気づきたくなかった事実
よろしくお願いします。
「何のことでしょう? わたくしには心当たりがないのですが……」
しばらく黙っていたニーナが口を開いた。私にはニーナが本当のことを言っているのかわからなかった。
メリッサ様は相変わらず笑顔を浮かべているが、目は笑っていない。彼女は更にニーナに問う。
「本当ですの? 大切なあなたを守るためにコンラート様はユーリ様と結婚したとわたくしはうかがったのですが……」
「それは違いますわ。どなたが仰ったかはわかりませんが、ユーリ様と結婚することがわたくしを守ることになる理由になっておりませんし」
ニーナの言う通りだ。確かに実家はニーナやコンラートよりは格上かもしれないけど、婚約前は爵位返上も視野に入れるほどに困窮していた。そんな状態で一体何からニーナを守るというのか。
私もニーナの言葉に頷いた。
「確かにそうですわ。ニーナ様を守りたいなら、なにもロクスフォード伯爵家を選ぶ必要がないと思いますわ」
特に他意はなかったのだけど、メリッサ様の表情が変わる。私を睨みつけた後、みるみるうちに涙を浮かべた。
「……そうやってお二人で結託してわたくしを攻撃するのですね。わたくしはユーリ様の味方でしたのに、わかっていただけないとは思いませんでした……」
「メリッサ様……」
「お可哀想に」
ハラハラと涙を流すメリッサ様を立ち上がって近づいてきた令嬢たちが取り囲んで、私とニーナを非難がましい目つきで見ている。
メリッサ様が演じているのをわかっていても、彼女には逆らえないからだろう。周囲にいるのはメリッサ様よりも格下の子爵家や男爵家の令嬢たちだ。
失敗した。義母の呆れ顔が目に浮かぶ。私は慌てて頭を下げた。
「申し訳ございません。メリッサ様を傷つけるつもりはありませんでした。ただ、わたくしにはそこまでの力がないと言いたかっただけなのです」
「名門ロクスフォード伯爵家の方が何を仰いますの。あなたのお兄様も優秀で立て直しは順調だとうかがいましたわ」
メリッサ様はあくまでも私に利用価値があるからコンラートが私を選んだと思っているようだ。それは強ち間違いではないけれど。
コンラートは手に入れたいものがあるからだと言っていた。だけど、それがニーナだとしたら辻褄が合わない。彼女を手に入れたいなら真っ向から男爵家に申し入れればいいだけの話だ。コンラートは格上の子爵家なのだから。
敵対勢力だからとはいえ、子爵家の財政状況を鑑みると、得の方が大きいから、断る理由が見当たらない。考えてもやっぱり私にはコンラートの考えがわからなかった。
だけど、家の実情を話すわけにはいかない。伯爵家の再建が順調だと不都合な方がここにはいるのだ。私は曖昧に言葉を濁した。
「ありがとうございます。兄も頑張っておりますわ。とはいえ、わたくしは他家に嫁いだ身ですので、詳しくはわからないのですが」
「誤魔化さなくてもわかっております。そうでなければコンラート様がわざわざあなたを選ぶ理由がありませんもの。やはり名門ロクスフォード伯爵家の威光には逆らえないということでしょうね」
メリッサ様の言葉は段々と露悪的になってきている。私とニーナが彼女の思う通りに動かないせいだろう。だけど、あまりにもあからさまな嫌味のおかげで反対に冷静になれた。
私は笑顔を浮かべて答えた。
「ええ、そうかもしれませんわね。帰ったら夫に尋ねてみようと思いますわ」
「なっ……!」
メリッサ様の顔が怒りに染まる。この時点でメリッサ様の負けだ。感情をあからさまに出してしまっては相手に付け込まれてしまう。彼女もそれをわかっているのか、悔しそうに歯噛みした。
「……これで勝ったとは思わないでくださいませ。わたくしは真実しか話しておりません。あなたは所詮噂だと高を括っていらっしゃるのでしょうけど、その結果裏切られることになっても、わたくしは慰めたりしませんわ」
「心配してくださってありがとうございます。わたくしは真実は見方によって変わると思っております。ですから、メリッサ様が耳にしたことは、メリッサ様にとっての真実であって、わたくしにとっての真実ではないのです。わたくしはニーナ様と、夫を信じたいと思います」
そう話しながらも、私は私に問いかけていた。
結婚前のニーナとコンラートの仲の良さや、最近のコンラートの態度、そして先程聞いた、毎日クライスラー男爵家へ通っているという噂。
──私は本当に信じているの?
次から次に湧いてくる疑念に蓋をしているだけなのかもしれない。
それでもこの衆人環視の中で付け入る隙を与えるわけにはいかないのだ。ここには今のロクスフォード伯爵家を面白く思わない方が何人もいるのだから。
そもそも家名は領地に由来する。だから私の父が爵位を返上した時点で、私たちはロクスフォードではなくなる。つまり、次に国から領地を与えられた者が次代のロクスフォード伯爵になるというわけだ。
それにその時点で、私の伯爵家の娘という価値はなくなる。コンラートに離縁されてもおかしくないのだ。見目がよく、将来有望なコンラートの妻になりたい女性は少なくない。
誰も彼もが敵に見える、そんな現実にうんざりする。
迷いのない目でメリッサ様をじっと見ていると、メリッサ様が目を逸らした。
「……興ざめですわね。わたくしには関係ないことですけれど。皆様、お騒がせして申し訳ございません。引き続き楽しんでくださいませ」
メリッサ様がそう言うと、周囲の令嬢たちが席に戻り、歓談を始めた。
「ユーリ様、せっかくですからお茶とお菓子をいただきましょう」
隣のニーナがぎこちない笑顔で私に話しかけてきた。私も笑い返すけど、どこか空々しい空気を感じずにはいられなかった。
「ユーリ様、このお菓子美味しいですわ」
「ええ、そうですわね」
ニーナの言葉に相槌を打ちながらも、私の脳裏には先程のニーナの様子が浮かんでいた。
彼女は愛人だという噂は否定しても、毎日通っていることは否定していなかった。
それにコンラートはそのことを一言も言ってなかった。ただ毎日忙しそうに動き回っているだけだ。
──私と話す時間はなくても、ニーナには会いに行くのね……
虚しくて、振舞われたお茶やお菓子の味を感じられなかった。
本当に私と彼は同じ気持ちなのだろうか、と思いかけて私は気づいてしまった。
彼は一言も私を好きだとは言ってないことを──。
読んでいただき、ありがとうございました。




