子爵領への道程
よろしくお願いします。
子爵領に帰ると決めてからは、使用人たちが忙しなかった。だけど、これまでと同じように社交シーズンが終われば領地に帰るのがわかっていたからか、特に大きな混乱はなく、準備は着々と進んだ。
そうして、使用人を必要最低限だけ連れて、義両親とコンラート、私は王都を出発した。
◇
「ギリギリまで忙しいとは思わなかったよ……」
馬車の中でコンラートがウンザリした声を上げて、私も隣でしみじみと頷く。
領地に帰る準備をしてくれるのは使用人でも、その指示を出すのは、仮の女主人である私の仕事だった。指示を出すのも大変なのだと嫌というほど思い知って、思わず遠い目になる。
「お前たちばかりに押し付けてすまないな」
私たちの向かいに座った義父が苦笑した。その隣にはまだ反応のない義母が座っていて、義父がその肩に腕を回している。横になった方が楽なのではと思ったけど、そちらの方が馬車の振動が直接伝わって辛そうなので、義父がそうして支えているのだ。
「いえ、それはいいのですが。母上は相変わらずですか?」
「……ああ。心ここに在らず、といった感じだな。良くなっているのか、私には全くわからない。考えてみれば、アイリーンには我慢ばかりさせてきたんだな。結婚当初から私は仕事ばかりで、屋敷は全て彼女が取り仕切っていた。金銭的に厳しかった時は、最低限必要な物を紙に書いて渡されていたよ。金を使うでもなく、一人であの屋敷にいるのはどんな思いだったのか。今になって考えても遅いのはわかっているんだが……」
「……それは僕も同じですよ。僕は母上の気持ちを考えようともしなかった。母上が目を逸らすことで保っていた心の均衡を僕が崩してしまったんです」
そうしてまた重い空気になる。
自省は必要だけど、やり過ぎは良くない。それよりは解決策を考える方が義母のためにもいいはずだ。
私は義父に話を振った。
「お義父様。お義母様との思い出の場所とか、物でもいいですが、そんなものはないのですか? こうしてお義母様も一緒にいるのですから、せめて楽しい話を聞く方がお義母様のためにもいいと思うのですが……」
「楽しい話と言っても……」
義父は難しい顔で黙り込んでしまった。そんなに難しいことを聞いたつもりはないのだけど、と私も難しい顔になる。
そこでコンラートがフォローを入れてくれた。
「そういえば父上たちは新婚旅行は行かなかったのですか?」
「新婚旅行……?」
「ええ。そのくらいはあるのではないかと思ったのですが……」
相変わらず義父は難しい顔をしている。コンラートも察したのか、眉を寄せた。
「……それもないのですか」
「……それどころではなかった、というのは言い訳だな。時間ができれば行こうかとアイリーンに言ったら、無理はしなくていいと言われて、そのままだ。王都と領地の往復が精々だな。思い出らしい思い出がないよ。それだけ無視してきたということか……」
また義父が落ち込みそうになって、私は慌てて止めた。これでは義母が良くなるどころか、義父が引き摺られて夫婦が共倒れになりそうだ。
「お義父様、あまりご自分を追い詰めないでください。お義父様まで体調を崩されてはいけませんから」
「そうですよ。それに、思い出がないならこれから作ればいい。これからは自由な時間も増えるんです。母上とゆっくり過ごせばいいと思いますよ」
責めるばかりだったコンラートも義父を思いやっている。その様子に胸が温かくなる。
義父も頷いて、義母に声をかける。
「……体調が良くなったらどこかに行こうか。二人で行きたいところを決めよう」
返事はなくても、こうやって声をかけていれば伝わると思いたい。子爵領への道中、それぞれが義母に話しかけていた──。
◇
義母の体調を考えながらだったので、子爵領まで三日かかった。休憩を挟んで宿に泊まりつつ、三日目の夕方に子爵領に入った。
「ここが、子爵領……?」
「ああ、そうだよ」
私の呟きにコンラートがどこか自慢気に答えるけど、それももっともだ。
石畳の道は綺麗に整備されていて、その道沿いに原色屋根の建物が立ち並んでいる。新しいものから古そうなものまであるけれど、古そうでもきちんと補修がしてあって、違和感を感じない。
そして、私たちの馬車の横を仕事帰りなのか、遊びから帰っているのか、大人子ども問わず大勢の人たちが行き交い、活気に溢れている。
「すごいわね。伯爵領とは全然違う」
「ここの領民は商人が多いからね。商会で働いてくれている人もいれば、個人で街から街に移動して商売している人もいる。もう少し行けば商館があるけど、領主館の次に大きい建物なんだ」
