新婚旅行へ2
よろしくお願いします。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
既に席に着いていたコンラートや兄と挨拶を交わして、私も朝食の席に着いた。私の隣にはコンラート、向かいには兄がいる。
昨夜は到着が遅くなったので、待ってくれていた兄に簡単に滞在させてもらうお礼だけ言って、すぐに休ませてもらったのだ。
今日の朝食は白いパンにポトフ、鮭のムニエルにハムのマリネ。ここでは肉や魚は贅沢品だと思われているのに、朝から肉や魚が出てくるとは思わなかった。用意された料理から兄に視線を移すと、兄は苦笑した。
「前よりは食生活も改善されたんだ。気にせず食べろ」
「そうなんですか。それじゃあ、いただきます」
鮭のムニエルを一口食べて驚いた。
「お兄様、これ美味しいですね」
「そうだろう? せっかくの新婚旅行だから料理くらいは奮発してやろうかと思ってな。まあ、それもコンラートのおかげでもあるんだが。塩やスパイスがこれまでよりずっと安く手に入るようになったから、料理人も張り切っているんだ」
「そうなんですか……ありがとうございます」
私がコンラートに頭を下げると、コンラートは苦笑する。
「たいしたことはしてないから、やめてくれないか。お礼を言われると何だかむずむずして」
「いやいや。本当に俺はいい義弟を持ったよ。ありがとな」
兄もニヤニヤしながらコンラートにお礼を言う。これは明らかに面白がっている。私が黙って食事を続けていると、コンラートが私に助けを求めてきた。
「ユーリからも何とか言ってくれ」
ちらりと兄を見ると、私の反応を楽しみにしているようだ。だけど、私も長年兄の悪癖に付き合ってきたから、いなし方くらいはわかる。私はにっこり笑って兄に言う。
「お兄様は余程コンラートがお好きなのですね」
「は?」
「え?」
二人の視線が私に集まる。私は続けた。
「私にはわかります。お兄様はどうでもいい人は適当に流しますよね。私やお父様にもそうですが、好きな人ほど弄りたくなるんですよね。コンラートもお兄様のお眼鏡に叶ったようで何よりです」
「ユーリ……」
兄が嫌そうに私の名前を呟く。コンラートは嫌がっているような喜んでいるような複雑な表情を浮かべていた。
「はい。わかったら、さっさと食べてしまいましょう。せっかくの料理が冷めちゃいますよ」
そう言うと、私はまた食事を続ける。やっぱり美味しくて顔が綻ぶ。コンラートは呆気に取られた顔で私を見ているし、兄はがっくりと肩を落としている。
「……ユーリには敵わないな」
兄が呟くと、コンラートも頷く。兄の悔しそうな表情に私は溜飲を下げた。
「お兄様には鍛えられましたから。あ、そう言えば、今日の予定はどうなっているのですか?」
「予定と言われても、お前たちの新婚旅行を何で俺が指示しないといけないんだ」
兄に問うと嫌そうに言われた。だけど、伯爵領に来たのは旅行だけが目的ではない。
「ですが、染物の件もありますよね。いつその方に会いに行くのですか?」
「それは明日でいいんじゃないか? 昨日はずっと移動だったんだから、ゆっくりすればいい」
「義兄上の言う通りだよ。今日は君のお勧めの場所にでも行こうか」
「……そうですね。とはいえ、自然ばかりですが」
それもまだ開拓していない荒地だ。思い浮かべて苦笑が漏れる。
「それもいいんじゃないかな。いつも人工物に囲まれてるんだから。朝食が終われば行こう」
「ええ」
三人での朝食は話が弾んで楽しく終わり、それから私とコンラートは領地の散歩に出かけた。
◇
「長閑だね」
「そうでしょう?」
歩きながら周囲を見回しているコンラートの呟きに、私も頷く。
それなりに舗装された道の両側には畑が続いていて、遠目に見える丘には牛が放牧されている。荒地をそのまま放っておくのももったいないから、そこに生える草を牛の食料にしているのだ。
