子爵家へ
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結婚式が終わり、私とコンラートは共に馬車でシュトラウス子爵家へ向かった。コンラートに帰ろうと言われて初めて、子爵家が私の帰る家になったのだと不思議な気持ちになった。
馬車の中ではコンラートが説明をしてくれた。
子爵家には本邸と離れがあって、しばらくは私たちは離れで生活するようになるそうだ。
しばらくというのには理由がある。
シュトラウス卿と夫人は今、社交シーズンのために王都に出てきているだけで、シーズンが終われば領地経営のために領地へ帰らなければいけない。
そして、コンラートはまだ子爵家を継いだわけではないことと、商会の取引や顧客開拓のためには王都にとどまった方がいい。そんなシュトラウス卿の判断で、シュトラウス夫妻が王都を離れるまでは離れで、その後は本邸へ引っ越すことになったのだ。
しばらくして町を走っていた馬車が、ゆっくりと止まった。外から護衛騎士が馬車の扉を開けると、コンラートが先に降り、私の手を引いてくれた。
そして私は初めて見る子爵家に目を見開いて、呆然と立ち尽くした。伯爵家と財政的に違うのはわかっていたけど、ここまでだとは思わなかった。
伯爵家ほど大きくはないけど、上品な佇まいで、白壁は少しのくすみもなく、綺麗に手入れされているのがわかる本邸。玄関前には精緻なデザインの置物が鎮座している。値段の話をするのは下世話だけど、それが高価なものだと一目でわかってしまった。
私が立ち止まって見惚れていると、コンラートが私の手を掴んで歩き出す。離れの玄関に向かいながら庭を横切ろうとして、私はまた立ち止まった。
庭には私の背よりも高い位置で揃えられた生垣に、ところどころ遊び心が施された植木や、色とりどりの花が、計算され調和した美しさを醸し出していた。
「綺麗……」
思わず感嘆の声が漏れた。それにコンラートが苦笑する。
「ユーリ、庭は日を改めて案内するから、とりあえず離れに行かないか? 結婚式が終わったばかりだし、疲れているだろうから休んだ方がいい」
「ええ、そうですね……」
そう言いながらも、私の気はそぞろだった。
生垣が迷路のようになっていて、楽しそうだ。入口は、出口はどこ、と一人で夢中になって考えていて、すっかりコンラートの存在を忘れていた。
「君もこういうのに興味があるんだね」
声をかけられて、はっとした。コンラートを見ると、笑いを堪えている。恥ずかしくなった私は熱くなった顔を隠そうと俯いた。
「……申し訳ありません。お恥ずかしいところを……」
「いや、面白かったよ。目を輝かせて一人で百面相してる君なんて見ることがないからね。それにそこまで喜んでくれたら、手入れしてくれている庭師も本望だろうし。庭が好きなのかい?」
「庭が、というよりは自然が好きです。伯爵領にいる時は領地をよく散歩していました。作られたものじゃない綺麗な緑や、川の流れに沿って泳ぐ魚を見ると癒されますから」
社交界でのやり取りで疲弊した神経を、自然が癒してくれた。自然は人と違って裏切らない。ただ、あるがままの姿で受け入れてくれる気がしたのだ。
「……そうか。それなら伯爵領に行ったら、君のお勧めの場所に案内してもらおうかな」
「どういうことですか?」
コンラートの言葉に顔を上げると目が合って、コンラートはいたずらに成功した子どものように満面の笑みを浮かべた。
「君が言ったんじゃないか。あの織物を染めた人が伯爵領にいるって。だから父に、君と一緒に伯爵領に行ってその人に会って来いと言われたんだよ。新婚旅行のついでで悪いけど、一緒に行こう」
「新婚旅行ですか……」
全く考えてなかった私は戸惑って眉を寄せた。これ以上コンラートに負担をかけるのはどうなのだろう。黙った私にコンラートの表情も曇る。
「……僕と旅行は、やっぱり嫌なのか」
私は慌てて否定した。
「違います。ただでさえ結婚式や援助でコンラート様には負担をかけているのに、これ以上負担をかけるのは……」
「……ああ、そうだった。君はそういう人だったね。それは気にしなくてもいいって言っても、気にするんだった。それなら、こう考えてくれないか? これも投資だと。いずれ元を取るから今は甘えてくれればいいよ」
それはそれで怖い。どれだけかかっているかを考えると、一生かかっても返せない気がする。
だけど、あの希少価値のある織物の染色に成功すればもしかしたら、なんてことが頭の中で展開される。
コンラートはまた笑った。
「君はわかりやすいね」
「……そうでしょうか。兄からはあまり表情が変わらなくて怖いと言われますが」
「前はそうだったね。でも最近はというか、婚約してからかな。前よりも感情が豊かになっている気がする。何か心境の変化でもあったのかい?」
「……そうですね。あるとすれば兄のおかげでしょうか。兄が教えてくれたんです」
感情を表すことは悪いことじゃないと教えてくれた時のことを思い出して私の顔が緩んだ。するとコンラートは面白そうに眉を上げた。
「へえ、エリオット様がね。どんなことを教えてくださったのか興味があるな」
「……ちゃんと自分の気持ちを相手に伝える努力をすること、でしょうか。ぶつかるのが怖くても逃げるなというようなことを教えてもらいました」
「そうなのか……」
そう言うと、コンラートは少し逡巡する様子を見せて私に問うた。
「……君には自分の気持ちを伝えたい相手がいるってことかい?」
ドキッとした。だけどまさかあなたですとは言えず、私はただ頷いた。
するとコンラートは一瞬傷ついた顔をして、すぐに笑顔を浮かべた。
「……そうか。その相手に伝わるといいね」
「……はい。少しずつでも相手に伝えられるように変わりたいと思っています」
私は臆病だから急に変わることはできない。だけど、このままではいけないとわかっている。
彼が逃げるなら私が踏み込まないと何も始まらないのだ。例え拒絶されたとしても、後悔しないようにしたい。そのための強さを身につけたいと改めて思った。
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