彼が欲しいもの
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それからあれよあれよという間に婚約が整った。彼が婚約を急いでいたのは本当だった。不思議に思った私はコンラートに聞いてみたが、またはぐらかされてしまった。そんなに隠さなければいけない理由なのだろうか。
整ったのはいいが、書類を提出しても、まだお披露目が終わっていない。そこで、次の夜会でエスコートをしてくれる時に、婚約者として紹介されることになった。
とはいえ、私は心底困っていた。
夜会に着ていくドレスを仕立てるお金すら残っていない。お金は使用人たちの給金になってしまったのだ。
私自身はそれでいいと思っていた。最低限食べることができれば充分だ。むしろ、我が家が困窮して暇を出さざるを得なかった使用人たちに申し訳なく思う。
仕方ないから古いドレスを自分で仕立て直すつもりだったが、コンラートから唐突に言われた。
「明日、仕立て屋を呼んだから屋敷にいてくれ」
「え、あの……」
「君のことだから自分で何とかしようとでも思ってたんだろうけど、ロクスフォード卿から聞いてるんだよ。あと、装飾品や靴はドレスが決まってからにしよう。それでいいね?」
有無を言わせない勢いに圧倒され、私は頷くことしかできなかった。
◇
翌日、コンラートが呼んだ仕立て屋の中年女性にサイズを測ってもらい、ドレスについての希望を聞かれた。私の希望よりも雇い主であるコンラートの意見を聞いた方がいいのではないかと仕立て屋に言うと、コンラートの意向だと一蹴されてしまった。
「コンラート様から、お嬢様御自身が決めるようにと申しつかっております。ですが、そうですね。綺麗なブロンドの御髪には真紅のドレスがお似合いになられるかもしれませんね」
綺麗なブロンドに真紅のドレス。私はそれを聞いて喜べなかった。
ニーナは流れるような漆黒の髪。涼やかな美貌の彼女には青系の寒色が似合う。
比べても仕方ないとはわかっている。だけど、どう足掻いてもお前は彼女にはなれない、コンラートに愛される訳がないと思い知らされているようだ。
「あの、お嬢様? どうかなさいましたか?」
黙り込んだ私に、仕立て屋が恐る恐る声を掛けてくる。私が気分を害したとでも思ったのだろう。
元々きつい顔立ちの私は、真顔になっただけでも怒っているのかと思われがちだ。
私は苦笑して答える。
「いえ、わたくしも真紅がいいと思うわ。デザインは、そうねえ……あまり胸元を強調しないものがいいのだけれど」
「かしこまりました」
仕立て屋はほっとしたように目元を緩めた。それから仕立て屋がデザイン画を描いてくれ、二人で話を詰めていった。
母が生きていた時はこんな風に、母とドレスについて話をしたものだ。私も一応女性だから、お洒落にも興味はある。だけど、今の状態ではドレスのことを口にするだけで父が気に病むので、言えなくなっていた。
久しぶりにドレスの話が出来ることや、仕立て屋の女性が母に似ているせいか、夢中になって話をしていて人の気配に気づかなかった。
「ユーリ、入るよ」
ドアをノックされ、私の返事も聞かずにコンラートが入ってきた。
今日も訪ねてくるとは思わなかった私は驚き、立ち上がろうとしてドレスの裾を踏んづけてしまった。
「危ない!」
コンラートが急いで私の元にやってきて、前から抱きとめてくれた。それまで手も繋いだこともなかったのに、いきなりの密着に私の鼓動は跳ね上がる。
私はこのまま彼を抱き返したい欲求に駆られた。だけど、彼の拒絶が怖くて、上げかけた腕を下ろす。それから彼はゆっくりと私の体を離した。
その離れていく体温が寂しかった。
「大丈夫かい? しっかり者の君でも失敗することがあるんだね」
コンラートは私の顔を覗き込んで、異常がないことを確かめているようだ。
こんな時、動揺が表情に現れ難くてよかったと思う。鼓動はうるさいが、何でもないように頭を下げる。
「ありがとうございます、コンラート様。ですが、わたくしはしっかり者ではございません。失敗ばかりでお恥ずかしい限りです」
「……本当に君は損な性分だね」
コンラートは小さく呟いた。聞き取れたけど、意味を図りかねた私は曖昧な笑みで誤魔化した。
「今日は一体どうなさったのですか? わたくしは何も聞いていなかったので、お迎えもできず申し訳ございません」
「ああ、いいんだ。君には言ってなかったからね。君のことだから、僕に申し訳ないからと、いかにお金をかけずに済むかを悩んでるんじゃないかと思って来てみたんだ。案の定だったのかな?」
「そんなことは……」
言いつつも私は目を伏せる。
勧められるものはどれも素晴らしいデザインで、使う生地も質が良いものばかりだ。今の我が家では到底買えるものではない。
この婚約に納得していないだろうコンラートに強請りたくなかった。それこそ、私の秘めた恋心をお金で踏みにじられる気がして嫌だった。
「ちょっと見せてくれるかい?」
コンラートは仕立て屋が描いたデザイン画に目を通し始めた。流れるように確認し、彼は嘆息した。
「やっぱりね。お金のことなら心配はいらない。それよりも、婚約披露の席だよ? 君自身や家の評価にも繋がるのだということを忘れないで」
私は横っ面を叩かれたような気分になった。プライドにこだわって、家にも恥をかかせるところだった。そんな自分の浅はかさが恥ずかしい。
「……仰る通りです。あなたにも恥をかかせるところでした。教えていただき、ありがとうございます」
「いや、僕は遠慮するなと言いたかっただけだよ。遠慮深いところは君のいいところでもあるけど、悪いところでもあるね」
「いえ、そうではありません。あなたにここまでしていただいても、わたくしにはお返しできるものがないのです。本当に申し訳ございません……」
援助と引き換えの結婚とは言っても、我が家と私には彼の得になるものを与えられないのだ。そう考えて私はふと彼に聞いてみた。
「お聞きしたいのですが、この婚約、結婚であなたの得になることはあるのでしょうか?」
思いがけない問いだったのか、コンラートは目を見開いた。それから顔を歪め、自嘲するように床に視線を落とした。
「……もちろんあるよ。僕がずっと欲しかったものが手に入るんだ。我ながら最低だとは思うけどね」
「それはどういう……」
「僕のことはどうでもいい。とにかく、僕にも得があるってことだよ」
コンラートは笑った。これ以上の追及は許さないとでもいうような貼り付けた笑みがどこか印象的で、私はそれで納得するしかなかった。
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