そんなわけないだろう!」
コンラートの声が大きくなって、慌てて二人でウィルフリードを見る。ウィルフリードは起きなかったようで二人で顔を見合わせて笑った。
コンラートは声のトーンを落として言う。
「……君やウィルフリードのおかげなんだ。僕が両親と向き合えたのは。君と結婚した時は思いもしなかったよ。僕の自己満足で君に援助と引き換えに結婚を迫ってしまったから、軽蔑されても仕方ないと諦めていたんだ」
「それはちゃんと話したでしょう? 私はあなたが好きだったからよかったんだって」
「結果的にだろう? 僕は順番を間違えてしまったんだ。本来なら先に言う言葉があったのに」
「それもあなたの話を聞いたから、もういいのよ」
私は小さく笑う。
コンラートの態度で察することができなかったから、私は言葉を求めた。彼の苦しみを考えようともせずに。もっと話し合えばよかったと、今は思う。
コンラートは自分の顔に添えられた私の両手を取って握り締め、真っ直ぐに私を見た。
「……だから、やり直させてくれないか?」
「何を……?」
コンラートは何かを言おうとして口を開いた。だけど、口に出来ず悔しそうに顔を歪める。その表情があまりにも辛そうで私は止めた。
「あなたが何を言いたいのかはわからないけど、それってそんなに無理しないといけないことなの? 私のことなら気にしなくても……」
「……君のためでもあるけど、何より僕自身が乗り越えたいんだ。もう縛られたくないから」
「一体何を……」
コンラートは目を閉じて、ゆっくり深呼吸をした。それからまた目を開いて真剣な顔で告げる。
「ユーリ、君を……愛しているよ」
思わず息を呑んだ。
これまで何度も夢に見た言葉。彼の心的外傷の元でもある。
呆然としていると、コンラートが繰り返した。
「愛しているよ……って、聞こえてないのか?」
「え、いえ……聞こえて、いるわ……」
答える私の声はみっともないほど震えている。胸が熱くなって何かが込み上げてきた。甘い痛みのようで、苦しくもある。彼に一方的に好意を持っていた時とは違う、幸せな痛み。
私の目に涙で膜が張る。滲んでいく視界が今の幸せを膜で隔ててしまいそうで、私は涙を堪えた。
コンラートは私の目尻の涙を人差し指で掬ってくれた。
「……いつか言うって約束しただろう? 待たせてしまってごめん。我ながら情けないよ」
「そんなことないわ。私こそ、ごめんなさい。あなたに嫌なことを強要してしまった……」
私の言葉にコンラートは笑顔で首を振る。
「嫌なことではないよ。僕もどうやったら気持ちが伝わるのか悩んだんだ。前に君が言っただろう? その言葉以外に伝える言葉がないって。僕もそうだった。だから、何度も言おうとしたんだけど、どうしても母上が頭をよぎって……」
「そうね……」
私も同じように義母の逢瀬の現場を見たことがある。他人の私でさえいたたまれなくて、コンラートの顔がまともに見られなかった。実の息子なら余計だろう。
コンラートは続ける。
「……だけどあの時、僕を見つけて笑った母上が、耳元で言ったんだ。コンラート、愛してるわ、って。ずっと僕を無視してきたくせに今更何をって腹も立ったけど、それ以上に、ようやく僕を見てくれたっていう喜びがあったんだ。
僕の根本にあったのは、子どもの頃に愛されなかった、必要とされなかったという諦めだったんだと思う。それは君という大切な人を見つけても常にあったんだ。いつもどこか空虚で満たされない気持ちが」
「……それ、お義母様も言っていたわ。お義父様に愛されなかった虚しさを、別の男性で埋めようとしたけど、それでも満たされなかったって」
「そういうところは親子なのかな。だけど、僕は君とわかり合ううちに、その穴も少しずつ埋まってきてはいたんだけどね。そこに母上の言葉を聞いて、これじゃいけないって思ったから……」
コンラートは笑う。だけど、以前義母の話をしていた時のような皮肉な笑顔ではなく、仕方がないなと少し困ったような笑顔。コンラートの中で、家族に対する認識が変わったのだろう。それが私は嬉しかった。
「ありがとう、コンラート……それにね」
「うん、何だい?」
「……あなたが生まれてきてくれてよかった。あなたに出会えてよかった……私も、あなたを愛しているわ」
「ユーリ……」
コンラートは泣きそうに顔を歪めると、私を抱きしめた。
私はコンラートではないから、彼の辛さを全て理解することはできない。それでも、彼が自分が生まれてきたことを両親に祝ってもらえなかった寂しさは何となくわかる。
彼の心の傷がこうして少しずつでも癒えることを願って、私もコンラートを抱き返した──。
読んでいただき、ありがとうございました。




