幸せな初夜と悲しい朝
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夕食が終わると、食堂にサラが私を迎えに来た。
「参りましょう」
真剣な表情のサラに言われたけど、次にどこへ行くのか聞いていなかったから、さっぱりわからない。私は首を傾げた。
「どこへ?」
「お忘れですか? 今夜は初夜です。徹底的に磨き上げないとコンラート様に申し訳ありませんから」
サラの言葉を理解するまでに時間がかかった。ふと目の前のコンラートを見ると、赤い顔で目を逸らされた。それを見て私の顔も熱を帯びる。
「早く参りましょう」
「……ええ。それではコンラート様、失礼いたします」
「……ああ」
どことなく気まずい空気が流れた。コンラートも少しは私を意識してくれているのだろうか。そんな期待を胸に抱きつつ、私は席を立ってサラと一緒に食堂を後にした。
◇
浴室へ向かう道すがら、私はサラに閨のことを聞いてみることにした。
「ねえ、サラ。ちょっと聞いてもいい?」
「はい、何でしょう?」
「その……閨のことなんだけど。私、お母様から教わってないの。だからどうすればいいかわからなくて。教えてもらえるかしら?」
「そう言われましても……」
サラが珍しく困惑している。白皙の頬がほんのり赤くなっているところを見ると、やっぱりサラも恥ずかしいらしい。コンラートの前で堂々と言った割には具体的な内容になると照れるのだ。
「……そうですね。コンラート様にお任せすればいいと思います。私からそれ以上申し上げるのはちょっと……」
「それだけでいいの?」
「はい。あまり積極的でもコンラート様が困るでしょうし」
「よくわからないけど、わかったわ」
これ以上はサラが困ると思って、私はそれで納得した。
こんなことなら社交界でもっと話を聞いておけばよかった。あの世界では艶聞にも事欠かない。私よりも年上の既婚女性が年若い愛人を作って積極的に楽しんでいたり、反対に若い女性が年配男性との逢瀬を楽しんでいたりという話を聞く。
私の両親はお互いを尊重し、愛し合っていたと私は思う。二人が浮気なんて考えられなかった。だから、社交界の話はそんな理想の両親を否定しているようで聞くことが苦痛だった。
政略結婚が当たり前の世界では、一途な愛を求めることが間違っているのかもしれない。だけど、それでも願ってしまうのだ。ただ一人の人に愛されたいと。
コンラートの顔を思い浮かべて、胸が痛くなった。彼もまた、政略結婚の犠牲になって、思いを遂げられない一人なのだ。
そう考えて、このまま初夜を迎えていいのかと悩んでしまった。だけど、コンラートは私が後継を産むことを望んでいる。私も嫁いできた以上はそれが義務だと思うし、本心では彼の子どもを産みたい。
不安もあるけど、こうなったからにはもう腹を括るしかない。
そして浴室についた私は、そこで待機していたメイドたちやサラによって、綺麗に磨き上げられたのだった。
◇
「ねえ、サラ。ちょっとこの格好は……」
恥ずかしくて両腕で自分の体を隠す。それでも隠しきれなくて蹲りたくなった。
用意されていた夜着に着替えたのはいいけど、肌が透けるのではないかと思うほど生地が薄く、体のラインがくっきりと出てしまう。
私は困っているのに、サラは満足顔だ。
「ユーリ様、お綺麗です。これならコンラート様も満足していただけると思います」
「……本当にみんなこんな格好をするものなの?」
サラが嘘を吐くとは思わないけど、世の女性たちはこんな恥ずかしい思いをしているのか疑問だった。
「私が知っている限りはそうですね。初夜が肝心なのではないでしょうか」
「まあ、そうなんでしょうけど……」
とにかく隠したい。サラが持っていた上着を羽織って安堵の溜息を吐いた。そんな私をサラが真面目な顔で脅かす。
「ユーリ様、安心するのは早いです。これからが本番ですよ」
「……そうね。でも大丈夫かしら」
