突然の呼び出し
よろしくお願いします。
「失礼いたします。ユーリ様にこちらを預かってきました」
そう言って朝食後に本邸を訪ねてきたオスカーが差し出したのは一通の手紙だった。それを見た義母の表情が険しくなる。
「……コンラート。オスカーを使ってどういうつもりなのかしら」
「奥様、手紙の名前をご確認ください。私はコンラート様の遣いとしてこちらにうかがったわけではございません」
そう言われて私はすぐに名前を確認した。それは新婚旅行から帰ってからしばらく音沙汰のなかった兄だった。
「お兄様だわ。だけど、どうして……?」
手紙を開いて内容を読む。詳しい内容は書いていなかったけど、一人で伯爵家を訪ねるようにということだった。
「日にちは今日の午後になってる……オスカー、すぐに返事を書くから少し待ってもらえるかしら」
「かしこまりました」
私はすぐに返事を書くと、それをオスカーに渡した。
「それでは失礼いたします」
「ちょっと待って」
そのまま去ろうとするオスカーを私は思わず引き留めた。オスカーは不思議そうな顔で振り返る。
「どうかなさいましたか?」
「いえ、コンラートに言われて来たわけではないの?」
「はい、そうですが……」
オスカーの返事に内心がっかりしていた。期待しないと思っていてもまだ割り切れていない自分に呆れてしまう。やっぱりコンラートにとって私は、と思いかけると、オスカーが続ける。
「コンラート様が追い返されるもので、僭越ながら私が代わりに行きましょうかと申したところ、自分で行かないと意味がないと仰られました。それと、これは独り言ですが、コンラート様は落ち込んでいらっしゃいます」
「あの子も一応考えてはいるのね。ただ、まだ会わせる気にはならないのだけど」
「奥様は手厳しいですね」
「何の説明もなく、別の女性とこそこそ浮気を疑われるようなことをするあの子が悪いとは思わない?」
オスカーは言葉に詰まった。それから義母の機嫌を損ねないように気を遣っているのか、考えながらゆっくり話し始めた。
「コンラート様にも何か事情があるのだと思います。ユーリ様にも話していないことを私が知るわけもございません」
「……あなたは誰の味方なのかしら?」
義母がうっそりと嗤う。薄ら寒いその笑顔に私の背筋が寒くなったけど、それ以上にオスカーが慄いていた。
「もちろん子爵家の味方でございます」
「うまく逃げたわね。まあ、いいわ」
「それでは私はこれで失礼いたします」
そう言うとオスカーは慌てて去って行った。
オスカーの後ろ姿を見送った後、私は義母に向き直った。
「お義母様、そういうわけですので、本日はお休みをいただいてよろしいでしょうか?」
「ええ。わたくしのことは気にせず行ってらっしゃいな」
「ありがとうございます」
私は義母にお礼を言って、出かける用意を整えた。
◇
「ああ、ユーリ。呼びつけて悪いな」
「それはいいのですが、一体何事ですか?」
伯爵家の応接室で向かい合って座るなり、兄が軽い口調で言った。てっきり大変なことが起きたから呼ばれたと思っていたので、拍子抜けだった。まあ、何もないに越したことはないのだけど。
「いや、まあ、ちょっと先日の茶会のことを小耳に挟んでな……」
歯切れ悪く話し始めたのはメリッサ様とのことだった。本妻と愛人が対決したと、既に噂になっているのかと思うと頭が痛い。私は胸に溜まった空気を吐き出すように重い溜息を吐いた。
「それでお兄様はわざわざ事実を確かめるために私を呼んだのですか……」
「それは違うぞ。またお前が思い詰めているんじゃないかと思ってな。事によってはしばらく伯爵家にいさせてもいいと父上とも相談したんだ」
兄の言葉に私は眉を顰めた。心配してくれるのは嬉しいけど、私よりも優先すべきことがあるはずだ。
「それはできません。結婚してすぐに実家に戻るのは外聞が悪過ぎます。お兄様は伯爵家の評判を落としたいのですか?」
「評判なんてこれ以上ないほど悪いだろうが。没落手前の伯爵家だぞ?」
「お兄様が今頑張ってその汚名を返上しようとしているのではないですか。そんな時に私が足を引っ張りたくはありません」
きっぱりと告げる私に兄は苦笑した。
「お前はそういう奴だよ。だけど、クライスラー男爵令嬢とコンラートのことはいいのか?」
「いいも何も……私には関係ないことですから」
話しながら胸が締め付けられる。コンラートにとって私はニーナほど重きを置いていない、そういうことだと、私は自分に言い聞かせる。すると兄が眉を顰めた。
「お前はまだそんなことを……」
「誤解しないでください。私はちゃんとぶつかった結果、失恋したんです。それに、コンラートとニーナ様の会話も聞いてしまいました。これ以上私にはどうしようもありません」
「そうか……」
それ以上兄は何も言わなかった。沈黙と兄の同情の視線が痛い。私は明るい声で話題を変えた。
「そんなことよりも、事業の方は順調ですか?」
「あ? ああ。工房を開くなら天然材料の豊富な伯爵領の方がいいから、とりあえず父上には伯爵領に帰ってもらって店舗候補の視察をお願いしている。父上が王都にいると、また貴族どもに食い物にされそうだしな」
兄は苦々しげに吐き捨てた。母の死から大分立ち直った父だけど、やっぱり騙されやすい。領地ならさすがに領主をカモにしようという輩はいないだろう。そんな兄の苦労が偲ばれる。
「お兄様も大変ですね」
「お前もな。お互い様だろう」
悩みは違えど抱えている荷物は同じ。貴族としての責任という奴だ。私たちは顔を見合わせて溜息を吐く。
「順調ならよかったです。お話がそれだけなら私はこれで……」
ソファから立ち上がって扉に向かった私に、背後から兄が問うた。
「お前はコンラートをまだ好きなんじゃないのか? それで本当にいいのか?」
私は立ち止まって考えた。
好きだからといってどうにもならないことだってある。それに義務の前には個人の気持ちなんて瑣末なことだ。理性でわかっていても、まだ感情がついていかないのか、目の奥が痛んだ。それでもぐっと堪えて笑顔を作り、振り向いた。
「もういいんです。私はもう気持ちを返してもらえるなんて期待はしませんから。貴族にとって大切なのは感情ではなく責任でしょう?」
「ユーリ……」
兄は何かを言おうと口を開いてまた閉じた。それで話は終わったのだと思い、私は兄に「失礼します」とだけ言って、伯爵家を後にした。
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