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悲しい嘘  作者: 海星
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私の帰る場所

よろしくお願いします。

 コンラートは有言実行で、商会の仕事をしつつも兄との事業提携の話を詰めていった。


 手紙が届いて約二週間後──。


 ◇


「義兄上から後は伯爵領での仕事になるから、伯爵領に帰ると言われたよ。その前に一緒に挨拶に行かないか?」


 夕方帰宅したコンラートと自室に入ると、不意に言われた。思いがけない誘いに、私は目を瞬かせる。


「ええ。それはいいけど、早かったのね」

「まあ、事業提携とはいっても、ほとんど義兄上が事業計画書を作ったんだよ。簡単に言えば、どういう物が必要か、それにいくらかかるか、期間は、将来的な利益は、って詰めていって、これだけの融資を頼むっていう感じかな。僕はそれに出資するのと、工房を作るための人夫の派遣を頼まれているけど、後は義兄上とお義父上が伯爵領で頑張ってくださるそうだよ」

「そうなの……だけど、二人で大丈夫かしら。私も何か手伝った方が……」


 父と兄の負担を考えると、言い出した私も何かできないかと、考えてしまう。だけど、コンラートは私を止めた。


「それはダメだよ。君には君でやらなければならないことがあるだろう? 今、母上があの状態だから、女主人は実質、君なんだ。領地に帰れば慈善活動もあるし、屋敷を仕切るのも君の仕事になるんだよ?」

「……そうね。わかってはいるのだけど」

「だから挨拶に行こうって言ったんだよ。義兄上から心配いらないと聞けば、少しは安心して領地に帰れるんじゃないか?」


 あの兄のことだ。大変でもそのことは私には言わないだろう。それでも、顔を見れば安心できるかもしれないと、私は頷いた。


「ええ、そうね。それでいつ行くの?」

「それが、もう明後日には帰るそうだから、明日しかないんだ」

「それもまた急なのね。わかったわ」


 そして翌日兄に会いに、伯爵家を訪ねることになったのだった。


 ◇


「よく来てくれたな」


 伯爵家の玄関ホールで、満面の笑顔を浮かべた兄が私たちを迎えてくれた。私はもっと疲れ切った兄を想像していただけに、面食らってしまった。困惑して隣のコンラートを見ると、苦笑している。


