重なる背景と義母の本心
よろしくお願いします。
その後、義母は私に何も聞かず、客室に寝かせてくれた。心が休まらなくて眠れないと思っていたけど、予想に反して眠っていたようだ。
目を覚ますと、心配そうに私の顔を覗き込んでいるサラと目があった。
「……おはよう」
「おはようございます。お腹は空いていませんか?」
「どうかしら……起きたばかりだからわからないのだけど。私、どのくらい眠っていたの?」
「今日は次の日の朝です、と言えばわかりますか?」
その言葉に驚いた。半日以上眠っていたことになる。
「そんなに眠っていたの……」
そうして気づいた。それならコンラートとニーナはどうしたのだろうか。起き抜けであまり頭が働いてないながらも自分がしたことに青褪めた。
招待したのに客を放っておくなんて言語道断だ。
「ニーナ様はどうしたの?」
「クライスラー男爵令嬢なら私がユーリ様の体調が悪くなったことをお伝えしたら帰られました。最後にお大事にと仰っていましたよ」
「そう。申し訳ないことをしちゃったわね」
結果的に振り回してしまったことを私は反省した。
ニーナを憎めたらよかった。だけど、彼女は何もしていない。コンラートがニーナのためにしたことだ。仕事を抜け出してまでニーナを止めにきたコンラートの姿を思い出して私はサラに聞いた。
「……コンラートは?」
「……昨日も今朝もユーリ様の様子をうかがいにこちらに来られていましたが、子爵夫人が追い返していました」
「お義母様が……お義母様にも迷惑をかけてしまったからお礼とお詫びを言いたいわ。お義母様に会えるかしら?」
サラに尋ねると、サラはすぐに確認をしに行ってくれた。そうして静寂に包まれる。
もう涙は出なかった。私の心を諦めが占めてしまって、全てが空虚に思えた。
たかが愛。そんなもののために私は足掻いていた。だけど、もう愛なんて必要ない。私に必要なのは私を縛る義務だけ。
強くなりたい。今の私にはそれしかなかった──。
◇
それからしばらくして義母が客室に来た。義母はベッドサイドの椅子に座ると、ベッドヘッドにもたれた私に尋ねる。
「ユーリ、気分はどう?」
「すっかりよくなりました。ありがとうございます。それに昨日、あの後お義母様が色々してくださったのですよね。重ね重ねありがとうございます」
「いえ。あなたをここまで追い詰めた責任はわたくしにもあるもの。蛙の子は蛙だった、そういうことかしら……」
義母は苦々しげに言った。だけど、コンラートと義父は違う。コンラートにはニーナという大切な人がいた。私はその彼女を守るためにいるだけだ。
「……違います。コンラートには大切な人がいた。私はその人を守るための道具だった。ただそれだけです」
口にしても何の感情も湧いてこない。ただ淡々と事実を話す私に義母は目を伏せた。
「……やっぱり同じ道を辿るのね。わたくしも愛されたいと願ったことがあるわ。だからあの人のために役目を果たそうと躍起になった」
「お義母様、それじゃあお義父様を……」
義母は小さく笑った。その笑顔は今にも消えそうな儚いものだった。これが本当の義母の姿なのかもしれない。
「……ええ。愛していたわ。政略結婚だとしても、あの人と幸せな家庭を築きたいと思うくらいに。だけど、あの人はわたくしを求めてはくれなかった。だから、わたくしはわたくしを必要としてくれる人に逃げてしまった」
「それならコンラートがいるではありませんか」
「……以前あなたに聞いたでしょう? コンラートが浮気したとしてもコンラートとの子どもを愛せるかと。わたくしは振り向いてくれないあの人を憎むようになった。そんなあの人の面影を宿すコンラートを愛せる自信がなかった。だからといって酷いことをしたくはなくて距離を置いた」
愛しているから憎い。その気持ちはわかる。そしてその気持ちをコンラートにぶつけるのではないかという怖さも。
だけど、人の気持ちは変わるものだ。それなら今はどうなのだろうか。そう思って聞いてみた。
「……今も同じ気持ちですか?」
「それはまだあの人を愛しているかということ? それともコンラートが怖いかということ?」
「両方です」
義母は眉を寄せてしばらく間を置いてから首を振った。