「そう……」
領主館の次と言われても、想像がつかない。私はコンラートの話を聞きながらも、ただただ目の前の景色に見惚れていた。
馬車はそのまま石畳を進み、一際大きな屋敷の敷地内に入って行く。
「ようやく着いたね」
屋敷の前で馬車が止まった。外から扉を開けられ、義父が先に降り、義母を抱え上げる。続いてコンラート、私と続く。
そこには既に使用人たちが待機してくれていて、一斉に頭を下げる。
「おかえりなさいませ」
「ああ、ただいま。予定よりも遅くなってすまなかった。変わりはなかったか?」
その中で義父くらいの年齢の男性が答える。オスカーとは違って柔和な雰囲気で、きっちりと前髪を後ろに撫で付けている。彼が義父の留守の間この屋敷を任されている差配人なのかもしれない。
「はい。こちらは問題ありませんでした。それで……」
「ああ。こちらはユーリ。コンラートの妻だ」
義父が私を紹介してくれ、私は頭を下げる。
「ユーリです。これからよろしくお願いします」
「ええ、こちらこそよろしくお願いいたします」
男性は笑顔で答えてくれたが、次には痛ましそうに義母を見る。
「……うかがってはおりましたが半信半疑でした。事実なのですね」
「……ああ。そういうわけだから、この件は外に漏れないようにしてくれ」
「もちろんです。それでは中へ」
義父はコンラートに目配せすると、男性に着いて中へ向かう。その後をコンラートと私も着いて行く。
玄関ホールで男性は義父に話しかける。
「長旅お疲れ様でした。奥様はいかがいたしましょうか?」
「ずっと座りっぱなしだったから、ベッドに横になった方が楽かもしれない。ベッドの用意はできているか?」
「ええ。旦那様の仰る通り、寝室を一緒にしてベッドも運び入れております。失礼ながら私が奥様をお連れしましょうか?」
「いや、私が連れて行くよ。息子夫婦を頼んでいいか?」
「かしこまりました」
話が済むと義父は義母を抱えて、寝室へ行った。男性はコンラートに尋ねる。
「コンラート様、いかがいたしましょうか?」
「そうだな……夕食の準備はもう少しかかるだろうから、とりあえず僕らも寝室に行って少し休むよ。ユーリ、それでいいかい?」
「ええ。私も少し休みたいわ」
「ということだから、僕らは大丈夫だ。荷物だけお願いしていいか?」
「かしこまりました。それでは失礼いたします」
男性はそう言うと馬車の方へ戻って行った。
「ユーリ、それじゃあこっちだよ」
私もコンラートと寝室に向かった。
寝室に着くなりコンラートはベッドにうつ伏せた。
「コンラート、寝るなら着替えた方がいいわ」
私はすぐにメイドに着替えを用意するように頼んだ。だけど、メイドに言って着替えを持ってきてもらった頃にはコンラートはうとうとし始めていた。
「ほら、コンラート。着替えを持ってきてもらったから」
「うん……」
半分眠っているのか、のろのろと身を起こすとコンラートは着替え始めた。私が慌てて背中を向けると、後ろからコンラートが声をかける。
「ユーリも夕食まで一緒に寝よう」
「私は大丈夫。コンラートは忙しかったのだし、ゆっくり休んで」
「……一人は嫌なんだ」
「え?」
振り向くと、着替え終わったコンラートがベッドの上で俯いていた。
「……情け無いことを言ってて恥ずかしいけど、君も遠くに行ってしまいそうで怖いんだ。君の大丈夫は大丈夫じゃない気がして」
そう言えば私はいつも大丈夫だと言っていた。だけど、大丈夫だからと言いながらも、内心は大丈夫じゃなかった。コンラートにはわかっていたのだろうか。
コンラートはわがままを言っているつもりで、私に甘えさせたいのかもしれない。そんな彼の気持ちが嬉しくて笑顔になる。
「心配してくれてありがとう、コンラート。辛い時はちゃんと言うわ。それじゃあすぐに着替えてくるからちょっと待ってて」
「いや、ここでいいじゃないか。向こうを向いているから」
そう言ってコンラートは私に背を向けた。私も急いで用意してもらっていた夜着に着替えてベッドに入り、コンラートの背中に抱きつく。
すると、コンラートが向きを変えて正面から抱きしめてくれる。
「安心すると余計に眠くなってきた……」
「私はどこにも行かないから、ゆっくり休んで」
「……ああ、ユーリも」
そのうちにコンラートの寝息が聞こえてきた。私も疲れていたことと安心したことで眠気に襲われる。
そうして気を遣ったメイドが義父に報告し、義父に夕食だと声をかけられるまで二人で抱き合って眠っていた。
読んでいただき、ありがとうございました。




