離れにて
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離れは本邸よりもこぢんまりとしていた。それでも手を掛けていることがわかるくらいには立派だった。
離れの玄関前に行くと、執事やメイドたちが並んで待機していた。これからここで暮らすことになるとはいえ、知らない人たちの中にいきなり入るのは勇気がいる。
顔が強張る私を安心させるように、コンラートが私の肩に腕を回した。
そして一斉に執事やメイドたちが頭を下げる。しばらくして、長身の男性がコンラートに声をかけた。四十代くらいだろうか。この国には珍しい黒髪に黒い瞳をしている。
「おかえりなさいませ、コンラート様」
「ああ、ただいま。ユーリ、紹介するよ。執事のオスカーだ。オスカー、こちらは僕の妻のユーリだ。これからよろしく頼むよ」
オスカーと呼ばれた男性が、私の方を向く。表情がなく、目を眇めて見られると何だか居心地が悪かった。私は余所行きの笑顔で挨拶する。
「はじめまして、オスカー様。ユーリと申します。これからよろしくお願いいたします」
「ユーリ様、こちらこそよろしくお願いいたします。ですが、執事である私にそのように丁寧にお話しされてはユーリ様の威厳に関わります。どうぞ、オスカーとお呼びください」
人の屋敷という意識があるせいか、オスカーにも丁寧な言葉で話してしまっていた。普通に呼ぶことに慣れるまでには時間がかかるかもしれない。私は意識して言葉を紡いだ。
「あの……それじゃあ、よろしくね、オスカー」
「はい。こちらこそよろしくお願いいたします」
オスカーは目元を和らげた。それだけでオスカーの印象がガラッと変わって優しくなった。ひょっとしたら私はコンラートの妻に相応しいか試されていたのかもしれない。
そんな私とオスカーのやり取りを見ていたコンラートが横から口を挟む。
「ユーリ、僕にもそんな感じで話してくれないか?」
「……それはお許しいただけますか?」
「前は普通にコンラートって呼んでくれていたじゃないか。どうしてダメなんだ?」
コンラートは不服そうだ。だけどそれは、まだ子どもでいることを許されていたからできたことだ。社交界デビューを果たした大人になり、お互いの立ち位置が変わった今は許されないだろう。
「あなたはいずれ子爵家当主になります。わたくしはそんなあなたを支える立場にいなければなりません。ですから使用人の前であなたにぞんざいな口を利いては示しがつかないと思います」
あくまでも家長は当主になるコンラートだ。そのコンラートを軽んじるようなことを使用人の前で言うと、使用人のコンラートに対する意識が変わってしまう。私はあくまでも添え物でなければならないのだ。
そんな私の援護をしてくれたのは、意外にもオスカーだった。
「ユーリ様の仰る通りです。女主人とはいえ、優先順位の先にはコンラート様がいらっしゃいます。ですから、人前では控えた方がよろしいかと思います」
「そうかもしれないけど……」
まだコンラートは渋っている。何をそんなにこだわっているのかが私にはわからないけれど。
そうしたらオスカーが今度はコンラートの援護に回った。
「人前でなければよろしいのです。二人きりの時になさいませ」
「ああ、そうだな。ありがとう、オスカー」
コンラートが意味ありげに私を見て笑う。私は嫌な予感を覚えて引きつり笑いをするしかなかった。
◇
「屋敷の詳しい場所は後で案内するとして、とりあえず君の部屋に案内するよ」
玄関ホールでコンラートはそう言った。
外観もだけど、屋敷の中も圧巻だった。これで離れだとしたら伯爵邸はどうなるのだと、悲しくなるほど差があった。
玄関ホールが明るく見えるように、吹き抜けのホールの上部には大きな窓があり、そこから差し込む光が中心にある階段を照らしている。それだけでなく、廊下の奥行きも見えて、外から見るよりも空間が広々としているように感じる。
そして、ホールに置かれた調度品や絵画はぱっと目を惹くものではないけど、じっくり見ると良さがわかる質のいいものばかりだった。
今日一日で何度驚いたかわからない。結婚式から始まって、目まぐるしい変化に私は疲れていた。
「ユーリ、大丈夫かい?」
「……あまりにもこれまでのわたくしの生活とかけ離れているので、正直に言って戸惑っています」
ぐったりとした私にコンラートは苦笑する。
「それはこれから慣れてもらうしかないかな。生活水準を落とすことはできないからね。面倒だけど、子爵家としての見栄も過分に含まれているから」
「……承知しております。きっと商会で扱われている商品も調度品の中に含まれているのでしょうね」
「その通りだよ。実際に使ってみないとわからなかったり、自信を持って勧められないからね。だけど、君は商会の仕事に携わることはないだろうから、品物を覚える必要はないよ」
「ありがとうございます」
そんな話をしながら一階の長い廊下を歩いて行く。そして奥の一室の前でコンラートは立ち止まった。
「ここが君の部屋だよ」
コンラートが扉を開けて驚いた。まるで伯爵家の私の部屋のようだったのだ。
「コンラート様、これは……」
「驚いたかい? この部屋は彼女が整えてくれたんだ。おいで」
「はい、失礼いたします」
コンラートが扉の方へ手招きすると、入ってきたのは伯爵家での私の侍女であるサラだった。
「どうしてサラがここに?」
「環境が急に変わってしまって君が戸惑うだろうから、伯爵家から誰かを引き抜いて君に付いてもらおうと思っていたんだ。そこで彼女が来てくれることになったんだよ」
「そうだったのですか。だけどサラ、いいの? 長く伯爵家で勤めてくれたのに、しかもあちらにはお付き合いしている彼がいるでしょう?」
サラは私よりも五歳上で、美人でしっかり者なのに、未だに独身だ。それは主人である私を思ってのことだと私はわかっていた。
だけど、私が結婚した今ならサラは私に気兼ねなく結婚もできるのに。
私はサラに申し訳なくて頭を下げる。だけど、サラは弾んだ声で答えてくれた。
「実は彼もこちらで働かせていただくことになりました。今伯爵家は立て直し中で、給金の支払いが大変だから、二人には子爵家で働いて欲しいとエリオット様に言われまして」
「お兄様がそんなことを……」
「それに私の主人はユーリ様です。これからもお仕えさせていただきたいと思っています」
「ありがとう、サラ。コンラート様もお気遣いいただき、ありがとうございます」
兄はきっとそういう口実でサラを送り出したに違いない。サラと私の幸せのために。
本当に不器用な人だと思う。そうやって自分ばかり大変な思いをするのだ。
それにコンラートも。後継さえ産んでくれればいいと言ったのに、こうして私が過ごしやすいように考えてくれている。
私は本当に幸せ者だ。皆の優しさが嬉しくて笑みが零れる。そんな私にサラとコンラートも笑いかけてくれたのだった。
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