「……どちらもわからないわ。耐えるうちに歪んでしまったのでしょうね。自分の気持ちを見失ってしまったわ。今のわたくしは中身なんてないのかもしれない」
「そうですか……」
だからこそ義母は愛人に愛を求めたのだろう。満たされない空虚な心を埋めるために。
「……お義父様に気持ちを告げなかったのですか? そうすればお義父様だって……」
「……言ったところで意味がないわ。あの人にとって大切なのは家と義務。そのためなら女性を利用することだって厭わない。あの人の愛人を見ていればわかるわ。どなたも仕事上で利益を与えてくださる方ばかり」
興味のないふりをしていても、気にしてしまう義母の気持ちが痛いほどわかった。
人の気持ちなんてそう簡単に割り切れるものじゃない。俯く私に義母は言う。
「あなたはわたくしのようになってはダメよ。代わりの愛なんて虚しいだけ。夫に見向きもされず息子に軽蔑される人生に楽しみなんて見出せない。そうしてまた心の隙間を埋めるために偽りの愛を求めるのよ」
私には返す言葉が見つからなかった。義母の苦しみは、私も女で、コンラートとニーナを目の当たりにしてしまったからわかる。
だからといって、それなら義父やコンラートと関係を改善すればいいなんて簡単には言えない。
コンラートが義母をどう思っているか、前に聞いてしまったからだ。それに義父の人となりを知らない。
そんな私に義母は笑う。
「あなたがそんな顔をすることはないわ。わたくしは自分でそういった道を選んでしまったのだから。それにしても皮肉ね。親子揃って選んだ方が血縁だなんて」
「え? お義母様、それは……」
義母が最後に言ったことが引っかかって、私は義母に問い返そうとした。だけど、義母は急に話を変えた。
「それよりも、ここのところちゃんと食べてないのでしょう? 軽いものだけでも食べた方がいいわ」
「はい……」
それから義母は食事の手配をしてくれ、私は軽く食事をとっているうちに義母に尋ねようとしたことを忘れてしまった。
◇
「ごちそうさまでした」
食べている間も義母は傍にいてくれた。わかりにくい方だけど、優しい方だと思う。もしくは、私を自分と重ねて同情しているのかもしれない。
メイドが食器を片付けて部屋を出て行き、私、サラ、義母の三人になると、義母が提案した。
「……考えたのだけど、しばらくここにいればいいわ。どうせ子爵夫人としての教育もあるからこちらに通うことになるでしょうし、あちらに帰って精神的に追い詰められてあなたが壊れてしまったら、わたくしの寝覚めが悪いもの」
「ですが、私は義務を果たさないと……」
それこそ私の存在意義がなくなってしまう。私が今こうしていられるのは、まだ与えられた役割があるからだ。
義母は溜息を吐いた。
「本当に融通の利かない人ね。別に義務から逃げろと言っているわけではないわ。これは英気を養うための時間だと思いなさい。何もコンラートの傍にいることだけが次期子爵夫人としての仕事ではないの。それにそんな状態で夜の求めに応えられると思って?」
「……それなら心配ありません。しばらく避けられていましたから」
私は自嘲するように笑う。義母はそんな私を憐れむでもなく、畳み掛ける。
「それなら余計にちょうどいいじゃないの。コンラートのことを考える暇がないほどに忙しくしてあげるわ」
「……コンラートが承知するでしょうか? 私の様子をうかがいに何度かこちらに来ているのでしょう?」
コンラートがどういうつもりで本邸を訪れているのかはわからないけど、今の私の決定権はコンラートにある。それは結婚したときに決まっているのだ。
義母は鼻で笑った。
「わたくしは子爵夫人よ。コンラートよりも立場が上なの。わたくしが決めたことにあの子は逆らえないわ」
逃げるのではなく、向き合うために離れる。それもいいのかもしれない。私は義母の提案に頷いた。
「そう、ですね。それならお言葉に甘えさせていただこうと思います。ですが、期限はいつまででしょう?」
「そうね……わたくしの気分次第かしら。飽きたらやめるわ」
気紛れに見えるけど、きっと義母は私がコンラートと向き合っても大丈夫だと思えるまで付き合ってくれるのだろう。
そんな義母の優しさに私は感謝するのだった。
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