最悪の結果
よろしくお願いします。
「お義母様? お義母様!」
目を覚ましても起き上がることなく天井を見続ける義母にすがりつき、私は必死で呼びかけた。だけど、聞こえていないのか、反応がない。
後ろを振り返って、コンラートにも訴える。
「コンラート、お義母様が……!」
青い顔で呆然としていたコンラートは、私の呼びかけで表情を改めると、同じように義母に呼びかける。
「母上! しっかりしてください! ……だめだ、反応がない。すぐに医者の手配をするから、ユーリは母上を見ていてくれるかい?」
「ええ、お願い……あと、お義父様にもすぐに連絡した方がいいと思うわ」
私の心は義父への怒りでいっぱいだった。
男爵夫人を弄び、義母を追い詰め、コンラートまで歪めたこと。到底許せるものではなかった。
今の義母の姿を見て、それでも反省しないようなら、私は伯爵家の力を使ってでも追い詰めてやりたい。そのくらい憤っていた。
「そうだね、すぐに手配するよ!」
コンラートは慌ただしく寝室を出て行った。私は義母の手を握って、話しかける。
「お義母様、ようやくコンラートとわかり合えるかもしれないんですよ? だから、戻ってきてください……!」
実の母のように私を叱って優しくしてくれた人。このまま失いたくはない。話しかけるけど、それでも虚ろな目で一点を見続ける義母に、涙が溢れてきた。
「こんなことって、ないわ……私はもう、失いたく、ないんです……!」
どうすればこの声が届くのかわからないまま、声が枯れるまで呼び続けた。
◇
その後、義母を医者に診せても、すぐによくなるものではないと言われ、時間が解決してくれるのを待つしかできないことが歯痒かった。
「……僕の、せいだ」
コンラートが義母の前で呟いた。私は思わず否定する。
「あなたのせいじゃないわ。お義母様はずっと誰にも相談できずに耐えていたのだと思う。そこにお義父様の最悪の裏切りを知ってしまったから……」
義母は心のバランスを崩しかけていたから、愛人に逃げていた。考えたくはないけど、そうなると環境が変わらない限り、遅かれ早かれこうなっていたかもしれないのだ。
「……僕はこの人を許せないと思っていたよ。だけど、こんなこの人を見ても、全然気が晴れないんだ」
「……思いが深い分だけ、許せなくなるものかもしれないわね。ずっとお義母様に気づいて欲しかったのよね? それだけお義母様が好きだったっていうこと。その気持ちがまだ残っていたのではないの?」
私の言葉を否定するかと思ったけど、コンラートは項垂れて同意する。
「認めたくはないけど、そうなのかもしれない……」
今のコンラートに義母との会話を言うと、反対に追い詰めるだろうか。悩んだけど、私は話すことにした。
「……実はね、お義母様、あなたとの向き合い方がわからなくて悩んでいたの。それで、私と一緒に考えるって話していたのよ」
「……わからないなら僕に聞けばよかったんだ」
「これまでのあなたがお義母様がやり直したいって言って、本当に聞いてくれた? お義母様にはわかっていたのよ」
コンラートは泣きそうに顔を歪めた。
「……どうしてこんなことに……」
私はただ、コンラートの手を握りしめることしかできなかった。
◇
そして翌日、義父がやってきた。子爵領からは休憩を入れたら馬車で二日はかかる。それを一日半で来たということは、それだけ義母を思ってくれているのだと信じたい。
「どういうことだ!」
焦燥を滲ませて、義母の部屋に大股で義父は入ってきた。傍についていた私とコンラートは立ち上がる。
コンラートは沈鬱な表情で義父に説明した。
「……見ての通りです。母上は目を覚ましましたが、反応がありません。ただ、食事は口元に食べ物を持っていけば食べてくれるので、それでなんとか……」
「どうしてそんなことに……」
「……私たちのせいですよ。父上が仕出かしたことを、私がバラして追い詰められたんだと思います」
コンラートの言葉に義父は怪訝な顔になる。
「私が一体何をしたというんだ」
何をしたか?
