溢れた思い
よろしくお願いします。
「……おはようございます」
コンラートに声をかけて朝食の席に着いた。鏡で見たら顔も目も腫れてなくてよかったと思う。
気恥ずかしさはどこかに行ってしまい、今私の心にあるのは疑問と悲しみだった。
彼の顔を見られないのは同じだけど、気分が上向きか下向きかで大きく違う。
そんな私に気づいたコンラートが心配してくれる。
「元気がないようだけど大丈夫かい? もしかして昨夜の……」
コンラートは言葉を濁した。
言いたいことはわかる。確かに体は痛むけど、彼が気遣ってくれたからそれほどじゃない。
無理に笑顔を作って否定する。
「……いえ、大丈夫です。優しくしていただきましたから……」
「それならどうして……いや、何でもないよ」
コンラートは寂しそうに笑った。何でもなさそうなのに、どうして何でもない振りをするのか。
言えずに飲み込んできた言葉は少しずつ積み重なって、そろそろ限界だったのかもしれない。私の口から思わず言葉が漏れた。
「……嘘つき」
「ユーリ?」
問い返されて、はっとした。そしてまた誤魔化そうとして止まる。
これじゃ何も変わらない。踏み出す勇気が欲しいと思った時のことを思い返す。兄が教えてくれたことを無駄にしたくはない。
だけど、人がいるところでは立場上話せないことを思い出して、私はコンラートに人払いをお願いした。
給仕やサラが出て行き、二人きりになった。お互いがちらちらと相手の顔色を伺っているのがわかる。
知りたいけど知りたくない。そんな相反する気持ちが私の決心を鈍らせようとする。私は雑念を振り払うように頭を軽く振ると、コンラートに問うた。
「……どうして謝ったんですか?」
コンラートは虚を突かれたように目を瞬かせる。
その仕草が私にはわからない振りをしているように見えて、私の心に小さな怒りを生み出した。
「……今朝、仰いましたよね。わたくしの部屋で。どうして謝ったんですか?」
「……起きていたのか」
「ええ、だから知りたいんです。どうしてなのかを」
私は彼を真っ直ぐ見据えて問い質した。だけど、彼は気まずそうに私から視線を外す。
「……ごめん。やっぱりするべきじゃなかった」
彼の言葉は胸に突き刺さった。聞くんじゃなかったと後悔の念が押し寄せる。だけど、それ以上に小さかった怒りが少しずつ私の中で膨らんでいった。
「あなたは、昨夜のことを、後悔していらっしゃるのですか……?」
私の声が知らずに震える。動揺なのか、怒りなのか、最早わからない。
そんな私の様子に気がついていないコンラートは、はっきりと肯定した。
「……ああ、後悔している。本当にごめん」
「……もう、いい」
私の口から絞り出すような声が出た。視界がぼんやりとし始めて、彼の表情がわからなくなった。それでいい。もう後悔や罪悪感を滲ませる彼の顔なんて見たくなかった。
私は立ち上がると食堂を出て行こうとした。慌てて立ち上がったコンラートが引き止めようと、私の傍に駆け寄り腕を掴む。
「ユーリ、待ってくれ!」
「触らないで!」
私は力一杯彼を振り払った。彼の気持ちがわからない。近づけたと思えば遠ざかって。
いえ、違う。最初から近づいていなかったのだ。私がそう錯覚していただけ。もう失うものなんてない。
そんな気持ちが私に本音を言わせたのだろう。
「……私はこんなにあなたを好きなのに……!」
取り繕うことなんてできなかった。はしたないなんて思う余裕すらない。
ドレスの袖で簡単に涙を拭うと、私は足早に歩き出そうとした、その時。
「ユーリ! 違うんだ!」
コンラートが私の腕を引いて自分の腕の中に閉じ込めた。それが嫌で私は彼から離れようと暴れた。それでもコンラートの力が強くて逃げられない。
意味がわからなかった。昨夜のことを後悔しているくせに、こうして私を引き止めることの。
「……後悔してるのは、義務に縛られた君につけ込んで抱いてしまったことだ。君ならそう言うだろうと思っていたから、断るべきだった」
「どうして? あなただって私に言ったでしょう。後継さえ産んでくれればそれでいいと」
「それは……君が僕のことを好きじゃないと言ったから。政略結婚だとしても、気持ちの整理をする時間が必要だと思ったんだ。だけど、さっきの言葉は本当かい?」
「あ……」
私の頭が冷えていく。言うつもりなんてなかったのに言ってしまった。コンラートも迷惑しているに違いない、そう思って恐る恐る間近にあるコンラートの顔を見上げる。
だけど、彼は真剣な表情で私を見ていた。
溢れた言葉はもう掬えない。それに何より私自身がもう自分を偽りたくなかった。私は小さな声で告げる。
「……ええ、あなたが好きです」
「……そうか。だけど、君には別に好きな男がいたんじゃないのか?」
思ってもいなかったことを聞かれて、私は驚いた。
「わたくしにですか? 心当たりが全くないのですが……」
「え……でも、気持ちを伝えたい人がいるとか、認めてもらいたい人がいるとか、言っていただろう? だから僕はてっきり……」
「……あなたのことです」
隠すことなんてもうないと、私は正直に話した。コンラートの反応が気にはなるけど、気持ちはすっきりしていた。これで受け入れられなくても、前へ進める。
だから私はずっと聞きたかったことを聞くことにした。きっと私の顔は強張っているだろう。緊張で口の中が乾く。息を吸い込んで、吐き出すように言葉を紡いだ。
「……あなたはわたくしのことをどう思っていますか?」
コンラートは私の顔を見て柔らかい笑顔を浮かべた。
「……僕も君と同じ気持ちだよ。だから君の気持ちは嬉しい。ありがとう」
「嘘……」
呆然と呟くと、コンラートが苦笑する。
「そんな悪趣味な嘘は吐かないよ。信じて欲しい」
「……っ、はい……!」
幸せでそれ以外の言葉が出なかった。今度は嬉し涙が止まらない。コンラートが優しく拭ってくれても、後から止めどなく溢れてくる。
困った彼は最終的に私を抱きしめて彼の胸で思う存分泣かせてくれた。
だけど、この時の私は幸せに浸っていてすっかり忘れていた。彼がまだ隠し事をしていることを。
そして、その隠し事が私たちの間に亀裂を生んでしまうことにまだ気づいていなかった──。
読んでいただき、ありがとうございました。