新婚旅行へ3
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話しながら道なりにしばらく歩くと、小さな橋が見えてきた。その橋の袂から土手を降りられるようになっている。そこが私のお気に入りの場所だ。
その土手には自然に生えた木があって、その木を掴みながらコンラートが先に川縁に降りた。
「ユーリ、手を」
コンラートが下から手を差し出してくれる。だけど、その手を取ろうとして、私はバランスを崩した。
「あっ……」
「危ない!」
コンラートが前から抱きとめてくれようとしたけど、私は踏ん張った勢いで思わず尻もちをついてしまった。これからどうしようと悩んで、ふと昔のことを思い出した。
小さかった頃はこの草の繁った土手も遊び場だった。兄と二人でよくお尻が汚れることも気にせず滑り降りていた。
私はコンラートに恐る恐る聞いてみた。
「あの、はしたないとは思うのだけど、滑り降りてもいいかしら?」
コンラートは目を瞬かせた後、頷いた。
「いいけど、どうやって?」
「こうするの」
スカートの裾が捲れないように押さえたまま勢いをつけてお尻で滑り、コンラートのところまで降りると、コンラートは呆気にとられていた。
「やっぱり呆れるわよね……」
もう子どもじゃないのに恥ずかしいことをしてしまったと私の顔が熱くなった。だけど、コンラートは声を立てて笑った。
「それ、面白そうだね。僕もやってみていいかい?」
「え、ええ」
コンラートは目を輝かせて、土手を登って行く。そして座ると勢いよく滑り降りて、私の隣に来た。興奮したように声を弾ませて私に言う。
「ユーリ、これ面白いね。こんなの初めてやったよ」
「……はしたないって呆れない?」
「どうして? ここは貴族社会じゃないんだし、僕らの自由だろう? それにせっかくの新婚旅行なんだ。楽しまないと損だろう?」
コンラートの言葉に私は嬉しくなった。きっと私は満面の笑みを浮かべているに違いない。勢いよくコンラートに同意した。
「そうよね。王都に帰ったらできないだろうし、何だか懐かしくて、つい」
「前はよくやったのかい?」
「ええ。子どもの頃に初めはお兄様と二人でね。そのうち領民の子どもたちも混じって、みんなで泥だらけになったわ。その格好で帰って、お母様に二人で怒られるんだけど、お父様がそれを諌めてくれてた。それでまた性懲りも無くお兄様が私を誘って、お母様にバレて怒られるの。楽しかったわ」
何だかんだ言いながらも、母も笑っていた。ここでしか許されないから母は結局許してくれていたのだと、今ならわかる。
ここに帰ると郷愁に胸が苦しくなる。変わってしまったもの、変わらないもの、たくさんあるけれど、もうあの瞬間には戻れないのだ。
「……いいな」
コンラートがぽつりと呟いて、私は現実に引き戻された。隣を見ると、コンラートはどこか遠い目で空を見ている。
「……僕は子どもの頃から勉強と、父上の仕事の手伝いばかりで、同世代の子どもと遊ぶことがなかったんだ。父上も母上も、僕個人には関心がなかった。父上にはいつも後継として相応しくあれとか、色々な人の人生を背負う重みを滔々と説かれるくらいだったよ。僕の好きな物や興味のあることなんか、聞かれたこともない。友人も伴侶も利益がある人間を選べとも言われた。母上に至っては後継としての僕にも興味がないみたいだ。あの人たちにとって僕という存在は何なのだろうと思うよ」
淡々と紡がれるからこそ、コンラートの傷は深いように私には思えた。同世代の子どもたちと遊べなかったことじゃなくて、家族との繋がりが希薄なこと、それがコンラートの悩みなのだろう。
簡単にわかるとは言えない。実際に同じ経験をしていない人からの言葉は響かないだろう。それに、過去には戻れない。だけど、未来なら変えられる。そう思った私はコンラートに提案をしてみた。
