本邸にて
よろしくお願いします。
「ねえ、サラ。一週間くらいしかいないんだから、そんなに荷物はいらないんじゃない?」
出発を二日後に控えているというのに、サラは朝も早いうちから私室のクローゼットを物色して、荷物を増やしている。主に私のドレスや宝石だ。
昔は伯爵領もそれなりに栄えていたけど、今は領地の維持が精一杯で、寂れてしまっている。そんな場所で着飾っていると浮いてしまいそうだと思うのは私だけだろうか。サラは憤然と言い返してきた。
「何を仰るのです。子爵家に嫁いで裕福になったところを見せたら、領民だって伯爵領への援助が期待できるから安心するはずです」
「反対だと思うわ。伯爵領の立て直しが終わってないから反発するでしょうね。身形を質素にして、付け焼き刃かもしれないけど、炊き出しや慰問にお金をかけた方がよっぽど領民のためになるわ。サラ、お願いだから荷物を減らして。そんなにドレスも宝石もいらないから」
「……わかりました」
サラは納得したのかしてないのか、渋々クローゼットを閉じた。それを見て思わず安堵の溜息が漏れる。
「ユーリ、入ってもいいかい?」
クローゼットの奥の扉から控えめなノックの後、コンラートの声がして、私は即座に返事をした。
「ええ、どうぞ」
「失礼するよ」
入ってきたコンラートは、ベッドの上に並べられたドレスを見て呆れた声を上げる。
「ドレスの着せ替えでもやっていたのかい?」
「いえ、サラが旅行にまだドレスを持って行こうとするので、止めていたところなんです」
私が苦笑混じりに答えると、隣のサラがコンラートに頭を下げる。
「それでどうしたのですか?」
「ああ。ちょっとこれから一緒に本邸に行って欲しいんだ。旅行から帰ってきたらうちの両親は子爵領に帰るから入れ替わりになるだろう? 一応家族だから挨拶しておいて欲しいんだ」
「一応、ですか」
薄々気づいてはいたけど、コンラートとご両親の仲は良くないのだろう。私を会わせたくもなさそうだ。
本来なら家族としてだけでなく、当主でもある義父や義母に挨拶すべきだと思っていた。だから、私は二つ返事で了承した。
「わかりました。それじゃあ、サラ。行ってくるからドレスはクローゼットに戻しておいてね」
「……わかりました」
サラが頷くのを見て、私とコンラートは本邸へ向かった。
◇
離れの玄関ホールを出ようとしたら、コンラートが足を止めて、私の腕を掴んだ。私も釣られて足を止めてコンラートを見ると、神妙な顔をしていた。
「……話しておきたいことがある。多分、今日も母上が愛人を連れ込んでいると思うけど、驚いたりせず流して欲しい」
言われた内容を理解するのに時間がかかった。政略結婚で愛がない夫婦にはお互いに愛人を持つことも少なくない。ただ、私の両親は政略結婚でもうまくいっていたので、私の考えの中にはなかった。
以前聞いていたにもかかわらず、すっかり忘れていた。そのくらい私にとっては非日常的なことなのだ。
「……わかったわ」
「父は女癖は悪いけど、さすがに息子の妻は口説かないだろうから安心していいよ」
コンラートは苦笑する。私はどう反応していいかわからず、眉間に皺を寄せてしまった。
「それじゃあ、行こう」
「……ええ」
不安な気持ちを抱えたまま、私は本邸へと足を踏み入れたのだった。
◇
「ご無沙汰しております」
案内された応接室で、私は向かいに座る義父母に頭を下げる。隣には無表情のコンラートが座っている。
そうなのだ。本邸に入るなり、コンラートの表情が消えた。私が挨拶する前も無表情で「父上、母上、お久しぶりです」と一言発しただけだった。
「いや、わざわざ来てもらってすまないね。明後日が出発で忙しいんじゃないか?」
義父がにこにこしながら問いかけてくる。コンラートを見ても答える気はなさそうだ。差し出がましいと思いつつ私は答えた。
「いえ、ほとんど準備は終わっているのでそれほどではありません」
「だが、せっかくの新婚旅行なのに、伯爵領で終わらせるのはもったいないね」
「ですが、まだ立て直しの途中で、しかもこちらから多分に援助していただいている状態で贅沢はできません」