「え、お兄様、どうしてそんなにお元気なんですか?」

「お前も大概失礼な奴だな。俺が元気だと悪いのか?」

「いえ、そういうわけではないのですが。この間お会いした時よりも顔色がいいので」


 不服そうに眉を寄せる兄に思ったことを言うと、兄はコンラートを見やる。


「コンラートが規則正しくなったからだろうな。仕事中毒のこいつに付き合わされる身にもなってみろ。本当に疲れたぞ」

「僕のせいにしないでくださいよ。義兄上だって楽しそうに事業計画を立てていらしたではありませんか」

「いや、まあ、な。これから伯爵領が盛り返すかと思えばやりがいがあるからだな。前はどんなに頑張っても良くなる気がしなかったが」


 そう話す兄の表情は明るい。そう思えるようになったのなら嬉しいと、私の顔も緩む。


「ここでの立ち話もなんだから、応接室で話そう」


 そう言って歩き始めた兄の後を、私とコンラートはついて行った。


 ◇


「……子爵夫人のことはコンラートから聞いた。お前は大丈夫か?」


 応接室のソファに深く腰掛けた兄が唐突に言った。言葉をぼかしてはいるけど、兄は全て知っているのだろう。


 コンラートが子爵家の内情を兄に話しているとは思わなかった。自分のことをあまり話さない彼だから、今回も話してないと思ったのだ。

 話してもいいのかと、コンラートに目で合図すると、コンラートは頷いた。


「……私は大丈夫です。というより、私がしっかりしないと、お義母様が休めませんから」

「休む、か。そうかもしれないな。俺は子爵夫人の話を聞いて、お前もそうなってしまうんじゃないかと心配だったんだ。お前も何でも抱え込もうとする方だからな」


 私が兄を心配するように、兄も私を心配してくれていた。離れていても兄妹の絆を感じられて、笑みが零れる。

 すると、兄の言葉にコンラートが答えた。


「それは全て僕のせいだと反省しています。ですから、これからは話し合うように努力します」


 真剣な表情でコンラートは兄を見ている。一体どういうことなのだろうか。


 二人は見つめ合うというよりは睨み合っている。そこで兄が嘆息した。


「……わかった。もう当主命令で離縁はさせない。その代わり、また妹を蔑ろにすることがあれば承知しないからな」

「え? それは冗談ではなかったのですか?」


 てっきりコンラートを焚きつけるための冗談だと思っていた。だけど兄は真面目な顔で首を振る。


「俺が冗談でそんな悪趣味なことをすると思うか? お前がぶつかってダメだった時は俺が拾ってやるって言っただろうが」

「確かに言いましたが……現状難しいではないですか。気持ちよりも責任を優先させるのが、次期当主の務めではありませんか?」

「……そうやって責任に縛られた結果、子爵夫人はどうなった? 俺はお前にそんな思いはさせたくない。お前の犠牲の上に成り立つ幸せを、俺も父上も、亡くなった母上も望むと思うか?」


 それには答えられなかった。

 亡くなった母は私に、理不尽なことには従わなくていいと話していた。それがきっとこういうことなのだろう。


 女は男に従うもの。貴族としての責任を果たすこと。どちらも常識だけど、それよりも大切なものがある、それが言いたかったのかもしれない。


 私は責任に囚われて、私自身が自分を蔑ろにしてしまっていた。


 黙り込んだ私に、兄は続ける。


「俺はそんなものはいらない。そんなものがなくてもすむ方法を考える方がマシだ。だからお前がコンラートと離縁したいならそれでいいと思っていたよ」


 はっと兄の顔を見ると、相変わらず真剣な表情をしている。本気でそう思っているのが伝わって、私は思わず息を呑んだ。

 兄が真剣に考えてくれたなら、私も真剣に返したい。私は自分の気持ちを整理しながら話すことにした。


「お兄様のお気持ちは嬉しいですが、私はコンラートと共にあることを選びました。喧嘩することもあるでしょうが、これからは逃げずに向き合っていくつもりです。それに、お義母様が回復した時に支えたいんです。私にとっても大切な方ですから」

「そうか……だが無理はするなよ」

「ありがとうございます。コンラートの気持ちもわかったので、私はもう大丈夫です」


 隣からコンラートの手が伸びてきて、私の手を握り締める。コンラートを見ると、頷いてくれた。


「……それじゃあ仲良くやれよ。またしばらくは会えないだろうから」

「ですが、お兄様とお父様は大丈夫なのですか? 二人では大変なのでは?」

「ああ、それなら大丈夫だ」


 そう言って、兄は意味深に含み笑いをする。それが気になって私は問う。


「何かあったのですか?」

「いや、予想外に父上が張り切っていてな。工房の候補地をあの職人の女性と検討していて意気投合したようで、一緒に染物をやっているらしいぞ」

「そうなのですか。お父様が……」


 あの女性なら安心だ。父が楽しくやっているようでほっとした。兄は更に続ける。


「父上ももう隠居して趣味に生きるのもいいだろうし、騙し騙されるような貴族社会から離れてもいいんじゃないかと思う。だから、伯爵領に帰ったらその話も父上とするつもりだ。隠居しても手伝ってはもらうつもりだけどな」

「私もお父様、お兄様、二人のためにもその方がいいと思います。お父様も傾いていく伯爵家に心を痛めて、そのせいで良かれと思って胡散臭い話に乗っては騙されていましたから……」

「ああ。そういうわけだから、こっちのことは心配いらない。お前はそっちで頑張ればいい」

「わかりました。これで安心して子爵領に帰れます」

「帰る、か……もう伯爵領がお前の帰る場所じゃなくなったんだな……」


 兄は寂しそうに呟く。私も寂しいけれど、結婚した以上は仕方ないことだ。

 それに、これは永遠の別れではない。私は笑って言う。


「お兄様、また会えるのですから。お体に気をつけて。お父様にもそう伝えてください」

「……そうだな。お前も体調に気をつけて、ほどほどに頑張れ。お前が心配しないように、頑張って汚名を返上するよ」


 そう言った兄の顔は晴れ晴れとしていて、言葉通りもう心配はいらないのだろう。それに離れていても気持ちは繋がっていることを再確認できた。


 翌日、兄は伯爵領に帰り、私たちも子爵領に帰ることになったのだった──。

読んでいただき、ありがとうございました。

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