二人で伯爵家へ2
よろしくお願いします。
「……ちょっと考えたんですが、それなら旅行という名目で伯爵領に滞在させていただけませんか?」
コンラートは突然そんなことを言い出した。兄は少し眉を上げ、私はコンラートの考えがわからず首を傾げてしまった。
「急にどうした? 俺は別にいいが、面白いものはないぞ。今は領地の維持が精一杯で、寂れているからな」
「いえ、先程のユーリの話を聞いて、旅行が負担になるのでは本末転倒だと思いまして。私も特に希望はありませんし、二人でゆっくりするのもいいかもしれません」
「でも、よろしいのですか?」
私がそう聞くとコンラートは頷いた。
「ああ。言っただろう? 君のお勧めの場所を案内して欲しいって。新婚旅行のついでだとあまりゆっくり回れないから、この方がいいかもしれない。まだ二人でいられるうちに、二人でゆっくりしよう。そのうち家族が増えるかもしれないからね」
「……はい」
そうだった。初夜も無事に終わって、いつ子どもができてもおかしくない。そう考えて、ふとその時のことを思い出してしまった。恥ずかしくて俯くと、兄が呆れたように言う。
「……お前ら、俺がいることを忘れてないか? 人の、それも身内の甘いやり取りを見せられる身になってみろ」
「申し訳ありません。ですが、私とユーリがうまくいっているか心配されているようでしたので、こうして証明してみました」
「……いい性格してるな」
「義兄上ほどではありませんよ」
悔しそうな兄に、コンラートは苦笑している。兄は重い溜息をつくと、気をとりなおして私に向き直った。
「まあいい。それならうちに滞在して、色々回ればいい。よかったな、ユーリ」
「はい、ありがとうございます、コンラート様、お兄様」
私がお礼を言うと、兄はコンラートの方を向いた。
「で、だ。ここからが本題なんだが、ユーリは外してくれないか? 男同士で話したい。いいだろう、コンラート?」
「いいですが、今日は織物の染色をされる方についての話ではなかったのですか? てっきりそうだと思ったので、ユーリと一緒に来たのですが」
「いや、まあ、その話も含めてだな」
兄の言葉はどこか歯切れが悪い。兄がちらちら私を見るから、気になった私も兄を見返す。そうすると、さりげなく視線を逸らされた。
コンラートは頷くと、私に向かって困ったように笑う。
「それじゃあユーリ。申し訳ないけど席を外してくれるかい?」
「……はい」
納得はいかなかったけど、仕事の話に女の私がくちばしを突っ込むのもよくないと、渋々席を立った。
◇
「何で私は聞いたらダメなのかしら……」
応接室を後にした私は、母の薔薇を見に行こうと庭へ向かっていた。歩きながらも先程の兄の様子が引っかかって、独りごちる。
いつもこうだ。
兄は私の知らないところで、色々と動いている。それが家や家族のためだとわかっているから、少しでも力になりたいと思うのに。
コン、と不意に何かが窓硝子を叩く音がした。そちらを見ると、ぽつぽつと雨粒が落ちてきている。間も無くさあっという音と共に雨が降り始めた。
「……この格好だと外には出られないわね」
今私が着ているのは、外出用のドレス。例え実家であっても礼儀は大切だと思ってのことだったけど、これだったら泥ハネが気にならない普段着にすればよかった。
そう考えて気づいた。ここは実家だから部屋にまだ汚れてもいいドレスがあるはずだ。私は自分の部屋へ向かった。
◇
「まだ残っていてよかったわ」
自室に残っていた庭仕事用の古い服に着替えて全身用の姿鏡を見る。布もクタクタで繕った後もあるから、今の私を貴族だと思う人はいないかもしれない。
よし、と気合を入れて廊下を通って玄関ホールを出ようとすると、慌てたメイドに声をかけられる。
「ユーリ様、お風邪を召されます。おやめください」
「いえ、雨も小降りだし、大丈夫よ」
「ですが……」
「庭の薔薇を見たいだけなの。お願い」
やがて根負けしたメイドが嘆息した。
「わかりました。庭の方には庭師がいるでしょうけど、くれぐれも手伝おうなんて思わないでくださいね」
「……やっぱりダメかしら?」
「ダメです。以前は庭師がいなかったからエリオット様も注意をなさいませんでしたが、今は庭師もおりますし、ユーリ様はいずれ子爵夫人になられます。立場をお考えください」
「わかったわ」
ここまでもっともなことを言われるとぐうの音も出ない。私は諦めて、傘を差して庭へ回った。
しとしとと雨が降る。しばらく天気がよかったせいか人手がなく放置されて萎れていた草花たちが活き活きしているように見える。
それに、雨に打たれて草花の瑞々しい匂いが立つようで、私は雨が嫌いじゃない。一番いいのは雨上がりだけど。
コンラートから庭を縮小すると聞いていたけど、まだしていないようだった。ところどころに手入れができず、枯れてしまった草花が目立つ。それを濡れることも厭わず、一人の男性が抜いている。彼が庭師なのだろう。
「風邪を引きますよ」
私が声をかけると、彼は立ち上がって振り向いた。思ったよりも若くて私は驚いた。ひょっとしたら私とそう歳が変わらないのかもしれない。
陽に当たって焼けたような浅黒い肌に、茶色なのに先が金に変わりかけている髪。コンラートや兄とは違って精悍で野生的な容姿だった。
彼は切れ長の目を和らげて笑った。
「心配してくれてありがとう。だが、雨の中での作業には慣れているから大丈夫だ。あんた、初めて見るが新人か?」
「あの、私は……」
「まあ、いい。手が空いているなら少し手伝ってくれないか?」
「あ、はい……」
結局私は名乗れなかった。というよりは言いたくなかったのかもしれない。伯爵家にいた時も今も、良家の子女に相応しい振る舞いを求められることが多くて疲れていた。久しぶりに土いじりができるのが嬉しかったのだ。
雨の中、庭師の言う通りに嬉々として動く私に、庭師の彼は面白そうに笑う。
「珍しいな、あんた。こんな地味な作業が好きなのか」
「そうですね。好きな方かもしれません。地味な作業でも綺麗な花を咲かせるためには必要な作業です。花たちが綺麗な花を咲かせてくれたら、やった甲斐があるじゃないですか」
「へえ」
それだけ言うと、庭師の彼は興味深そうに私を見ている。何かおかしなことでも言ったかと、私は彼に問うた。
「何ですか?」
「いや、俺と同じことを思ってるんだなと思って。手をかければ、かけた分だけこいつらは応えてくれる。俺もそう思ってやってるんだ。わかってくれる人がいるのは嬉しい」
「そうだったんですね。私も嬉しいです。本当にこの子たちを愛してくれる人が世話してくださるのは」
元々小降りだった雨はいつのまにか止んでいた。雲間から覗く光が草花の雫を照らして眩しさに目を細める。
彼は私の言葉に違和感を覚えたようで、眉を顰めて問い掛けてきた。
「……何だか前からこの花たちを思っているように聞こえるんだが。あんた入ったばかりの新人だろう? 俺はこれまで会ったことがない」
「あの……」
仕方なく自分のことを話そうとした時だった。
「……ユーリ!」
背後からコンラートに名前を呼ばれて私は振り返った。
読んでいただき、ありがとうございました。