義母の願い
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義母は有言実行で、その日はひたすら人の名前とその人の背景、子爵家や商会との関係を聞かされた。
私も一応伯爵家の娘だから貴族なら大抵頭に入っているつもりだった。だけど、私の視点と義母の視点では違う。義母の説明に目が覚める思いだった。
正直に言えば他人の噂話の何が面白いのかわからなかったし、その噂を分析していかに自分たちが有利な立場に立つかという遊戯にも興味はなかった。
私がそんなことを言うと、義母は冷たい目で私を睥睨した。
「甘いわね。いつ足元を掬われるかわからないのよ。あなただって最近のお茶会で洗礼をくらったでしょう? 貪欲にならないと生き残れないと思いなさい」
「……そうですね。ですが、私は父や兄がいなければ平民になってもいいと思っていました」
本心を吐露すると、義母の目つきが更にきつくなった。
「ふざけないで」
「え?」
「なってもいいって何様のつもり? あなた平民を見下しているの? わたくしたちが貴族でいられるのは彼らのおかげでしょう。その思い上がった考えがそもそもの間違いなのよ」
確かにそうだ。こんなに辛い思いをするなら平民になりたいなんて、それじゃあ平民は苦労していないのかということになる。自分の考えが恥ずかしくなって、私は義母に頭を下げた。
「申し訳ありません。やっぱりお義母様に教育をお願いしてよかったです。これからも私が間違えたら教えてください」
「まったくもう……」
義母は呆れたように呟いて苦笑した。
「これだから毒気を抜かれるのよ。わかっていたけどあなたに腹芸は無理ね」
それは私を見放すということかと、私は慌てて居住まいを正した。
「いえ、できます。だからお願いします」
「別に悪いとは言ってないでしょう。貴族には確かに向いてないけれど」
「そんな……」
役目をこなさなければ、ここに私の居場所はない。そうなると伯爵家を立て直すために頑張っている兄の足を引っ張ることになる。力不足を痛感した私は俯いて唇を噛み締めた。
「だけど商売人としてはいいわよ、あなた」
「お義母様?」
「商売っていうのは信用が大切なのよ。あなたの見る目や、人柄、そういったものはその方面で活かせると思うわ。それに、奉仕活動でもね。わたくしのような子爵夫人を目指さなくてもいいの。あなたはあなたにできることで頑張りなさい」
目元を和らげて義母は言った。飴と鞭。これが義母の教育方針なのだろうか。一旦は落ちた気分もその言葉で上がった。我ながら単純だとは思う。
だけど、また義母は一言追加する。
「だからといって教育に手を抜くつもりはないわよ」
「はい」
苦笑しつつも、私はその後も義母にしごかれたのだった。
◇
「今朝も来ていたから、追い返しておいたわ」
翌日、義母と朝食をとっていると、義母が何気なく口にした。誰をと聞かなくても、間違いなくコンラートだとわかる。
「そうですか」
しばらく私と顔を合わせるのも嫌がっていたのに、どういうつもりなのだろうか。会ったところで何も変わりはしないだろうに。
彼にとっては私は道具。ニーナとは何でもないなんて言われても、浮気男の常套句にしか聞こえない。だけど、彼女が本気の相手なのだから、この場合私が浮気になるのか。本妻が浮気相手というのもおかしなことだ。自嘲するように笑ってしまった。
「もしかして会いたかったの?」
「いえ、ただ不思議で。この間までは私が追いかけていたんです。新婚旅行から帰ってから、しばらく避けられているみたいだったので。聞いても何もないとしか言いませんでしたし。今回のことは起こるべくして起こったんだと思います」
「そう。しばらくは会わない方がいいのかもしれないわね。お互いのために」
「ですが、コンラートはどうして私に会いに来るんでしょうか? 今の方が彼にとっては都合がいいと思うのですが……」
避けたり近づいてきたり、彼の行動には一貫性がない。そこにもやもやする。
「わたくしにわかるわけないでしょう。あなたよりもコンラートという人を知らないのだから」
義母は面倒くさそうに吐き捨てる。だけど、それがどこか寂しそうで、義母がコンラートとの距離の取り方を間違えたことを後悔しているのかもしれないと思った。
