思わぬ再会
よろしくお願いします。
旅行四日目の今日は、昼過ぎに兄とコンラートが女性の家に出かけることになった。本当は私も行くつもりだったけど、知識のない私がいると話が進まないからと、留守番することになったのだ。
「行ってらっしゃい」
「ああ、行ってくるよ。せっかくの旅行なのにごめん」
玄関ホールで見送る私にコンラートが申し訳なさそうな顔で言う。だけど、コンラートのせいじゃないのに謝るのはおかしい。私は首を振った。
「あなたのせいじゃないわ。寧ろ私のせいなのに。伯爵家の事情にあなたを巻き込んでごめんなさい」
「いや、これは商会の仕事でもあるから、僕にも関係があるんだ。だから謝らなくてもいいよ」
「ほらコンラート、さっさと行くぞ」
挨拶を交わす私たちの横を兄はさっさとすり抜けて行った。
「それじゃあ、なるべく早く帰ってくるから!」
コンラートは慌てて兄の後を追いかけて行った。見送っていたメイドたちも仕事に戻って行き、玄関ホールは元の静寂に包まれた。
「さてと、私はどうしようかしら……」
刺繍をしようかと思ったけど、こんなに天気のいい日に屋敷に籠もるのはもったいない。それなら庭で土いじりでもしようと、汚れてもいい格好に着替えてから庭へ向かった。
◇
「おじいさん、お久しぶ……り……?」
庭の草むしりをする人影に気づいて、私は声をかけた。庭の手入れをしてくれるいつものおじいさんだと思ったけど、白髪もないし、がっしりした体格をしている。
その人は立ち上がってこちらを振り向いた。
「お久しぶりです、ユーリ様。先日は失礼いたしました」
「ええと、あなたは……」
「イアンです。新しい庭師の」
「ああ、そうだった。だけど、どうしてあなたがここに? おじいさんはどこに行ったの?」
彼は王都の伯爵邸で雇われている庭師だ。その彼がどうしてここにいるのか不思議だった。
彼は困った表情で説明してくれた。
「……実はそのおじいさんと仰る人は私の祖父なのです。祖父が体調を崩したので看病のためにエリオット様に休みを願い出たところ、自分も伯爵領に帰るからと、ついでに馬車に乗せてくださいまして。せめて祖父の代わりに働こうと、こうして庭の手入れをしているんです」
「そうだったの。それで、おじいさんの体調はどうなの?」
「良くなっているのですが、年齢が年齢ですから。あまり無理をさせたくはないんです。もう平気だから働くというのを何とか説き伏せてきました」
イアンは苦笑いだ。あのおじいさんは職人気質で言うことを聞かないのだろうと、付き合いの長い私にもわかる。
おじいさんなら断られるかもしれないと思ったけど、イアンなら受け入れてくれるだろう。そう思って私はイアンに言った。
「兄も夫も出かけてしまって暇だから、私も手伝うわ。一人よりは二人の方がいいでしょう?」
私の言葉に、イアンは少し逡巡したけど、頷いてくれた。
「そうですね。ですが、よろしいのですか?」
「何が?」
「汚れますし、手も荒れますよ」
「それは今更だわ。さてと、それじゃあ私は何をすればいい?」
「それじゃあ……」
それから私はイアンと一緒に草を引いたり、水をやったりした。中腰の姿勢で足腰が痛くなったけど、王都で人目を気にしながら生活するよりもずっと、気分がよかった。
「少し休憩しましょう」
しばらくするとイアンがそう言って、どこかに行ってしまった。私は庭に置かれたベンチに腰掛ける。
空を見上げると白い雲がゆっくりと流れて行く。こんな風にゆったりとした時間の流れを感じるのは久しぶりかもしれない。
思いっきり空気を吸い込んで吐き出す。
「はあ……」
「お疲れですね」
いつのまにか戻ってきたイアンの手にはトレイに乗せられたお茶がある。イアンはベンチ付近のテーブルにそれを置き、失礼しますと、私の隣に腰掛けた。
「あなたも疲れているんじゃないの? 庭仕事は重労働でしょう?」
「私は慣れてますから」
「そうなの」
そこで話が途切れてしまった。だけど、初対面に近い人と、どんな話をすればいいのかと悩む。間を持たせようと焦って思いついた。
「あ、そうだ。おじいさんに孫がいるなんて知らなかったわ。一緒に暮らしてなかったの?」
