義父の決断
よろしくお願いします。
「その頃は寝る間を惜しんで動き回っていたよ。領地の方にアイリーンとまだ幼いコンラートを置いて、私は一人で王都にいた。
一人で社交をこなしながら、援助してくれる人を探し、準男爵にはノウハウを教えてもらい、当主決済の書類に目を通し、領民の流出を止める手段を講じ……
これが一番嫌だったんだが、口利きをしてくれた女性から呼び出されたら、すぐに行かなければならなかった。奴隷にでもなった気分で、自分は何の為に生きているのかと思ったよ」
それがどれだけ大変なのかは、ロクスフォードを立て直そうとしている兄を見ているから、何となくだけどわかる。それだけ子爵家当主という責任は重いのだ。
コンラートも真剣な表情で義父の話を聞いている。
「そんな毎日に疲れ果てていた時に、クライスラー男爵夫人が少しは休んだ方がいいですよと、声をかけてくれたんだ。誰一人慮ってくれなかったから、たったそれだけのことが当時の私には嬉しかったんだよ。彼女もまた、私と同じ孤独を抱えていたからだろうね。
私は準男爵の元へ通うのが楽しみになった。彼女と過ごす束の間の休息を目当てにしていたんだ。そうして私は彼女を愛した。彼女は私が愛した唯一の人なんだよ」
目を細めて懐かしむように義父は語る。愛していたならどうして。私同様に疑問を持ったのか、挑むような目つきでコンラートは問うた。
「……それならどうして追い詰めるようなことをしたんですか」
義父は目を伏せる。
「……私は逃げたかったんだ。息の詰まりそうな現実から。だから家を捨てて彼女と一緒になる覚悟もしていたよ。だけど、できなかった。シュトラウスの歴史、アイリーン、コンラート、私を信じて残ってくれている領民たち。それらを全て切り捨てることができなかったんだ」
「……っ、あなたのその、中途半端な覚悟のせいで、今こうなっているのではないですか!」
義父の言葉にコンラートは激昂した。反対に義父は静かに頷き、懺悔をするように、両手を組んで額をつける。その様子は嘘だとは思えなかった。
「……ああ、全くだ。私は誰一人幸せにできなかった最低な男だよ。だからせめて、当主としての責任は果たそうと、今日まで我武者羅にやってきた。その結果、子爵家はここまで大きくなった。今こそ私はそのツケを払おうと思う」
義父は顔を上げて私とコンラートの顔を交互に見る。不穏な言葉と、決意を秘めた視線に、私とコンラートは思わず顔を見合わせた。
それからコンラートは怪訝に義父に問う。
「父上、一体何をお考えですか?」
「私は隠居するよ」
「父上! どうしてそうなるのですか!」
義父は疲れたように笑う。
「私は間違えたんだ。愛する人を苦しめて、切り捨てられなかった妻もこうなった……
私にだって罪の意識はある。だからアイリーンと領地に帰って、彼女の面倒を見ることにするよ。それが彼女のためにできることだと思う。そのためには当主という座は邪魔だ。お前は私と仕事をしてきたんだから要領はわかっているだろう?」
「……そうやってまた逃げるのですか?」
コンラートは義父の問いかけに答えず、義父を詰る。
確かに先程の話からするとそういう風に聞こえるけど、義父は初めて義母と向き合おうとしているのだ。そのためには肩書きが邪魔なのだと。
「コンラート、そうじゃないと思うわ。これがお義父様なりのけじめの付け方なのよ」
「だからといって……今まで興味も持たなかったくせに、どういう風の吹きまわしなのかと思うよ。僕も母上のこんな姿を見て思うところはあるけど……」
「……切り捨てられなかったくらいには情があるということだ。一緒に大変な時を乗り越えてきた同志のようなものだからな」
義父の瞳には迷いがなかった。
義母のことはどうしたいかわかったけど、それならクライスラー男爵家のことはどう思っているのだろうか。
「それで、お義父様。ニーナ様のことはどうするおつもりですか?」
義父は少し考えて、首を振った。
「何もするつもりはないよ。確かに子どもがいると聞いて引き取るつもりだったが。それは別に男爵夫人から子どもを奪おうと思ったわけじゃない。父親として責任を果たしたかっただけだ。今の子爵家なら望んだ相手と縁を結ぶことも可能だろうから、それが罪滅ぼしになるかもしれないと思ったが……それも反対に傷つけることになるだろう。もしそのことを盾に男爵家が脅されるようなことがあれば、その時は守るように動くつもりだよ。私にはそれくらいしかできないからね……父親といっても不甲斐ないな」
義父は自嘲するように笑う。その姿はかつての自信が見られないほど小さく見えた。
そうやって虚勢を張ることしかできなかった義父の弱さを初めて目の当たりにしたコンラートはショックだったのか、表情を消した。
コンラートは無表情で呟く。
「……あなたはいつも僕には当主として相応しくなれと言っていましたよね。そのあなたがこのざまですか」
「……私には大切な人を守るだけの強さがなかった。自分が味わった後悔をお前には味わって欲しくなかった」
「だったらそう言えばよかったでしょう!? 僕がどんな思いでいたか、あなたにわかりますか? あなたは僕を後継としか見ていないし、母上は見ようともしなかった。その上、そんなあなたの尻拭いをする羽目にもなった。僕はあなた方の都合のいい道具じゃない!」
コンラートは義父に怒鳴った。義父はコンラートに頭を下げる。
「本当にすまなかった……」
「……っ」
コンラートはいきなり立ち上がると、勢いよく応接室を出て行ってしまった。
「コンラート!」
私も慌てて立ち上がって追いかけようとしたけど、義父を置いていっていいものかと思わず義父の顔を見た。
義父は小さく笑う。
「……私のことなら心配いらない。君たちがいない間にアイリーンを連れて行ったりはしないから。それよりもあいつを追いかけてくれないか? きっと待っているだろうから」
「お義父様……ありがとうございます」
私はお礼を言って、すぐにコンラートの後を追った。
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