私がそう言うと、義父は声を立てて笑った。
「しっかりしたお嬢さんだ。コンラートもいいお嬢さんを妻にした。これからも息子をよろしく頼むよ」
「いえ、こちらこそよろしくお願いいたします」
さっきから話しているのは義父と私だけだ。不機嫌なコンラートはともかく、義母を見やるとつまらなそうに余所見をしている。私は嫌われているのだろうかと不安になり、ちらちらと義母を見ていると、義父が苦笑する。
「気にしないでくれ。彼女は屋敷の中ではいつもこんな感じだ。外ではちゃんとやってくれているから好きなようにさせているんだよ」
そこでずっと黙っていた義母が口を開いた。
「……用がこれだけでしたら失礼してよろしいかしら。わたくしにも用事がありますの」
「ああ、いいよ」
義父が義母を見もせずに答えると、義母は立ち上がって部屋を出て行ってしまった。
「すまないね。彼女はあまり人に興味がないんだ。というか家族にかな。それ以外には積極的なんだが」
「……積極的なのは愛人にだけでしょう?」
それまで黙っていたコンラートがボソッと呟き、義父がまた苦笑する。
「身も蓋もないな。その通りだが」
私は話す内容が内容で笑えなかった。どう反応すればいいかわからず表情が強張る私にコンラートは言う。
「ユーリ、気にしなくていいよ。こんな悪趣味なことで笑えるこの人がおかしいんだ。この人も人の事を言えないからね」
「私は屋敷に連れ込んだりしない。そこは節度を持って……」
「外で何人も愛人を囲っている癖に何が節度だか」
コンラートが嫌悪感を露わに吐き捨てる。義父は眉を顰めてコンラートに言い返す。
「お前だって人の事を言えないだろう。クライスラー男爵令嬢とのことは聞いているぞ」
「……それはデタラメです」
「別に隠さなくてもいいじゃないか。お前たちだって政略結婚なんだ。ユーリさんだって承知しているんだろう?」
「何のことですか?」
さっぱり何の話をしているかわからない。義父に問うと、コンラートが遮って声を荒げた。
「父上! 余計なことをユーリに吹き込まないでください! 私たちはあなた方とは違います!」
「もしかしてユーリさんは知らないのか?」
義父は怪訝な顔で私とコンラートを交互に見る。どちらに問いかけているのかわからなくて私が黙っていると、コンラートは私の手を掴んで立ち上がった。急に引っ張られて腕が痛んだけど、コンラートの鬼気迫る表情に何も言えなかった。
「挨拶は終わりましたので、これで失礼します。今度からは私一人で来ますので。行こう、ユーリ」
「え、ええ」
勢いに押されて頷く。私はコンラートに手を掴まれて引き摺られるように応接室を出た。その勢いで歩いていると歩幅の違いで足がつりそうになって小さく悲鳴を上げた。
「いたっ……」
それで頭に昇った血が下がったのか、コンラートは歩みを止めた。
「……ごめん。あの人と対峙していると冷静になれなくて」
「それはいいの。だけど、大丈夫……?」
私は思わずコンラートの顔に手を伸ばした。気のせいかもしれないけど、一瞬泣きそうな顔に見えたのだ。
すると、鈴を転がすような女性の話し声が聞こえてきた。合間に女性は歌うように愛を囁いている。声のする方を見ると、義母だった。
先程とは打って変わって楽しそうな笑顔を浮かべている。その笑顔を向ける相手はコンラートと歳が変わらなそうな騎士だ。
もう驚きはしなかった。ただ、コンラートが心配だった。彼は一瞬傷ついた顔をしたけど、私の視線に気づいて取り繕った笑顔を浮かべる。それが痛々しくて一刻も早く彼をこの場から離したかった。
「……帰りましょう」
コンラートの手を握りなおすと私は勢いよく歩き始めた。それにコンラートも気づいてはいただろうけど、黙ってついて来てくれる。
そのまま離れに帰ると、オスカーとサラが出迎えてくれた。だけど、私は誰かと話す気になれなかった。おそらくコンラートもそうだったのだろう。私は無言のコンラートに連れられて彼の私室に入った。
読んでいただき、ありがとうございました。