「ええ。祖父の息子である父が、修行のために王都に出て、母と知り合って結婚したんです。そのまま私たち親子は王都に住んでいて、祖父を何度か王都に呼び寄せようとしたのですが、住み慣れた土地を離れる気にならないと一蹴されました。ただ、子どもの頃には何度かこちらに遊びに来たんですよ。それでエリオット様やユーリ様、他の領民の子どもたちとも遊んだことがあります」
「そうなの?」
私は宙を見つめて思い出そうとした。子どもの頃、子どもの頃、と考えても、やっぱり思い出せなかった。申し訳なくて、小さな声で告げる。
「……ごめんなさい。思い出せないわ」
「覚えてなくても当然なので、気にしないでください。それで祖父が仕事を辞めるかもしれないと言った時に私がこちらで代わりを務めたいと言ったら、祖父がエリオット様に話してくれたんです。ただ、こちらに来ようと思っていたところで妻の妊娠がわかりまして。まだしばらくは妻の体調を考えて、王都を離れるわけにはいかないので王都の伯爵邸で雇っていただくことになったんです」
「そうなのね。おめでとう」
「ありがとうございます」
私がお祝いを言うと、イアンは面映そうに頭を掻きながら笑う。もし、私に子どもができても、コンラートはこんな風に笑ってくれるだろうか。そう思うと幸せな気持ちになった。
「……いいわね。父親になるって嬉しい?」
「ええ、嬉しいです。思いがけなかったので初めは驚きましたが」
私の問いにイアンは笑顔で即答する。既婚の男の人の気持ちを知ることがなかった私は、ついつい興味津々でイアンに質問を続けた。
「イアンは結婚してどのくらいになるの?」
「そうですね……二年くらいでしょうか。妻とは元々こちらで出会ったんですよ。実はユーリ様やエリオット様と一緒に遊んだ時の子どもの一人なんです」
「そうなの。それじゃあ付き合いは長いのね」
「ええ。友人としてはですね。ちゃんと付き合い始めたのは彼女が出稼ぎのために王都にきてからになります。というか、私の話ばかりで申し訳ありません。退屈ではありませんか?」
「いいえ。お兄様はまだ独身だし、コンラートの気持ちがわからないから、参考になって嬉しいわ」
聞けば答えてくれるのかもしれないけど、私は未だにコンラートとの距離感が掴みきれず戸惑う。二人ともが臆病だからだろう。イアンはどうなのだろうか。
「ねえ、イアン。奥様とは喧嘩したりする?」
「普通にしますよ。違う人間なんだから当たり前ではないですか」
「だけど、喧嘩して相手に嫌われたらどうしようとか不安にならないの?」
イアンは間を置いて答えてくれた。
「……不安は確かにありました。ですが、話さないとわからないこともあります。私はわかり合おうと努力せずに妻に離れていかれる方が嫌ですね」
「そう……」
やっぱり時には勇気も必要だということだ。私が俯き加減で呟くと、イアンが笑った。
「ですが、ユーリ様は嫌われたくないと不安になるくらい相手の方がお好きなのですね」
「え?」
「私もそうです。妻に呆れられないか、嫌われないかと不安だったのは、やっぱり好きだからなんです。雇用主の方にこんな惚気を言うのもどうかと思いますが」
イアンは恥ずかしそうに苦笑している。
「……そうね。私も好きなの」
「同じですね」
「ええ。というか、恥ずかしいわね」
「本当ですね。それじゃあ、そろそろ休憩は終わりにしましょうか」
「ええ。イアン、ありがとう。話に付き合ってくれて」
「いいえ。ですが、祖父には内緒にしていただけますか? お前はお嬢様に何の話をしているのかと怒られそうなので」
「……言いそうだわ」
「でしょう?」
二人で顔を見合わせて苦笑した。
それからまた二人で作業に戻ると、少ししてコンラートが私を呼びに来た。
「……ユーリ、遅くなってごめん」
「いえ。それじゃあ中に入りましょうか。イアン、どうもありがとう」
「いえ、こちらこそありがとうございました」
イアンに手を振って、私はコンラートと屋敷の中へと帰った。
読んでいただき、ありがとうございました。
追記
私事で申し訳ないのですが、しばらく更新をお休みさせていただくことになりました。再開は三月一日の予定ですが、早めにできればしたいと思っています。
勝手を言って申し訳ありません。