「……私たちに子どもが産まれたら、色々な遊びを教えてあげましょう?」
「ユーリ」
コンラートが私を見る。
「まだ遅くないわ。これからだって遊べばいいじゃない」
「……そうだね。だけど、そのためには子どもがいないとね」
コンラートが悪戯っぽく言う。その言葉の意味するところを考えて、私の顔に熱が集まる。きっと私の顔は真っ赤になっているだろう。
コンラートは私の顔を覗き込んで面白そうに続ける。
「君が言ったんだよ。それなら僕も頑張らないといけないな」
「コンラート!」
恥ずかしくて思わずコンラートの名前を叫んで言葉を遮った。それにまたコンラートは笑う。
「……こんな穏やかな気持ちで家族の話ができるとは思わなかった。政略結婚に求めすぎてもいけないってわかっていたんだけど、伯爵領に来て気分的に解放されたこともあるかもしれない。王都に帰ったら、また気を抜けない日々に戻るだろうから」
最後の方はうんざりとした声音になっていた。コンラートの仕事を思い浮かべて、それはうんざりもするだろうと私は頷いた。
「そうね。やらないといけないことがたくさんあるわね」
一方の私も、次期子爵夫人としての教育が待っている。それに義母が行なっている王都での慈善活動の引き継ぎもあるのだ。それは義母が領地に帰ってしまうからなのだが。
本当なら義母に次期子爵夫人としての教育をお願いしたいのだけど、義母のあの様子では頼みにくい。私は重い溜息を吐いた。
そうして二人で顔を合わせて苦笑いを浮かべる。結局はまた自分たちの立場に戻ってくるのだ。
「ユーリ、他にはどんな遊びがあるのか教えてくれるかい?」
だからなのか、コンラートが突然話を変えた。逃避だとしても今の私たちには必要な時間だ。私もそれに乗っかって、声を弾ませて答える。
「もちろんよ。そうねえ、今の時期だと花冠はできないから、草笛なんかはどうかしら?」
「へえ、どうするんだい?」
コンラートは興味津々だ。
私が近くにある草笛に使えそうな草を摘んで慣れた様子で草笛を吹くと、コンラートも真似をして吹く。だけど、スーッと鼻から抜けるような間の抜けた音しか出ない。
「……ユーリ。これ、草がおかしいよ。同じ音が出ない」
不服そうにコンラートが文句を言う。その顔が子どもっぽくて私は吹き出した。
「それは、草が悪いんじゃなくて、あなたの腕が悪いの」
「言ったな」
私の言葉にコンラートはムキになって更に力を込めて草笛を吹く。それでも気の抜けた音しか出ない。
コンラートががっくりと肩を落として、私は苦笑を漏らす。
「おかしい……」
「あなたは力を入れ過ぎなの。思いっきり吹くと綺麗な音は出ないわ」
私が軽く息を吹きかけると、ピーッと澄んだ音が響き渡る。コンラートも同じように吹いてようやく音が鳴った。
「ユーリ、やったよ」
コンラートは得意満面の表情を浮かべる。それが褒めて欲しそうな子どもに見えて、私は笑いを堪えて言った。
「すごいわ、コンラート」
「そうだろう? 僕だってやればできるんだよ」
そうして胸を張るコンラートに堪えきれずに笑ってしまった。なかなか笑いが止まらない私に、コンラートは首を傾げている。
「どうしたんだい?」
「いえ、何でもないわ。それじゃあ忘れないうちにもう一回鳴らしてみて」
「ああ」
そうして草笛の澄んだ音が響き渡る。
しばらくはその草笛の音を楽しんで、別の遊びを教えては、また次の遊びという感じで、あっという間に楽しい時間は過ぎた。
日が暮れる前に屋敷に帰った私たちは所々に草や土を付けていて、兄に一体何をして遊んできたのかと呆れられるのだった。
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