この期に及んで自覚がない義父の言葉は私を怒らせるには充分だった。
男性には従うもの、当主に逆らってはいけない。
だから何だというのか。誰もがそうして諌めなかった結果がこれだ。
コンラートも同じことを思ったのか、声を荒げる。
「あなたが恩人の娘にしたことですよ! 母上に対する最悪の裏切りで、クライスラー男爵夫人を自殺未遂にまで追い込んだ!」
コンラートは興奮が抑えきれず、肩で息をしている。それから深呼吸をして、続けた。
「……本当はクライスラー男爵夫人の気持ちを考えたらあなたに話すべきではないのかもしれません。ですが、私はあなたにあの方の苦しみを思い知って欲しいんです。ニーナ・クライスラー男爵令嬢はあなたの血の繋がった娘です。もう結婚したのでクライスラーではありませんが。母上にもそのことをお伝えしました」
義父の顔色が変わった。そんなわけがないと否定することなく、神妙な顔で頷く。
「……そうか」
コンラートは目を眇めて義父に詰め寄る。
「それだけですか? ユーリの話では母上はあなたの浮気に心を痛めて、ご自分も愛人を作ってそれを逃げ場にしていたようです。あなたによく似た私を見るのも辛いくらいに追い詰められて」
「それは違う。彼女は政略結婚だと初めから割り切っていた。だから自由にすればいいとお互いに取り決めたはず」
これにコンラートは黙ってしまった。コンラートも義母のことを知らないのだ。だから恐る恐る私が代わりに答えた。
「……あの、お義父様。お義母様は素直に言えなかったのだと思います。誰もが我慢しながら義務に耐えているのだから、自分もそうしなければならないと思ったのではないでしょうか」
「その結果が……」
義父は義母に視線を向けて、言葉を失っていた。顔を歪めているところを見ると、自分のしたことに何らかの感情は抱いているのだと思う。
そして、コンラートは義父に尋ねた。
「……それで父上はどうするおつもりですか? 子爵夫人として義務を果たせない母上を離縁しますか?」
「なっ……! そんなことをするはずがないだろう! お前は一体私を何だと思っているんだ!」
憤慨する義父をコンラートは睥睨する。
「子爵家当主でしょう? 責任のためには使えないものは切り捨てる。私も母上も、クライスラー男爵夫人、ニーナだってあなたの手駒に過ぎない。利用するだけして簡単に捨てるのが、あなたという人だと思っていますよ」
「……」
「どうしてクライスラー男爵夫妻が私にニーナのことを打ち明けたと思いますか? あなたに大切な娘を奪われたくなかったことと、奪われて都合のいい政略の道具にされることが忍びなかったからですよ。生まれた時点で勝手に責任を負わされ、縁談も制限つき。それでも男爵家の娘として生きることを、ニーナ本人が選んだ。それもこれもあなたの無責任な行動のせいでしょう!?」
義父はコンラートの言葉に言い返さなかった。それが意外だった。
本当に家族を手駒だと思っている人が、義母の姿にこんなにショックを受けるだろうか。コンラートが義母を見誤っていたように、それぞれが勝手に相手を枠にはめてすれ違っていただけではないか。私が勝手に期待しているだけだとしても、そう思いたかった。
「……そうだな。実際に目の当たりにしたら認めるしかないだろう。それで私にどうしろと言うんだ?」
反省をしていないようにも聞こえる義父の尊大な言葉にコンラートは激高して掴みかかった。
「何を開き直っているんですか! それはご自分で考えることでしょう! あなたは母上をどうするおつもりですか!」
義父はコンラートの手を鬱陶しそうに振り払って不快そうに眉を顰めた。
「……お前が言ったんだろう。私がお前たちを手駒と考えて簡単に切り捨てると。お前は私をそんな人間だと思っていたんだろうが、私にも人の心はある。こうなった妻を見て心が痛まないと思うのか?」
読んでいただき、ありがとうございました。