「……お義母様はコンラートと話したいと思わないのですか?」
唐突に変わった話題に、義母は怪訝に私を見返す。
「話しているわ。今日だって追い返したのだし」
「私が言いたいのはそういうことではないと、頭のいいお義母様ならわかっていらっしゃるはずです」
真っ直ぐ義母を見返すと、さっと視線をそらされた。
「……わたくしが今更何を言えるというの? ずっと無関心であの子に優しい言葉一つかけたことのない母親よ? そんな人間が話す言葉なんて届くわけないじゃないの」
義母は目を伏せて自分を嘲る。その姿は以前の私のようだった。
どうせ届かないと諦めているくせに、心の底ではわかり合いたいと願っている。その証拠に義母は私と接点を持った。本当にコンラートとのことを諦めていたら、コンラートの妻である私にこんなに親身になってくれなかったはずだ。
自分と重なったから。寝覚めが悪いから。全ては後付けの理由に思える。
結局は義母だってコンラートに拒絶されるのが怖いだけなのではないだろうか。
私は義母を怒らせる覚悟で聞いた。
「逃げるのですか?」
「ユーリ? 何を……」
「私もどうせコンラートはニーナ様を思っているのだから、私の気持ちなんて届かないと諦めていました。ですが、私は勇気を出して気持ちを告げました。その結果こうなったことは辛いです。それでも勇気を出した私をダメだとは思いません」
逃げていた私の背中を押してくれたのは、兄や父の言葉だった。だけど、義母にはそんな人がいなかったのだろう。だからこそここまで家族がバラバラになってしまった。
私のような小娘が何をと思われるかもしれないけれど、私は義母を知って少しでも力になりたいと思った。
「……私はお義母様の気持ちを知って、お義母様の行動が理解できました。ですが、コンラートはお義母様の気持ちを知らないんです。今のコンラートには確かにお義母様の言葉は届かないかもしれません。でも、それで諦めて逃げるのですか?」
最後の言葉に義母は反応して激昂した。
「……あなたみたいに恵まれている人に何がわかるの! 一人でこの冷たい家に押し込まれたわたくしの気持ちなんてわからないでしょう!」
「ええ、わかりません。私には理解してくれる家族がいましたから」
「それなら!」
「ですが!」
義母の言葉を私は怒声で遮った。その勢いに義母は黙る。それで私は深呼吸して続けた。
「私は大切な母を早くに喪くしました。母の晩年には私は感情を殺すようになっていました。わがままを言ったら嫌われる、負担をかけたらいけない、そうして私は母と接することが少なくなりました。今は生前もっと話せばよかった、もっと一緒に過ごしたかったと後悔しています」
義母は黙って私の言葉を聞いている。だけど、私が本当に言いたいのはこのことではない。それが義母に届けばいいと思う。
「人は皆、いずれ死ぬのです。違うのはそれが早いか遅いかだけで。わかり合おうと努力しないまま、大切な人を失っていいのですか?」
義母は目を瞠り、眉を寄せて俯いた。そして力なく呟く。
「……そんなのわかっているわ。だけど、どうすればいいか、わからないのよ……」
「私がいます」
義母は顔を上げて私を見る。向けられた頼りなげな視線に私の胸は痛んだ。私は義母に笑いかけた。
「一人で考えるより、二人の方が考えが広がります。二人で考えましょう? お義母様が言ったんですよ。私とコンラートのことを考えなくて済むように忙しくしてくださるって」
義母は目を瞬かせると、笑った。
「そうだったわね。だけど結局コンラートのことを考えているから意味がないような気がするのだけど」
「私とコンラートの関係を、でしょう? お義母様とコンラートの関係だから当てはまらないのではないですか?」
「そういうのを屁理屈と言うのよ」
「かもしれませんね」
声を立てて笑う義母の表情は明るくなっていた。私には義母やコンラートの気持ちを理解できないかもしれない。それでも、二人のために何かできればいいと思う。
私の中に残っているコンラートへの気持ちは、そう簡単に消えるものじゃない。結局はコンラートのためにできることを探している自分が哀れで悲しく思えた。
読んでいただき、ありがとうございました。