「それは私にはわかりません。不安なのはわからないからです。わかってしまえば、なんだこんなことか、とあっさり片付くこともあるんではないでしょうか?」
「……その通りだわ。私が考え過ぎていたのかもしれない。とりあえず、頑張るわ」
「いえ、頑張るよりは成り行きに任せた方がよろしいかと思います」
「ええ。ありがとう、サラ」
サラは笑顔で頷いてくれた。そして、二人で私の部屋へ戻ると、サラはそのまま出て行ってしまった。
「どうしよう……」
呟いても答えは返ってこない。待っている時間が余計に緊張を高める。徐々に高まる鼓動がうるさくて仕方ない。こういう時どうすればいいかわからず、部屋を歩き回ったり、ベッドに腰掛けたりを繰り返す。
ベッドに腰掛けてしばらくすると、扉がノックされて、外から声をかけられた。
「ユーリ、入るよ」
「……ええ、どうぞ」
扉を開けて入ってきたコンラートも夜着に上着を羽織っていて、どこか艶かしくて直視できなかった。
近づいてきたコンラートは私の隣に腰掛ける。
「……今日はお疲れ様。疲れたんじゃないかい?」
「そうですね、少し」
そこから会話が途切れ、しばらくしてコンラートが口を開いた。
「……今日は疲れているようだから日を改めようか」
「……いえ、いいんです。ただ、わたくしはどうすればいいかわからないので教えていただけますか……?」
恥ずかしさに俯くと、コンラートが私の手を握る。
「無理はしなくていいんだ。確かに僕は後継を産んでくれればいいとは言ったけど、君の気持ちが追いつくまで待つつもりだったから」
「どうしてですか……?」
「無理強いするのは好きじゃないんだ。例えそれが義務だとしてもね」
コンラートは顔を顰めた。コンラートが気にするのもわかる。気持ちがなくても後継を作らなくてはいけないからと、強引に事に及ぶこともあると聞く。
だけど私は違う。こうしてコンラートは私の意思を確認してくれて、私自身もコンラートが好きだ。不安で怖いのはわからないから。
これを言うのは恥ずかしいし、はしたないと思われるのではないかと怖い。それでも私は──。
「……無理はしていません。ですから……」
コンラートに握られた手に力を込める。これが私にできる精一杯の了承の合図だった。
「ユーリ……」
コンラートが名前を呼び、私は顔を上げる。ゆっくりと彼の顔が近づいてきて、私は目を閉じた。そして触れるだけのキスをきっかけに、私たちの初夜は始まった。
それからは彼に与えられる熱に翻弄されるばかりだった。羞恥と痛みで泣きそうになると、コンラートが心配してくれる。その優しさにまた泣きそうになるの繰り返しだった。
だけど、この瞬間だけは彼の心を手に入れたような気がして幸せだった。
◇
翌朝、コンラートが身じろぎする様子で私は目を覚ました。昨夜の余韻が恥ずかしくて、彼の顔が見られそうにない私はそのまま寝た振りをした。それでも胸の中は温かい気持ちで満たされていた。その言葉を聞くまでは。
「……ごめん」
コンラートが沈んだ声音で何を言ったのか、最初はわからなかった。そのまま彼は夜着を着ているのか、静かな部屋に衣擦れの音だけが響く。そしてそのまま自分の部屋に帰って行った。
どうして謝ったのか、誰に対して謝っているのか。わからないから想像は悪い方へ向いて行く。
その謝罪は、気持ちがないのに私と閨をともにしたことに対するものなのか、ニーナを愛しているのに別の女性と閨を共にしたことに対するものなのか。
昨夜のことは私が作り出した幸せな夢だった?
朝になったら醒める夢。少しでも手に入れたと思ったものは、砂のように私の指を擦り抜けていった。
私は虚しさに声を殺して一人で泣いた。それでもこの部屋を出たら女主人として毅然としていなくてはいけない。
悲しいのに立場ばかり気にする自分が馬鹿みたいだった。そうして私はまた笑顔の仮面を纏うのだ。そんな自分が嫌で変わりたいと思ったのに。
幸せな初夜から一転、悲しい目覚めで子爵家での生活は始まった。
読んでいただき、ありがとうございました。