そしてその奥には森がある。森は犯罪の温床になりやすいから、兄は少しずつ切り拓いていきたいようだけど、それも追い追いだと言っていた。
「だけど、退屈じゃないの?」
「そんなことはないよ。他の領地を見せてもらうのも勉強になるからね」
「……それって結局休んでないじゃない」
私が突っ込むと、コンラートは虚を突かれたような表情の後、破顔した。
「本当だね。仕事のことは忘れようって思ってたのに。だけど君だって仕事をする気満々だっただろう?」
「……そう言えばそうね」
二人で困ったように笑い合う。コンラートは前を向いて目を細める。
「立場というのは厄介だね。その立場に相応しい振る舞いをしなければならないと、自分で縛りを作るんだから」
「……そうね。私もそれが辛かった」
淑女は声を荒げてはいけない、人前で泣いてはいけない、感情を見せてはいけない、立場をわきまえろ。これまで何度注意されたかわからない。思い出して溜息が出る。
「ユーリ。僕らが初めて会った時のことを覚えているかい?」
唐突に話題が変わって不思議に思いながらも私は頷いた。
「ええ。あれは私が十四歳の時だから、あなたが十六歳だったかしら。王都の伯爵邸でお兄様に紹介されたのよね」
「ああ。それ以前から義兄上は商会に興味があって、交流はあったんだけど、あの日初めて伯爵邸に招かれたんだ」
「あの時私、驚いたの。お兄様が四つも年下のコンラートと対等に話していたから。お兄様は子どもが嫌いなのに」
兄は子どもの頃からそうだった。母が礼儀作法に厳しい人だったからかもしれないけど、同世代の子どもの中でもしっかりしていた兄は浮いていた。そんな兄が珍しく年下の子を紹介したことに驚いたのだ。
私の言葉にコンラートは苦笑する。
「いや、義兄上が嫌いなのは子どもであることを振りかざして、傍若無人に振る舞う奴だから、皆が皆嫌いなわけじゃないそうだよ。まあ、それは置いておいて、僕も驚いたんだよ。僕よりも年下の、それも社交界デビューもまだの女の子とは思えないくらい君がしっかりしていたから。だけど、こうして君を知って、あの頃は無理していたんだなって気づいたんだ」
「それはお互い様でしょう? 私よりもあなたの方が責任は重いから、あなたの方が無理している気はするけれど」
「……どうだろう。ずっとそれが当たり前だと思っていたから、どこまでが無理じゃないのかもわからなくなってる気がするよ」
コンラートはあっけらかんと笑ってみせるけど、私には笑えなかった。足を止めて呟く。
「……そうやって自分に嘘を吐き続けるといつか自分を見失ってしまう」
「ユーリ?」
コンラートも足を止めて怪訝な顔で私の顔を覗き込む。
「結婚式の時に父が言ったの。私は平気、私は大丈夫、そうやって私は自分に暗示をかけてきた。結局は自分に嘘を吐いていただけなの。そうするうちに私は自分の本当の気持ちを見失うところだった。父にはわかっていたのね。
あなたもそう。まだ大丈夫、頑張れるって自分で暗示をかけているだけなのかもしれない。弱音を吐いてもいいの。情けないなんて思わないから。自分を見失わないで」
「……だけど僕には多くの人に対して責任があるんだ。僕個人の感情なんて必要ないんじゃないか? 皆が求めているのは次期子爵家当主としての僕でしかないんだ」
コンラートは拳を握り締めて俯いた。コンラートには兄弟がいないし、両親との関係も良好とは言えないから、一人でこうして抱え込んできたのかもしれない。私はコンラートの手を取って語りかける。
「あなたがそう思うのも無理もないのかもしれない。だけど、私にはコンラートという人が必要なの。あなたの感情がなくなったら寂しい」
「ユーリ……ありがとう」
コンラートはどこかほっとしたように笑った。
だけど、そこまで彼を追い詰めるものは何なのだろうか。兄も次期伯爵家当主だけど、そこまで思いつめてはいないように見える。比べるのがおかしいのかもしれないけど、ふとそんなことが心に残った。
読んでいただき、ありがとうございました。